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1.4 宮澤家となでしこの花

 宮澤家の家族構成は父、母、三姉妹の計五人となっている。歩の目の前でお茶を飲みながらくつろいでいるのが、宮澤家の大黒柱であり、昼間空港まで歩を迎えに来てくれた、宮澤重樹みやざわしげきだ。広めおでことツンツンした髪が特徴的で、見た目も年相応の中年男性である。

 その隣でテレビを見ながら煎餅に手をかけているのが次女のさくら。ツリ目でシュッとした面持ちの彼女だが、その事を本人に言うと決まって、「これはツリ目じゃなくて猫目!」と返事が返ってくる。

 隣のキッチンで食器洗いをしているのが三女、歩と同い年の咲季さきだ。そしてこの宮澤家に、諸事情により居候させてもらうことになったのが歩なのだ。


 歩も眠気に誘われながらもテレビを見ていた。大量の唐揚げを平らげたせいか、満腹感が脳みその活動を鈍らせる。


「お父さん、もう七時よ」と桜は時計を見て言う。

「お、試合が始まる時間じゃないか。桜チャンネル変えて」


 桜は先ほどまで見ていたバラエティー番組から、衛星放送へとチャンネルを切り替えた。歩も自然とそちらの方に目が寄る。

 切り替わった画面は二列に並ぶ選手たちを捉えていた。選手たちの入場シーンが見える。選手たちはピッチ内に入ると、審判と副審を真ん中にして左右に一チームずつが分かれ、一列に並んだ。右に赤いユニフォーム、左に緑のユニフォーム。選手全員が一列に並び、止まった瞬間、数人のカメラマンがシャッターを切っているのがテレビ越しから見えた。


 Shonan BMWスタジアム平塚、なでしこリーグの第一節、開幕戦である。


 なでしこリーグが開幕戦をナイター、つまり夕方から試合を始めるのは今年が始めての試みであった。開幕戦、また春休みということもあり、観客はいつも以上に多かった。


 食器洗いを終えた咲季が、キッチンから茶の間に入ってくる。やはりサッカーの申し子だ。咲季は座ると、食い入るようにテレビを見る。宮澤家にはサッカーの申し子が三人もいるのだ。


「お姉が映った!」


 一列に並ぶ選手たちの中に長女、小春こはるの姿があった。赤に白字で「8」と書かれたユニフォームに袖を通している。普段は温厚で物静かな小春だが、試合になるといつも眼光を尖らせている。それは今日の試合も同じだった。


「浦和FCレディース」に所属しているプロ三年目の小春。20歳というその若さで、すでにチームの中心選手であり、エースストライカーとなっていた。

 小春のことは解説者も褒めていた。


『――そうですね、やはり今回も宮澤が注目選手の一人ではないでしょうか。得点感覚に優れているのはもちろんのこと、彼女はチャンスメイクもできる器用なフォワードですからね。元々、選手の平均年齢が若く選手層の薄い浦和を、上位まで引っ張ってきた去年の宮澤を見ると、彼女の実力が伺えられると思います』


 歩が最後に小春を見たのは、小春が高校三年の時だった。三年前から高校女子サッカー界では有名だった小春だが、見ない間にプロでも有名になっており、歩は感心する。


「小春さん凄い評判だね」

「さすが私の子だろ?」

「お母さんの遺伝を受け継いでるのよ、お父さんじゃなくて」


 その桜の言葉に歩と咲季は、破裂するようにプッと笑った。


「おいおい、笑わないでくれよ」


 それでも重樹は躍動するわが子を見て満足そうな顔をしている。自慢の愛娘に違いない。


 両陣営は握手をし終えると、四方散り散り広がっていく。ふと浦和のベンチが映る。控えの選手たちと並んで、宮澤香苗かなえが腕組をして座っている。黒に赤線の入ったチームジャージを身に纏い、なにやら真剣そうな話をコーチとしている姿がテレビに映った。


 何を隠そう彼女が、浦和の監督であり、重樹の妻であり、宮澤家三児の母だった。


 ピッチ上に赤と緑の二つの円陣ができあがる。スタジアムのボルテージが上がっていくのを歩はテレビ越しから感じた。

 緑がチームカラーの「本テレ・ガルーザ」にアウェーで立ち向かう浦和。

Shonan BMWスタジアム平塚は湘南にある。東京が本拠地の本テレは普段はホームスタジアムが味の素スタジアム西競技場だが、BMWスタジアムでホームゲームを組むこともある。実際に西競技場よりBMWスタジアムのほうが大きく、収容人数も多いため、テレビ中継が入る兼ね合いもあり、今回はBMWスタジアムでの試合となった。


 笛が鳴り試合が始まる。両チームが一斉に動き出す。観客のチャントがスピーカーから聞こえる。


 最初の五分間はボールが芝に収まらず、両チーム主導権を握れずにいた。ボールがピッチ内を行き来する。

 その均衡を破ったのは浦和の8番、宮澤だった。先ほどまで相手のディフェンスラインでスペースを作ろうと動いていた小春だが、中盤まで落ちるとゴールに背を向けてパスをもらう。

 ワンタッチで前を向く小春。ボールが芝に落ち着いた瞬間だった。相手ミッドフィールダーの素早い守備にも慌てることはなく、キックフェイントで相手を完全に抜き去った。

 基本的な動作を基本的に行なわれた、何の変哲もないキックフェイントだが、その余りにも熟練された綺麗な動作、スムーズな身のこなしに会場がワッと沸きあがる。


 小春はルックアップをすると、すぐに左サイドから、右サイドにボールを蹴り上げる。ボールは放物線を描き、相手左サイドバックの頭上を越え、赤の右サイドハーフの足元に渡った。


「ナイスパス!」


 桜は身を乗り上げ、声を上げる。本当にいいパスだった。歩も声には出さないが心からそう思った。


 小春の意表を突いたパスを機に、速攻を仕掛ける浦和。パスを貰った右サイドハーフはそのドリブルの速度を緩めることはなく相手サイドバックに追いつかれる前に、斜め前へアーリー気味のクロスを上げた。


 フォワードである小春が下がったことによって生まれたスペースに入っていた、浦和のオフェンシブミッドの一人がそのクロスの先で待ち構えていた。ボールに飛び込むように、スライディングのようなダイレクトボレーが放たれる。

 しかし、コースが少し浅かったのか、キーパーに弾かれてしまう。ボールがペナルティエリアに転々とする。そこにいたのは――


 観客の声が一斉にして溢れ出てきた。スタジアムが揺れる。前半開始早々、浦和の先制点だった。スタジアムの場内アナウンスが流れる。


『ただいまの得点は、浦和背番号8番、宮澤小春選手です』


 まるで、ボールがくることを読んでいたかのような得点だった。キーパーが弾いたこぼれ球にいち早く反応して、ゴールに押し込んだのは小春だった。


 浦和サポーターから宮澤コールが聞こえる。小春はチームメイトたちとハイタッチをしたり、ハグをしたり、ゴールを共に喜んでいた。


 喜んでいるのはピッチ内の選手だけではなかった。ベンチに座っている選手も立ち上がってガッツポーズをする。浦和の監督、香苗は、立ち上がって喜んでいるコーチの横で、静かに座りながら頷いていた。


 開幕戦の先制点。チームにとってこれほど大きな一点はないだろう。よいスタートダッシュを切れるかどうかは、長いリーグ戦において非常に重要なことだからだ。


 歩の目にはそのスタジアムが赤色に染まっていくように見えた。




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