先走り婚約破棄
貴族子女が通う王立学園の卒業記念パーティーは、彼らが三年間通った学び舎の講堂で滞りなく進行していた。
学園を卒業した彼らにとって、今夜は成人として初めて参加するパーティーである。
領地へ戻ってしまう者も多いため、最後に思い切り楽しんで思い出を作ろうという明るく賑やかな雰囲気に包まれていた。
保護者不在で、主役である卒業生達以外ではエスコート役の者のみ参加するパーティーであるため、毎年羽目を外しがちな彼らを教員達も最後だからと大目に見ている。
そんな中、遅れて入場してきた第二王子シリウスが突然声をあげた。
「エレナ・ファウストン侯爵令嬢!前に!」
それまで学友同士で交わされていた談笑が途絶え、ホールの中心に立つシリウスに皆が注目する。
シリウスは眉目秀麗、文武両道、3年間生徒会長を務めあげ、皆から慕われていた。
側妃の子で第2王子でありながら王太子に指名されてもおかしくないとも言われている。
そんな人気者のシリウスだが、現在彼に向けられている視線は困惑が多かった。
何故なら、彼は婚約者であるエレナ・ファウストン侯爵令嬢はなく、ピンク髪の令嬢をエスコートして現れたからだ。
ピンク髪の令嬢、セシリア・ハープス男爵令嬢は聖女候補として神殿から指名を受けたことで平民から男爵家の養女となり、貴族しか通えない王立学園に入学が認められた人物である。
生粋の貴族令嬢とは違いくるくると変わる表情や、まわりくどくない天真爛漫な言動が一部の令息に気に入られており、ここ1年ほどはシリウスとも親密な様子で一緒にいる姿が見られていた。
だが、婚約者であるエレナが王子妃教育などに追われて学園にほぼ通っておらず、面と向かって咎める者がいなかったことと、多数の令息達と行動を共にしており決して2人きりになる事がなかったためにまわりは静観していた。聡明なシリウスに限って馬鹿な事はしないだろう思われていたし、おそらく学生の間だけの関係だろうと。
しかし今日、誰が見てもお揃いで仕立てたとわかる礼服とドレスを纏い、恋人同士のように寄り添っているシリウスとセシリアの姿を見て、お遊びではなかったのだと皆が察した。
今からシリウスは長年の婚約者であるエレナに、その契約終了を告げるに違いないと。
観劇しているかのようにわくわくしている者、派閥の力関係が変わることに焦っている者、いつでも会場を抜け出せるように入り口付近に移動する者、それぞれが思惑を持ってこれからシリウスが告げる言葉を待っていた。
しかし、指名されたエレナは出てこない。
「おい!エレナはどこだ!」
シリウスは、自身の側近候補の1人、騎士団長令息アーノルドの婚約者であるミランダの姿を見つけると問いただした。ミランダはエレナと仲が良かったはずだ。
「エレナは急用で遅れると聞いております」
「なんだと?卒業パーティーよりも優先すべき用とはなんだ!?」
「詳細は存じ上げません」
エレナ不在ではあるものの、ひっこみがつかないシリウスは彼女に告げようと思っていたことをこのまま宣言することにした。
エレナが着いたとき、会場の者達を自分の味方につけておいたほうがいい。
「皆、聞いてくれ!俺は、エレナと婚約を破棄して聖女候補であるセシリアを婚約者にする!」
予想通りの内容ではあったが、会場はざわめいた。
大半は困惑の表情を浮かべているが、シリウスは構わず続ける。
「エレナは俺の婚約者としての務めを疎かにし、聖女候補であるセシリアに度々嫌がらせを行った怠惰で醜い心の持ち主である!心清らかなセシリアを妃として、国をよりよい方向に導いていくことを誓おう!」
まるで次代の王のように自信に満ちあふれた様子で言うシリウス。
侯爵令嬢であるエレナよりも、神殿で神官長と同等の地位である聖女の方が身分も発言力も上。
聖女を婚約者にできれば王妃の子である第一王子を押し退けて王太子に指名されることは間違いない。
ファウストン侯爵家の後ろ盾が無くなったとしても、誰も文句は言わないだろう。
それほどまでに、聖女という存在は国民から支持されている。
会場が騒然とする中、シリウスの後ろに控えていた騎士団長令息アーノルド、神官長の甥の伯爵令息ユージーンが声を上げる。彼ら2人は、セシリアを気に入ったシリウスと共に学園でよく一緒に過ごしていた者達である。
「俺達は聡明なるシリウス殿下と聖女セシリアを臣下として支えたいと思っている!」
「そして、そのためにもファウストン嬢だけでなく、我々の婚約者達の罪もここで明らかにする!」
2人は鋭い視線でそれぞれの婚約者を見据える。
アーノルドの婚約者であるミランダと、ユージーンの婚約者であるナタリーは並んで立っていた。
「ミランダ!お前は聖女であるセシリアを孤立させるために女子生徒達に無視するように命令したな!セシリアはお茶会に呼ばれない、挨拶すらしてもらえないと泣いていたんだぞ!」
「ナタリー!貴様はセシリアの私物を隠したり捨てたりした!挙句の果てにはセシリアを階段から突き落とそうとしたそうだな!」
激高する男2人に対して、ミランダとナタリーは全く動じず、冷ややかな目を扇から覗かせている。
「「聖女を虐げるような女との婚約は破棄させてもらう!」」
ぴったり口を揃えて叫ぶ2人に、練習したのでもかしら?と呆れるミランダとナタリー。
すると、今度はセシリアが涙を浮かべながら前に出てきた。
「辛かったけれど、謝っていただけるなら許します」
ミランダは、ついと眉を上げ、扇をバシンと閉じた。
「婚約破棄につきましては承知いたしました。ですが、私はセシリア様と関わりがありませんし、嫌がらせに覚えがございません。謝罪を拒否します」
「私も、セシリア様にそのようなことはしておりません。ああ、婚約破棄は喜んで受け入れますわ」
ミランダとナタリーの言葉にショックを受けたように、セシリアはシリウスにしなだれかかった。
アーノルドとユージーンは顔を真っ赤にして元婚約者の令嬢達に怒鳴る。
「なんと恥知らずなんだ!」
「セシリアの慈悲がわからないのか!」
ミランダは確かにセシリアに話しかけたりお茶会に誘ったりはしていないし、近くに来たら避けていた。
聖女候補であることで、シリウスをはじめとした高位貴族の見目麗しい青年達にすり寄って行く姿に嫌悪感があったからだ。だからといって、他の女子生徒に命令してセシリアを孤立させようとはしていない。
ただ単に、他の女子生徒もセシリアを嫌っていただけのこと。
ナタリーは全く何もしていない。私物を隠したり嫌がらせをしていたのは他の生徒だろう。
階段から突き落とそうとした、というのは、まぁ心当たりがないでもない。
階段を駆け上がってきたセシリアが、上からゆっくり降りていたナタリーにぶつかり、よろめいた時があった。そのことを言っているのだろう。しかしそれは、貴族令嬢らしからぬセシリアが走ってきて勝手にぶつかってきたのが悪い。こちらが謝罪して欲しいくらいだ。
元々、政略で結ばれた婚約者同士、ミランダもナタリーも婚約者の事は好きではない。
男達の有責で婚約破棄をしてくれるというならむしろ飛び跳ねて喜びたいところだ。
その時、会場の入り口がゆっくりと開いた。
輝く淡い金色の髪に、紫の瞳。光を反射する純白のドレスに身を包んだエレナ・ファウストン侯爵令嬢がそこにいた。
エレナは、第1王子ヴィンセントにエスコートされてゆったりと会場に足を踏み入れた。
会場中の視線が一斉にそこに集まる。
エレナは会場の異様な空気に首を傾げた。
「どうかなさったの?」
「どうかなさったの、じゃない!遅れてきたと思えば何故兄上にエスコートされている!」
「え?」
いきなり怒られて戸惑うエレナを庇うように、ヴィンセントが前に出る。
「ファウストン嬢を迎えに行かずに他の女の元に行ったのは誰だ?」
「エ、エレナには今日はエスコートが出来ないと前から伝えてある!」
「そうだな。他の女をエスコートするためにな。だから私が愚弟の代わりにファウストン嬢をエスコートしている。何かおかしいか?」
言葉に詰まるシリウス。
シリウスは、どこかひょうひょうとした異母兄の事を苦手に思っていた。
何故よりによってエレナ側にヴィンセントがいるのだ、とシリウスは歯噛みする。
そこへ、エレナがぴりぴりした空気を変えようと声をあげた。
「あ、あの、シリウス様!わたくしシリウス様にご報告がありますの!聞いてくださる?」
にこにこと微笑むエレナに、シリウスは婚約破棄の前に少しくらいエレナの願いを叶えてやってもいいかと思った。
「そうか。俺も君に伝えることがあるが、先に聞いてやろう」
最後の慈悲だ。このあと聖女を虐げた罪をつきつけ婚約を破棄し、絶望のどん底に突き落としてやる。
エレナはシリウスがそんなことを考えているとは知らず、彼の前に立つと、満面の笑みで祈るように指を組んで言った。
「ついさきほど、神殿で正式にわたくしが聖女として任命されましたの!」
会場がしんと静まり返る。
シリウスも、エレナが何を言っているのか理解が遅れて口を半開きのまま固まる。
エレナが会場の空気に気付かず続ける。
「学園に入学してからの3年間、聖女の修行のせいでなかなか殿下と交流する機会ございませんでしたけれど、おかげで集中して修行に打ち込めましたわ!こんなに早く聖女に認定されるに至ったのは、殿下がただ静かに見守ってくださったおかげですわ!ありがとうございます」
侯爵令嬢にふさわしい、美しいお辞儀をみせるエレナのつむじを眺めながら、シリウスはいまのエレナの言葉を頭の中で整理していた。
「エレナが…聖女?一体何を言って…」
「そ、そうですよ!聖女はあたしです!エレナ様、そんな嘘を言ったってシリウス様の気を引くことはできませんわ!」
セシリアが身を乗り出して堂々と宣言するが、顔を上げたエレナは目を瞬かせる。
「ええと、失礼ですが、あなたは?」
「散々嫌がらせをしていたくせに知らないふりをするつもりか!」
アーノルドが怒鳴るが、エレナは首を傾げる。
「申し訳ありませんが、わたくしは学園に足を運んだことが数回しかなく…ご紹介を受けた覚えがありませんわ」
「ひっ、ひどい!同じクラスのセシリア・ハープスです!確かに直接会うことは少なかったですけど、会うたびに暴言を言われたし、ミランダ様と一緒になってクラスの女子生徒に命じてあたしを無視して仲間外れにしたり、倉庫に閉じ込めたり、ドレスを破いたりさせていたことも分かっているんです!」
「そうだ!セシリア嬢に命じられて仕方なく聖女であるセシリアに嫌がらせをしたと証言はとれています!」
ユージーンが高らかに告げるが、エレナは困ったように眉を下げる。
「なぜわたくしがその方を虐げるのですか?」
「決まってるだろう!聖女候補として殿下の寵愛を受けているセシリアに嫉妬して排除しようとしたんだろう!」
「聖女候補?寵愛?嫉妬?」
状況がつかめないエレナはクエスチョンマークを大量に飛ばす。
そこへ、黙って成り行きを見守っていたヴィンセントがエレナの横に進み出て彼女の手の甲を上に向けて持ち上げる。
「まずはこれ見なよ。聖女の証の紋章」
エレナの手の甲には、神殿の象徴としてよく描かれている、星と花を組み合わせた魔法陣のような模様が浮き上がり、うっすらと輝きを放っている。
神官長の甥であるユージーンは、神殿で見慣れたその紋章に息をのむ。
「それからこれ」
ヴィンセントは近くにいた従者から書類を受け取ると、そのままシリウスに渡した。
「これは一体…」
書類を読み進めていくうちに、シリウスの顔をどんどん強張っていく。
それもそのはず。エレナが数少ない登校時に学園で接触した人物の中に、セシリアの嫌がらせを指示されたと訴えた者はだれ一人含まれていなかったことが、学園でエレナについていた王家の護衛の証言でわかったこと。
学園でセシリアとエレナが顔を合わせたことが無かったことも護衛だけでなく教員の証言も記載されていた。
同じクラスとはいっても、エレナが専門的な選択授業にしか出席していなかったからだ。
さらに、エレナが学園にいないときの行動も書かれていた。
夜明けとともに神殿へ向かい、祈りを捧げて聖力を上げる修行。
質素な朝食後は神殿で聖女として国を守護する加護魔法や神殿の歴史など聖女としての勉強。
午後は王城に向かい、礼儀作法の訓練を兼ねた昼食後に王子妃教育が夕方まで。
帰宅してからは予習・復習を深夜まで。
忙しい合間を縫って数週間に一度学園に行き、授業を受けたりシリウスや友人とお茶をする時間を捻出していた。
怠惰で婚約者の務めを果たしていないなんて言葉は、このスケジュールを知っていたら出てくるはずがない。
「エレナが…なぜ神殿で修行を…」
手を震わせながらシリウスが声を絞り出す。
「聖女候補に選ばれたからですわ」
エレナは何を当然のことを、という顔で答える。
「で、でも!あたしはそんな修行なんて受けてません!」
聖女候補に任命されたセシリアは修行なんてしていなかった。
神殿へも一度も呼ばれたことはなかった。
だからシリウスは学園卒業後に聖女の修行を始め、その後聖女として認められるものなのだと思っていた。
「そもそも、何故聖女候補に選ばれたことを俺に言わなかった!」
シリウスは責めるようにエレナを睨みつける。知っていたら、エレナに対して怠惰で嫉妬深い悪女だなんて思わなかったはずだ。
その質問に答えたのは、エレナではなくヴィンセントだった。
「聖女候補は、候補を外れるか、聖女になるまで口外しないように決められているからだよ」
「は…?」
「聖女候補同士で争って蹴落とし合ったり、聖女候補の力目当てに誘拐されたり利用されたりしないように、聖女候補同士ですら他の候補の事は知らされないそうだよ。まぁ、神殿に通うわけだから家族には当然知らせるけれど、その家族も娘を守るために聖女候補であることを隠しておくものらしいよ」
普通の家はね、とヴィンセントの視線はセシリアに向かう。
「え、あたし、知らない…。そんなこと、聞いてない!」
セシリアの義理の父ハープス男爵は、セシリアが聖女候補であると大々的にアピールしていた。
未来の聖女の実家と繋がりを持ちたい貴族達相手に優位な立場で取引等をするためだ。
ハープス男爵のそのような振る舞いを問題視した神殿は、早々にセシリアを聖女候補から外していた。
セシリアが一度も神殿に呼ばれなかったのはそういうことだ。敢えて知らせることはしない。
普通なら呼ばれない事で察することが出来るのだから。
聖女候補じゃなくなっていたことを知ったセシリアは真っ青な顔でへたりこんだ。
未来の聖女、未来の王太子妃の夢は崩れ去った。
聖女になれなかったセシリアは、用済みとして男爵家から縁を切られて平民に戻されるだろう。
「…なぜ、兄上がそんな事を知っているのですか」
シリウスは足元がぐらつくような感覚を覚えながら、なんとか声を絞り出す。
ヴィンセントは顔色が悪い弟に、呆れたような目を向けた。
「逆に、なんで知らないの?いくら隠しているといっても婚約者が普段どこで何をしているか知ろうともしていない証拠だね。別に徹底的に隠しているわけじゃないんだから、ちょっとファウストン嬢の事を調べるだけですぐわかるのにさ。怠慢なんじゃないの?」
「…っ!」
シリウスは言い返す言葉が見つからなかった。
元々、エレナの薄い金髪に紫の瞳の儚げな見た目も、おっとりとしてつかみどころがない雰囲気も、ヴィンセントはあまり好ましく思っていなかった。
エレナと正反対の、赤い髪と瞳ではっきりした目鼻立ち、明るく天真爛漫で、わかりやすい愛情表現をしてくれるセシリアを好ましく思うようになってしまった。
忙しくて学園に通う暇がないと言うエレナとの交流が無いのをいいことに、婚約者の義務を放棄した怠惰な令嬢だとまわりにも広めてエレナ有責で婚約を破棄し、愛しい、将来聖女になるセシリアと婚約したいと思ってしまった。そして、国王となり、聖女を妻として国をよりよい方に導くのだと。
しかし、蓋を開けてみれば、聖女となるはずのセシリアはとっくにその資格を失っており、疎ましいと思っていたエレナこそが聖女に任命された。
侯爵令嬢で王子妃教育もほとんど終わらせていて、さらには聖女。
エレナが婚約者ならば立太子は確実だ。
シリウスはエレナに目を向ける。
聖女の修行に王子妃教育にと忙しくすぎて色々な情報が入ってきていなかったのだろう。ヴィンセントの横で状況がつかめずに困ったような顔で首を傾げている。
今ならまだ間に合うだろうか。
ふと、シリウスの頭にずるい考えが浮かぶ。
エレナは何も知らない。
シリウスがエレナを疎ましく思い距離を置いていたことも、セシリアと浮気していたことも、それを理由に婚約破棄を告げようとしていたことも、何も知らない。
今ならまだ無かったことに――。
「ダメだよ。シリウス」
鋭い声に、シリウスは思考を止めた。
ヴィンセントは見透かしたようにじっとシリウスの瞳を見つめる。
シリウスと同じ、深い青。民を導くロイヤルブルー。
「まわりを見てみなよ」
シリウスはゆっくりとまわりを見渡す。
呆れ、失望、蔑み、哀れみ。
今まで向けられたことのない種類の視線がシリウスに向けられていた。
エレナが来る前。シリウスは高らかに宣言した。
『俺は、エレナと婚約を破棄して聖女候補であるセシリアを婚約者にする!』
無かったことにはできない。ここにいるすべての人間が聞いていた。
将来、国を共に導く貴族当主となる者達が。
シリウスは目の前が真っ暗になった。
光り輝いていたはずの未来が、闇に閉ざされてしまった。
シリウスは項垂れて固く目を閉じたあと、ゆっくりと顔を上げ、まっすぐにエレナを見て口を開く。
「俺は聖女である君にふさわしくない」
「えっ?」
「俺との婚約を解消してくれ。…いままで申し訳なかった」
「えぇっ??」
エレナは全く話についていけないまま、深く頭を下げるシリウスを前におろおろするしかなかった。
シリウスは自らの過ちで、手に入るはずだった王太子の地位も、聖女である婚約者も手放すことになったのだ。せめて無様にならないように、潔く身を引くことが、彼の王族としての矜持だった。
エレナはほとんど交流のないシリウスの事を好きだったわけでは無かったので、婚約解消に悲しむことはなかった。ただ、聖女に任命されて、ようやくこれから婚約者との仲を深めていけると楽しみにしていたし、シリウスのあの青い瞳が綺麗で好きだったので、近くで見ることができなくなることは残念に思っていた。
「ファウストン嬢、私と婚約してくれないか?」
だから、ヴィンセントが求婚してくれたとき、エレナはすぐに頷いた。
シリウスと同じ、深い青の瞳。
エレナと見つめるその瞳はシリウスとは違って熱を帯びていて、もっと綺麗だったから。
ヴィンセントは、エレナの事がずっと好きだった。
妖精のような透明感のある美貌も、ミステリアスな雰囲気も、可愛らしい微笑みも全て愛しい。
それはエレナがシリウスと婚約するずっと前からだ。
本来なら、エレナと婚約するのはヴィンセントのはずだった。
シリウスの生母であり、国王の寵愛を得ている側妃マリアンヌが、ヴィンセントとエレナが繋がらないように国王を説得して横やりを入れてきたのだ。シリウスの後ろ盾とするために整えた婚約だった。
ヴィンセントから奪うようにしてエレナと婚約したというのに、シリウスはエレナをぞんざいに扱った。
だから、もしかしたらエレナを奪い返す機会があるかも知れないとずっと様子を伺っていた。
ストーカーと呼ばれても構わない。
そのおかげで、エレナが聖女候補に選ばれたことも知ったし、シリウスが学園で堂々と不貞をしていることもわかった。
セシリアが聖女候補から外れたことは神殿に潜入させた部下が掴んできた。
エレナとシリウスがあまり接触しないように、お互いの情報が伝わらないように、懐柔してあったエレナの護衛騎士や侍女、それからシリウスの従者に情報を止めるように指示を出した。
シリウスの不貞を知ったエレナがどういう行動を起こすかわからなかったし、シリウスにはエレナが聖女候補の筆頭だとばれるわけにはいかなかったから。
そして学園卒業後に、セシリアを次期聖女だと思い込んだシリウスに、エレナとの婚約解消を勧めようと思っていた。卒業後は成人として扱われて、婚約解消の手続きは親の同意なしに出来るからだ。
しかし、それより前にシリウスが婚約破棄を宣言したと聞いたときは笑いそうになった。
神殿で聖女認定の儀を終えたエレナをエスコートして卒業パーティーの会場に向かう途中、会場から抜けてきた自分の手の者がそっと耳うちしてきたのだ。
このままエレナを連れて王城に戻り、陛下に報告しようかとも思ったが、どうせなら衆人の前でシリウスの失態を公にした方が面白いだろうと思って何も知らないエレナとともに会場に入った。
婚約を申し込むと、エレナは少しだけ驚いた顔をしたが、すぐに頷いてくれた。
青い瞳が好きだということは事前にエレナの侍女から聞いていたから大丈夫だろうとは思っていたが、実際に受け入れてもらえた時は胸が熱くなった。
今度こそ、この愛しい人を幸せにするのだと心に誓った。
そして、この青い瞳だけでなく、ヴィンセント自身を好きになってもらえるように愛を伝え続けようと。
シリウスは王位継承権を放棄し、国を二つ越えた先にある小国へ行くことになった。
その国の次期女王である王女の配偶者になるためだ。
周辺国で王女と歳の近い王子はヴィンセントとシリウスしかいなかったため、元々は婚約者のいないヴィンセントに内々で打診が来ていたのだ。
シリウスが何もしなければ、ヴィンセントは遠い他国へ行き、王位は自動的にシリウスに転がり込むはずだった。
シリウスは自分の短慮をひどく後悔しながら、それでも前を向いて国を去っていった。
セシリアは男爵家から縁を切られ、平民に戻された。
華やかな王都から生家のある田舎の村に帰ると、両親は何も聞かずにただ受け入れてくれた。
聖女だと持ち上げられ、裕福な男爵家でお姫様のように扱われ、王子や高位貴族の美男子達から可愛がられた彼女は完全に調子に乗っていた。
村で家畜の世話をしたり、畑の手伝いをしながら数カ月過ごすうちに、セシリアはもう男爵令嬢だった頃のことは夢だったんだと思えるようになった。
夢から覚めたセシリアは、村の青年と結婚し、子供にも恵まれ、幸せに過ごすことになる。
王妃様なんて自分には最初から無理な話だったんだわ、と笑いながら。
騎士団長子息のアーノルドは、ミランダとの婚約破棄の後に辺境の砦でただの兵士となっていた。
今回の件に騎士団長である父が激怒して、追い出されるようにしてここに送られてきたのだ。
王族を警護する近衛騎士を目指していた彼にとって、平民の上司の元で働かされることは屈辱以外のなにものでもない。
隣国との国境の警備を担う砦は国の北端にあり、一年のほとんどを雪に閉ざされた過酷な環境であり、体力も気力もすり減っていく。
何故こんなことに。
そればかりを考えながら、いつか王都に呼び戻される日が来る事を信じて待つことしかできなかった。
神官長の甥であるユージーンはナタリーの実家の伯爵家へ婿入り後、シリウスの側近になる事が決まっていた。しかし、シリウスが国を去り、ナタリーとの婚約も破棄となったいま、彼の進路は不透明だった。
そんな中、神官長だった叔父は身内の不祥事の責任を取って神官長の位を後進に譲り、巡礼の旅に出ることを決めた。
その旅に、ユージーンは無理矢理同行させられることとなった。
大陸中にある聖地や各神殿を巡るため、終えるまでには最低10年はかかると言われている。
聖地は砂漠地帯や、標高の高い雪山の頂上など、人が住まわない神聖な地にあるため、たどり着くだけでも苦労する。想像を絶する過酷な旅になる。
厳格な叔父と共に10年も過ごせば、ユージーンの性根も叩き直されることだろう。
ミランダとナタリーは、エレナの侍女になる事に決まった。
王太子妃や王妃の侍女ともなれば拍が付くし、自国だけでなく他国の王族や高位貴族とも知り合う機会が多く、婚活には持ってこいな環境だ。もちろん、友人としてエレナを支えたいというのが一番の理由であるが。
ヴィンセントはエレナと婚姻後に立太子し、数年後に即位した。
ヴィンセント王のエレナ妃への溺愛ぶりは全ての国民が知るほど有名だった。
生涯側妃や愛妾を迎えることはなかったというのに、全部で王子が5人、王女が2人産まれることになる。
名君と名高い王ヴィンセントと、慈愛の聖女と呼ばれる王妃エレナの治世は、後世の歴史家が『黄金の時代』と記すほど豊かで争いや天災とは無縁だったという。




