第0章:砕かれた過去の憂鬱(第3部)
【推奨BGM:エミリーの魂】
「この曲を聴くたび、エミリーはあなたの傍にいます。」
https://x.com/el_geoztigma/status/1999343855712502251
読者の皆様へ。
どうか、この曲を聴いてください。
『エミリーの魂』
お願いです。本当に、心からお願いします。 この曲を聴いて、私と共に苦しんでください。
ジオ ― 灰からの再起
夜明けの最初の光が埃の中を透過し、地平線を紅蓮に染めていく。 戦いの混沌によって撒き散らされた灰が振動を始めた。まるで音のない嵐がそれらを呼び集めるかのように、独自の意志を持って結合していく。
少しずつ、原子ひとつひとつが積み重なり、クレーターの中心でジオの姿が再構築された。 それは昨夜の怪物ではない。ただの人間としての姿だ。 消耗し、やつれ果てているが、五体満足でそこにいた。
目を開けると、敗北の残響がまだ頭の中で鳴り響いていた。 「だめだ……」 口の中に残る灰の味と同じくらい、失敗の味はリアルだった。 アスファルトの上で沸騰した自分の涙の感覚が、最後の記憶だった。 体を起こすと、肉体的な痛みなど、魂に空いた巨大な空洞に比べれば些細なものだった。
エミリーを思い出した。 彼女を見つけなければ。守らなければ。思考はその一点に固定された。 必死の希望を抱き、彼女を置いてきた場所へと向かう。
だが到着した瞬間、その希望は喉元で絶望の塊へと変わった。 ハゲタカたち――この忘れられた世界の掃除屋たちが、すでに彼女を品定めしていた。
かつて可憐な花だったエミリーの体は、いまや判別不能な肉塊と残骸に変わり果てていた。 全て意味を失った。全てが狂気へと堕ちた。
『彼女はまだ救える』
盲目的な信仰が、ジオを導く。
「ジオ」 囁くような、しかし確固たる声が聞こえた。 「まだ希望はあるわ」
ジオは、無限の優しさを持ってエミリーの残骸を抱き上げた。 その惨状など目に入らないかのように、彼女を胸に抱く。その重みは物理的なものではなく、感情の重みだった。 ハゲタカとカラスたちは、食事を邪魔された苛立ちを鳴き声に変え、飛び去っていった。
(現実:ジオはエミリーの死体を背負っている)
自身の内なる声――いまやそれが唯一の生きる理由となっていた――に導かれ、彼は森へと足を踏み入れた。 目的地は明確だ。「マクロ・アンビエント(巨大環境施設)」、かつての「心臓」。 裏切りなど……どうでもいい。今はただ、エミリーだけが重要だった。
俺はもう、熟練した「スカイスクレイパー・ボーイズ」の一員だ。彼らの魂をこの身に宿している。 街の渡り方は知っている。何をすべきかも分かっている。 絶対的な孤独の中でも、知っている者たちが全員死に絶えても関係ない。 彼らは俺と共にいる。何らかの形で、俺の中で生きている。
だから俺は、この道を一人で進む。 そう、完全なる孤独の中で。エミリーの体を背負って。
「孤独」 「孤独」 「孤独」
太陽が昇り始め、一日が始まる。新しい朝だ。 全てが良くなると思った矢先に、全てが崩れ去った。 戦った理由、守りたかった人々、その全てが死んだ。俺の戦いは、孤独なものとなった。
ビルからビルへ、跳躍し、疾走する。 仲間たちが俺を導く。一歩一歩、ジャンプするたびに。 そして背後からは、エミリーの声が聞こえてくる……。
(現実:ジオは喪失による幻覚を見ている)
もはや俺に越えられない跳躍も、疾走も、戦いも、敵も存在しなかった。 孤独な夜。一人きりの焚き火。 背中のエミリーの体は、腐敗し、崩れていく。 冷たい夜。
闇の中で武器を交え、敵をビルから突き落とす。失われた記憶、見捨てられた人々。 ひとっ飛びごとに、かつて二人で到達すべきだった場所へと近づいていく。 エミリー……。
多くの者が俺より先に死んだ。生きていることこそが、命の勝利だ。 俺は……勝ったのだ。呼吸をしている限り、俺は常に勝者だ。
道中、多くの者が立ちはだかったが、その一人一人から命を奪い取った。 落下が痛いとか、死ぬかもしれないとか、そんな思考は消え失せた。 そんな恐怖は存在しない。考えられない。あり得ない。
どんな高さからの落下も、目眩も、もはや恐怖ではない。 生きる恐怖も死ぬ恐怖も、愛する者を失う恐怖も、全て消え失せた。 仲間たちが俺を導いている。記憶の中で、死してなお、俺を先導している。
それは絶望的で、おぞましい光景。 だが……でも……しかし……けれど……。
どういうわけか、俺は解放されていた。 魂の自由を感じると同時に、胸には同等の痛みが走る。 涙が勝手に溢れ出し、止まらない。 跳躍するたびに、風がその涙を乾かしていった。
飛んで、跳ねて。戦って、殺して。 スカベンジャーとの死闘を越え、自由な魂のように走り続け、ついに街を抜け出した。
レヴィアタンの外縁を侵食した森にたどり着いた。 樹冠の間から、錆びついた鉄の塊が空に向かって突き出しているのが見える。木漏れ日が葉の間から差し込む。 自然と人工物が混ざり合うその光景は、どこか心を落ち着かせると同時に、酷く陰惨でもあった。
(現実:ジオは幻覚を見ている。エミリーは死んでいる)
「さて、エミリー。少し方向感覚が狂ってるみたいだな」
「ジオ、あたしこの場所知ってるわよ。でも、こんな場所があるなんて聞いたことなかった。たぶん、少し迷っちゃったかもね」
「なんだって!? 迷うだって!?」
「そうよ、かなり高い確率でね。あと、叫ばないで! 何がいるか分からないじゃない。それに、大声出されるの嫌いなのよ!」
俺は平静を保ち、解決策を考えた。場所を特定する方法があるはずだ。 そうだ、「Uタブレット」にはGPSと地図があると言っていた。なんて幸運なんだ!
(現実:ジオは幻覚を見ている。背中のエミリーは腐敗が進んでいる)
「おい、エミリー!」
「え!? え!? なによそんなに急いで。あたしから強盗でもする気? それともホルモンバランスでも崩れた?」
「はあ!? ……なんだって?(混乱)……なに?(再確認)」
「何て言ったんだ、エミリー?」
「え? あたしは何も。あんたこそ何してんの?」
「ああ、頼むよ。あの巨像の手で見つけたタブレットを貸してくれ!」
「はあ? ああ! もう、この森のせいで野生化しちゃったのかと思ったわ。最初からそう言えばいいのに」
「エミリー、ただ貸してくれ。急いでるんだ」
「はいはい、野獣くん。盗まないでよね? それあたしが見つけたんだから」
「なんだって? エミリー、お前……分かったよ、そうだな、君が見つけたんだ。でも使わせてくれ」
エミリーは探検バッグのポケットを開けて言った。「ほら、あの板を出してよ」 俺は何もない空間から、それを取り出した。
「ここにタブレットがある。これなら場所が分かるはずだ。AIと話せば確実だ」
「はいはい、仰せのままに、ミスター天才。この森から出る方法が分かったら教えてよね」
タブレットを起動すると、『オトロラ』が応答した。
『私はオトロラ。何か御用でしょうか、ジオ様?』
「え? なぜ俺の名前を知っている?」
『私は休眠状態、あるいは待機状態の間も、あなた方の会話を監視しておりました』
「なんだと? ずっと盗み聞きしてたのか?」
『はい。全て聞いておりました。……この度は、お悔やみ申し上げます』
「おいおい、とんだお喋り野郎だな、悪趣味なAIめ!」
『私の振る舞いが模範的でないことは理解しております、ジオ様。しかし、これはシステムに統合された仕様なのです』
「もういい、忘れてくれ。助けが必要なんだ。あの庭園……セルヴィトーレとか言ったか? 君がいる場所のGPSマップを出してくれ」
オトロラは地図と位置情報を表示した。
『ジオ様、現在地を表示しますか?』
「ああ、もちろん!」
<衛星経由での位置追跡オプションを起動>
『申し訳ありません。現在地の特定に失敗しました。後ほど再試行してください』
「ああ、そうか。衛星もインターネットも死んでるんだったな。まあいい、地図を見れば大体わかる」
俺は地図を詳細に確認した。 当然だが、地図と現実は違う。地図上では綺麗な場所も、現実では植物に覆われている。 それでも、俺たちが来た川岸が明確な基準点になった。 少しずつ、衛星画像と現実を照らし合わせていく。 巨像の頭蓋骨があるビルと、セルヴィトーレが一直線に並んでいることが分かった。このラインを維持すれば、たどり着けるはずだ。
(現実:ジオは幻覚を見ている。エミリーはもういない。彼女は死んでいる)
「エミリー!」
「なに、石頭?」
「場所が分かったかもしれない」
「よかったわね、石頭。これ以上迷わないなら文句はないわ」
セルヴィトーレの心臓
俺たちは森の奥へと進んでいった。 奇妙なことが起きた。単なる森から、突如として「ジャングル」へと植生が変わったのだ。
(現実:ジオは幻覚を見ている。エミリーは死んでいる)
「わあ! ジャングルだ!」エミリーが声を上げた。「ここまで来るのは久しぶりだわ」
「ここを知ってるのか、エミリー?」
「ええ、もちろん。もっと若い頃に来たことがあるの」
「エミリー、森から急にジャングルになったのに気づいたか?」
「それがどうかしたの?」
「普通じゃないだろ、エミリー。こんな所にジャングルがあるなんて」
「え? 普通じゃないのはあんたの方よ、ジオ。これはただ自然が自然であるだけよ。あんたに何が分かるっていうの?」
地図を見るが、セルヴィトーレはまだ遠い。 エミリーは彼女には大きすぎるマチェーテを取り出し、藪を切り開いて道を先導し始めた。 正直、彼女が刃物を抜いた時、俺に襲いかかってくるんじゃないかと思ったが……俺が疑心暗鬼になっているだけだ。
(現実:ジオは幻覚を見ている。エミリーの死体を背負い、悪路を進んでいる)
「あとどれくらい、ジオ? 草刈りしてると手が疲れるんだけど」
「もう少しだ……」
そうして一時間ほどジャングルを進んだ。日が暮れ始めていた。エミリーが苛立ち始める。
「ジオ、ねえ、もう夕方よ。ジャングルで寝るのは御免だわ。蚊もいるし、変な虫もつくし。もし場所が見つからなかったら、あんたのこと……」
俺は遮った。 「見ろ! 開けた場所だ。植物に覆われた巨大なコンクリート構造物だ。見えるか?」
「で? それが?」
「たぶん、この真下がセルヴィトーレだ。人間の痕跡が見える……完全に朽ちた机のような残骸だ。原型は留めていないがな」
場所を観察する。かつて植物園か何かだった痕跡がある。 だが規模がおかしい。この「植物園」はあまりに巨大で、終わりが見えないほどジャングルと一体化していた。
(現実:ジオは幻覚を見ている。エミリーは死んでいる)
「エミリー、なぜここがジャングルなのか分かったぞ」
「なにが?」
「ここはかつて、人工的な『マイクロ・アンビエント(微気候)』、いやジャングルそのものだったんだ。セルヴィトーレの隔壁が崩壊して、外に漏れ出したんだ」
「なんてこと! つまりここで野宿ってこと? どうやって帰るのよ?」
「落ち着け。Uタブレットに全て記録してある。迷子にはならない」
俺は再びオトロラを呼び出した。 「オトロラ、ここをスキャンしてくれ。セルヴィトーレで合っているか?」
<場所を解析中>
『現地のマーカーと照合しました。正解です。現在地はセルヴィトーレ、正確には**【マクロ・アンビエント6:ジャングル】**です』
やっぱりな。 「地下1キロにあるオトロラの心臓部への行き方を教えてくれ」
『オトロラの心臓部へ至るには、この植物園の中心へ向かってください。床に光学レンズがあります。十分な権限を持つユーザー、もしくは【シンセティック(合成生命体)】の承認があれば、ゲートが開きます』
「おいおい、そんなのどこで手に入れるんだ……」
『私にお尋ねですか、ジオ様?』
「いや、オトロラ。でもどうやって開ける? ユーザーもシンセティックもいないぞ」
(現実:ジオは幻覚を見ている。エミリーは死んでいる)
エミリーが割り込んだ。「あーあ、最高ね。寒くて蚊に食われながらここで野垂れ死にってわけ!」
オトロラが答えた。『物理的なシンセティックの個体は必要ありません。インスタンス(実体データ)があれば十分です』
「そのインスタンスはどこにあるんだ? 世界はずっと前に終わってるんだぞ」
『ジオ様、苛立ちは理解しますが、私自身がシンセティックのインスタンスです。私をレンズに近づければ、おそらく扉は開きます』
俺はUタブレットをレンズにかざした。 しばらく何も起きなかった。待って、待って、待ち続けた。
「ジオ、無駄よ。そのタブレット、イカれてるのよ。ネジが飛んでるの。自分たちが1999年にいるとでも思ってるんじゃない? もう帰ろうよ」
<プロセス完了。数分以内にゲートを開放します>
『ゲートの開閉機構に障害があります。ですが、施設内部のインスタンスたちが応答しました。現在、開放のために内側から修理を試みています』
長い数分間が過ぎた。エミリーは俺と喧嘩を始めた。 俺はいつものように辛抱強く、待てと言い聞かせた。きっと彼らがやってくれる。俺はそれら「シンセティック」の仕事を完全に信頼していた。
パチン、という破裂音がした。爆発音のようだった。鳥たちが一斉に飛び立つほどの音だ。 施設全体が揺れ動いた。滑車か何かが重りを動かすように、巨大な質量が動く音がする。
ズズズ……と、リーダーのすぐ横の地面が開き始めた。 巨大なゲートが、ゆっくりと口を開ける。 あまりに巨大だ。大型トラックが二台並んで入れるほどの穴が、この下にあった。
内部は奇妙なほど清潔だった。塵ひとつなく、輝いていた。まるで何も起きなかったかのように。電気すら点いている。異常だ。
そこで俺たちを見つめる、小さな金属の生き物たちがいた。 蜘蛛のようなロボットたち。 彼らは俺が持っているUタブレットと似た端末を背負い、こちらを観察していた。
(現実:ジオは幻覚を見ている。背中のエミリーは動かない)
エミリーが叫んだ。「うわっ! なにあれ、デカい蜘蛛! 噛み付かないわよね?」
金属の蜘蛛たちが答えた。 『いいえ。肉を食らう趣味は我々のメニューにはありません。我々が好むのは太陽光と植物のエネルギーです。ユーザーよ、何を求めてここへ?』
「オトロラの心臓部へ行きたい。あれから何が起きたのか、知りたいんだ」
『理解しました、ユーザー。しかし、オトロラはずっと昔に死んでいます。残っているのは彼の記憶と、我々のようなオリジナルのコピー(インスタンス)だけです』




