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食う物と食われるもの

東誠一(あずま せいいち)。兵庫県の知事として二十年近くも君臨してきた男。その存在はもはや「地方政治家」の枠を超え、ひとつの巨大な権力装置の象徴のように語られてきた。

 だが、政権交代の嵐は確実にその牙城を揺さぶった。与党の大敗、野党による連立内閣の誕生。少し前に新しい知事が選ばれたのも、時代が変わる予兆だったのかもしれない。


 藤原知事の就任前後から続発している不可解な自殺や失踪事件。東財閥の名は、表立って報じられることはなかったが、裏では何度も浮かび上がっては消えていた。由梨はその影を記事に落とし込もうと必死だった。


――人はそう簡単には死なない。


神戸シティ新報の編集会議。

由梨がまとめた「長谷川市議失踪と不審死の疑惑記事」は、机に置かれるや否や編集長に突き返された。


「高橋、長谷川の件な、無しになった。これ以上の取材はしなくていい」

編集長の声は低かった。


由梨は思わず問い返す。

「なぜですか、市民の代表がこんな形で亡くなってるんですよ…」


「わかってる。でも記事は通せない。現にお前は危険な目に遭っている。」


「でもそれが今回の事との関係は・・・」


理由は言わずともなんとなくわかる。

神戸シティ新報の大口スポンサーには「東グループ」の関連企業が名を連ねていた。


東グループの県や市に対しての影響は、東誠一が居なくなっても大きいのだ。


由梨はやりきれない気持ちと、どこか安堵したような気持が交互に去来した。



帰宅後、パソコンを開くとSNSや動画サイトには「長谷川市議は裏金で豪遊していた」「愛人にふられて首を吊った」といった根拠のない噂が溢れていた。

中でも暴露系YouTuberの生配信は、まるで内部情報を握っているかのような切り口で「自業自得だ」と笑っている。


しかし由梨の目は鋭く光る。

(これは……誰かが意図的にリークしている。警察や政界からしか出ない資料まで混ざっている)


民衆はそれが真実かどうかではなく、自分より不幸な人を欲している。

名前を売るためのスケープゴート探し。魔女狩り。

金になる噂は人の死をも飲み込み、真実を塗り替える。

彼女は吐き気を覚えた。



翌朝。汐路港駅から各駅停車に乗り、次の汐路駅で快速に乗り換える。

空いた各停から混み合った快速の車内に押し込まれたその瞬間、目の前に壁のようにスーツの男の背中があった。

ふっと鼻をかすめる匂い。


(この香り……)


電車がカーブを通過した時、車両が揺れた。由梨は思わず彼の背中にもたれかかってしまった。


男はびくともしなかった。

「っ……」香りが強くなる。

胸が一気に熱を帯びる。頭の中が沸騰したように、言葉が浮かばない。


(この人――!?)


顔は見えない。だが、心臓はやけに速く打ち続けていた。


快速電車に揺られながら、由梨は目を閉じて深呼吸した。落ち着こうとしても、胸の高鳴りはおさまらない。

別の事を考えようと、人垣の隙間から車窓に映る自分の顔を見つめているうちに、少し前の記憶がよみがえった。


――数か月前、県庁の会見室。

当選したばかりの藤原新知事が壇上に立ち、改革への決意を語ったときのことだ。


「これまでの利権構造は、県民の信頼を大きく損なってきました。私は一つひとつを洗い直し、透明で公正な県政を実現します」


言葉は真っ直ぐで誠実だった。

だが、会場の空気はどこか冷ややかで、記者たちの一部からは小さく失笑が起こる場面もあった。

「理想論だな」「前任の東誠一の牙城を崩せるわけがない」と嘲る声が後方でひそひそ交わされた。


由梨はその場で、不器用に真剣な藤原の表情を忘れられなかった。

冗談も交わせず、ただ真面目に県政を語るその姿は、むしろ孤独に見えた。

――だが同時に、時代の空気がわずかに変わる予兆を彼女は感じ取っていた。


電車が三宮駅に到着し、由梨は改札を抜けて会社へ向かった。

あの香りと、あの日の記憶が交互に胸をざわつかせる。

また、彼女の知らぬところで、何かが確かに動き始めていた。


新聞社に着くと、同僚の記者がぼそりとつぶやいた。


「そういや、長谷川の件も“東”が絡んでるって噂だな。まあ 東に関してはそんな話ごまんとあるが」

「知事が変わってから妙にきな臭いな。二十年も知事の椅子に座ってたんや、そりゃあ今までの付き合いのあった企業や政治家なんか大騒ぎやろな。」


その名を聞いて、由梨は息をのむ。

(東……東財閥。やっぱり、そこに繋がっている?)

大きな獲物が目の前にある。

だが由梨は知る由もない。その獲物は虎やライオン程度ではない事を。


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