7-8 甘美な囁き
第七幕 王家の記憶ー後編ー
八章 甘美な囁き
青の王子が死の雪に倒れてから三日が経った。セルリアンは、自室の寝台に横たわり、自らの命が急激に衰えていくのを、身をもって感じていた。彼の体は、死の雪の呪いによって、急速に冷たくなり、意識も、時折、遠のいていく。
セルリアンの傍らには、スカーレットが座っていた。彼の顔は、深い悲しみと、後悔に満ちていた。彼は、自分のせいで、兄がこのような状態になってしまったと、自らを責めていた。
「……」
スカーレットは、俯いたまま、無言でセルリアンの手を、両手で遠慮がちに握りしめた。彼の視線は、だたぼんやりと兄の手を見つめていた。
セルリアンは、スカーレットのその手から、温かい光を感じ取っていた。彼は、その光に心の安らぎを感じていた。
「…スカリー。おまえのせいじゃない。気にするな」
セルリアンは、そう言って、弱々しく微笑んだ。彼の言葉は、スカーレットを安心させようとする兄の深い愛に満ちていた。けれど、スカーレットは俯いたままで言葉を返すことができないでいた。
その時、ブラッドリィが部屋に入ってきた。彼の顔には、疲労の色が濃く浮かんでいたが、その瞳は、まだ諦めてはいなかった。
「殿下。もう一度、試してみます」
ブラッドリィは、そう言って、セルリアンの体に魔力を注ぎ込んだ。しかし、彼の魔力は、死の雪の呪いには、全く通用しなかった。
「…無駄だ、ブラッディ。もう、いいんだ」
セルリアンは、そう言って、静かに首を横に振った。彼の言葉は、彼の命がもう長くないことを、物語っていた。
ブラッドリィは、セルリアンの言葉に、深く頷いた。彼の瞳には、悔しさと、そして、深い悲しみが浮かんでいた。
「…スカル。おまえも、少し、休め」
ブラッドリィは、そう言って、スカーレットに休むように促した。スカーレットは、兄の傍を離れたくなかったが、ブラッドリィの言葉に、静かに立ち上がった。
兄の部屋を後にしたスカーレットは、兄を助けることができないという深い絶望の中にいた。
自室へ向かう途中、王宮の回廊で、スノウに遭遇した。
スカーレットの心は即座に緊張と警戒で固まった。数日前何度も自分を狙ってきたことを思い出し、足取りが硬くなる。
「……」
視線を合わせずに通り過ぎようとしたその時、スノウが小さな声で呟いた。
「セルリアンの病、あの天才魔術師でも難しいみたいだね。……僕の加護も及ばないんだ」
スカーレットの足が止まる。
兄の病のことを知っている。しかも、ブラッドリィが失敗したことも言い当てている。
「なぜ…兄上のことを」
警戒を隠さぬ声で問いかけると、スノウは薄く笑った。
「君が信じるかどうかは自由だよ。ただ、方法があるのは確かだ。セルリアンを助けられるかもしれない手段が、ね」
その声音は不気味に甘く、耳に絡みつく。
スカーレットの胸に、言いようのないざわめきが広がった。
「……どういう、ことだ」
問い返す声は震えていた。
スノウは、彼の反応を待っていたかのように、囁きを重ねる。
「禁術さ。術者の感情を代償にする。永遠に呪いを背負うことにもなるだろう。それでも、君は兄を失いたくないんじゃないの?」
心臓を掴まれたようだった。
いつものスカーレットなら、こんな言葉など一笑に付していたはず。だが、兄が日に日に弱っていく現実の前で、冷静さは霧散していた。
(僕がもっと強ければ……兄上を救えたのに)
自責の念が、囁きに溶け込むように胸を締め付ける。
「……兄上は、僕のせいで」
呟いた言葉は、自分自身への呪いのようだった。
スノウの瞳が暗く光る。彼は決して背中を押さない。ただ、耳に甘い毒を流し込むだけだ。
「決めるのは君だよ。スカーレット」
静寂の中、スカーレットは唇を噛みしめ、やがて低く問うた。
「……その禁術。どういうものか、教えてもらえますか」
その日から、スカーレットは兄の部屋に姿を見せなくなった。




