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髑髏王と枇杷の姫  作者: べにいろたまご
第七幕 王家の記憶-後編-
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7-7 砕けた結界

第七幕 王家の記憶ー後編ー

七章 砕けた結界



 死の雪は、天使の命を削り取って作られる、絶対的な呪いだ。漆黒の輝きで見るものを魅了し、冷たい結晶で標的の身体を濡らし、確実に命を奪う。一度触れてしまえば、如何なる魔術や魔法でも、回復させることは不可能に近かった。



 庭園で、スカーレットはただ立ち尽くし、空を仰いでいた。

 気づけば、さっきまで地を埋め尽くしていた魔物の群れは跡形もなく消えている。広がるのは、不自然なほどの静寂。世界が息を潜める中、頭上の黒い雪の塊だけがゆっくりと脈動していた。


 やがて、それは光を帯びた。

 漆黒でありながら宝石のように煌めく結晶が、降臨する神聖さを装いながら、静かに地上へと舞い降りてくる。音もなく、ただ異様な美しさで彼を絡め取り、スカーレットの足をその場に縫い止めた。

 降下する雪は、彼の全身を今にも呑み込もうとしていた。


 その瞬間――。


「スカリー!!」


 裂けるような声と共に、目の前に氷の粒子が渦を巻き、セルリアンが現れた。

 弟を覆う黒の幻惑を一刀のように断ち切り、彼はスカーレットの視界を遮る。


「兄上……!?」

「無事かっ!」


 安堵と同時に、背後から迫り来る死の雪の気配が肌を焼く。

 もう防御結界を張る余裕はない。転移で逃れる猶予もない。

 セルリアンは一瞬で悟った――守る術はただ一つ、自らが盾となること。


「スカリー、目を閉じろ!!」


 叫ぶや否や、彼は弟の腕を力強く引き寄せ、胸に抱き締める。片手でその頭を押さえ、欠片ひとつたりとも触れさせまいと、覆いかぶさるように全身で包み込んだ。


 次の刹那、死の雪が地を叩いた。

 ザアアア――豪雨を思わせる轟音と共に、漆黒の結晶が二人を呑み込み、庭園の景色を真っ黒に染め上げた。


 降りやまぬ雪は瞬く間に世界を埋め尽くし、そして跡形もなく霧散する。

 残されたのは、スカーレットを守り抜いた兄の背。

 その代償として、セルリアンは自らの全身に死の雪を浴びていた。



 代償は、兄が負った。

 雪が霧散した瞬間、セルリアンの体がびくりと硬直し、冷気が彼の血の中へ逆流するように走った。

 その身は、急速に、凍りつくかのように冷え始めていった。


「兄上……っ!」


 スカーレットは、覆い被さって庇っていた兄の腕の中から身を起こし、絶叫した。

 本能でわかる。これは取り返しのつかない悪しき兆候――。恐怖に喉を焼かれながらも、彼は兄の体を抱き寄せ、必死に温めようと両腕に力を込めた。だが、セルリアンの体温は手のひらから逃げていく一方で、冷たさがじわじわと弟の腕に伝わってくる。


「…大丈夫だ……スカリー……」


 セルリアンは、弱々しく名を呼び、安心させようと微笑もうとした。震える指先で弟の頬に触れようとする。

 だがその力はすぐに途切れ、身体を支えきれず、彼はゆっくりと膝から崩れ落ちた。


「兄上っ!!」


 スカーレットは声にならない叫びを漏らし、必死に兄の体を抱き留める。

 その胸は上下をやめ、瞳の焦点が揺らいでいく。


「兄上…っ、セリア……!しっかり……僕を見て……!」


 彼は震える手で兄の身体を擦り、必死に呼びかける。

 心臓を掴まれるような混乱の中で、それでも助ける道を探そうとする。


「セリア!!頼む、こっちを見ろ!……っ、ブラッド!ブラッド!!どこだ……ブラッドはどこだ!!」


 兄を失う恐怖が、喉から悲鳴となって漏れ出る。

 スカーレットは縋るように、最後の望みを託せる友の名を、何度も何度も叫んだ。




 そのとき――乾いた音を立てて、庭園に張り巡らされていた氷結の結界が、ひび割れ、粉々に砕け散った。

 凍てついた破片が宙を舞い、そのきらめきの中から、影のように白い人影がゆっくりと姿を現す。


 スノウだった。

 封じられていた死の力が解き放たれ、彼の周囲には淡い霧のような冷気が滲み出している。


 弟の腕に抱かれて倒れているセルリアンを見下ろすと、スノウは唇の端を歪め、勝利の笑みを浮かべた。その瞳には、狂気の光がいや増しに燃えていた。


「…ふふ。セルリアン。君は最後まで、僕の邪魔をしてくれるね」


 その囁きは、氷片の砕ける音よりも冷たく響いた。

 スノウはゆっくりと歩み寄り、スカーレットの背後で立ち止まると、弟の肩越しにセルリアンの顔を見下ろした。


『…愚かだね、セルリアン。だから言ったろう?人の子は天使に叶わないって。君は、自分の命を、僕とスカーレットの未来のために捧げてくれたようなものだね』


 スノウは、セルリアンの思考に直接語りかけて、勝ち誇った。そして、友人の身を案じる素振りでセルリアンの傍らにしゃがみ、彼の頬に指先で触れた。

 まるで、「残念だったね」とでも言うように。


 倒れたセルリアンの意識は、急速に薄れていく。

 しかし、彼の瞳はまだ、スノウを、そして、スノウの隣にいるスカーレットを、捉えていた。


(スノウ!!…くそっ…!動け…!…動け…!せめて腕だけでも…指先だけでもいい…!動いてくれ…!)


 セルリアンは、心の中で叫んだ。

 彼の体は、死の雪によって、完全にその機能を停止させられていく。しかし、彼の心は、まだ諦めてはいなかった。


(…スカリー…!逃げろ…!…絶対に、そいつの言葉に耳を貸すな…!頼む、聞こえてくれ…!私の声を…!)


 セルリアンは、弟に向けて、心の中で叫び続けた。

 スカーレットにこの想いがどうにか伝わってくれと、祈るように、繰り返し、何度も何度も。セルリアンには、それしか方法が残されていなかった。




 スカーレットは、スノウには目もくれなかった。

 肩に触れるその手も、耳元で囁かれる甘言も、ただの雑音にすぎない。彼の世界は、腕の中で冷えていく兄だけで占められていた。


「兄上……兄上……っ!」


 震える声で呼びかけ、擦り寄せ、温もりを取り戻そうと必死に願う。

 けれど返ってくるのは、冷たさだけ。

 ついさっき、抱き締められた安心感も、声の響きも、すべてが指の間から零れ落ちていく。


 スノウは、その必死の姿を見下ろし、満足げに微笑んだ。

 どんなに言葉をかけても届かない――そんな現実を、セルリアン自身に思い知らせるかのように。


(くそっ……!動け……!せめて、声を……!)


 セルリアンは必死に心の中で叫んだ。

 けれど、スカーレットには届かない。

 弟の心を支配しているのは、ただ兄を失う恐怖だけだった。


 嗚咽と共に涙を零すスカーレットの肩を、スノウはあたかも慰めるように包み込んだ。


「…大丈夫だよ、スカーレット。君には、僕がついてる」


 その声は甘やかに耳を撫でる。だが、スカーレットには意味など届いていない。ただ虚ろに、兄を見つめ続けていた。


 それはセルリアンにとって、酷く残酷な光景だった。


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