6-2 第二王子スカーレット
第六幕 王家の記憶ー前編ー
二章 第二王子スカーレット
スカーレットの意識は、時の流れを遡り、次の記憶へと辿り着いた。
彼はいま、十六歳になった自分の体に宿っている。
眼前に広がるのは、城の訓練場だった。城壁に囲まれた広大な空間では、帝国騎士団の若き騎士たちが剣を交わし、魔法を放ち、額に汗して鍛錬を積んでいる。鋼と鋼が打ち合う音、火花の閃光、荒い息遣い。それらすべてが大帝国の武を支える日常であった。
スカーレットもまた、その一角に立ち、魔剣を振るっていた。
彼の剣技は、すでに騎士団でも群を抜いており、流麗な一撃のたびに、周囲の空気が震えた。剣から噴き出す炎は、彼の動きに呼応するかのようにうねり、燃え盛る竜のごとく標的へ襲いかかる。訓練用の人形は灼熱に包まれ、轟音を上げて崩れ落ちた。
熱風が場を駆け抜け、見守る騎士たちは思わず息を呑む。誰もが、第二王子の力量を目の当たりにしていた。
「さすがスカーレット殿下……剣も魔法も、帝国騎士団の誰よりも上だ」
感嘆の声が漏れる。スカーレットはそれにただ微笑みを返すだけだった。彼にとって力は誇示のためのものではない。――敬愛する兄セルリアンのために、強くあり続けるのだ。
剣を収めたスカーレットは、視線を訓練場の隅へ向けた。
そこに佇むのは兄、セルリアン。弟の活躍を、変わらぬ優しさを湛えた眼差しで見守っていた。その瞳には誇りと深い愛情が宿っている。
「兄上」
駆け寄ったスカーレットに、セルリアンは微笑み、手を伸ばす。大きな掌が弟の頭を撫で、温もりが心の奥まで染み渡る。
「見事な腕前だ、スカリー。おまえはもう、私を遥かに超えているな」
その言葉に、スカーレットは静かに首を振った。
「そんなことはありません。僕は、兄上には一生敵いません」
本心だった。
剣技も魔法も、確かに自分は強くなった。けれどセルリアンはただの魔法使いではない。氷結の魔法を操る彼は、知略と統率の力によって戦場全体を制する存在だった。冷気の一閃は敵を凍らせるだけでなく、戦局を読み切る計算の結晶だったのだ。
二人が並び立つ姿を、訓練場の騎士たちは畏敬の念を込めて見つめていた。
――バーミリオン帝国の未来は、この兄弟に託されている。誰もがそう信じていた。
「もうすぐ、僕たちの出番ですね」
スカーレットが呟くと、遠くから、低い咆哮が響いてきた。
帝国の繁栄の影で、魔物の数は確実に増え続けている。
「ああ。だが、無理はするなよ、スカリー」
セルリアンはそう言い、弟の肩に手を置いた。その声音は穏やかだったが、瞳の奥には影が潜んでいた。心配と、そして言葉にできぬ憂慮。
スカーレットの胸がざわつく。
(兄上は……この頃すでに、闇の魔力に苦しんでいたのか)
ローズグレイの言葉が脳裏をよぎる。兄が背負っていた孤独な苦しみ――それが、この優しさの奥に潜んでいたのだ。
その夜、スカーレットは兄の部屋を訪れた。
質素ながら整えられた室内。机の上には氷結の杖と幾冊もの書物が置かれ、そのひとつをセルリアンが読んでいた。
「兄上、何を読んでいるのですか?」
問いかけに、セルリアンは書を閉じる。分厚い革装丁の表紙には、古代語の銘が刻まれていた。ページの隙間からは、わずかに冷たい気配が滲み出している。
「大したことではない。この世界の『理』について、少し調べているだけだ」
そう微笑む兄。しかしその笑顔はどこか寂しげで、嘘を隠しきれてはいなかった。
「兄上……僕に隠していることはありませんか?」
真っ直ぐな視線に、セルリアンは一瞬言葉を詰まらせた。だがすぐに、いつもの柔らかい笑みに戻る。
「何のことだ、スカリー。私はおまえに隠し事などないさ」
そう言って頭を撫でる兄の手は、わずかに震えていた。その震えから、スカーレットは言葉では届かない恐怖を感じ取る。
(兄上は……僕を心配させたくなかったんだな)
胸が締めつけられる。今感じているのは、温かく切ない兄の愛情だけ――けれどその奥には、確かに迫りくる闇の気配が潜んでいる。
セルリアンはふと弟を抱き寄せ、力強く囁いた。
「スカリー。おまえは私の誇りだ。おまえがいるから、私はこの国の未来を信じられる」
その腕に包まれながら、スカーレットの瞳から涙がこぼれた。
それは兄の愛に触れた喜びであり、同時に、その孤独を思う悲しみの涙でもあった。
そして彼の心のどこかで、この愛しい兄を飲み込もうとする“影”――スノウの気配が、かすかにざわめいていた。




