5-3 森のざわめき
第五幕 いにしえの魔女
三章 森のざわめき
宵闇の森の奥深く。
レイブンとミィは、一人の魔女と再会していた。
淡い新緑を思わせる肌に、灰薔薇色がかった長い髪が波のように腰を越えて流れ落ちる。金色の瞳は夜闇を照らす灯火のように輝き、その光の奥には、世界の理を見通す鋭さと、どこか寂しげな影が宿っていた。
「……マスター」
レイブンの口から、無意識にその呼び名がこぼれる。
すると、ミィが小さく身を震わせて反論した。
「レイブン。あんたの今の主は、スカーレット様でしょ」
二人のやりとりを、魔女は静かに見つめていた。その瞳の奥に宿るのは、懐かしさと、ほんのわずかな寂しさ。
「レイブン。ミィ。久しぶりだね」
柔らかに微笑む。その笑顔は、かつて二人が仕えた主のものと寸分違わなかった。
「ミィ、君はブラッドリィから託された奇術を使いこなせるようになったかい?」
魔女の問いかけに、ミィは思わず目を瞬かせた。その微笑みが、なぜだかブラッドリィのものに重なって見える。強さと優しさを同時に含んだ笑顔。二人の絆が、思わぬところで重なっているかのようだった。
その時――森が、ざわめいた。
大地がうねり、木々が大きく揺れる。枝葉が軋み、獣の低い唸り声が四方から響き渡る。森の奥から、黒い影が次々と姿を現した。無数の魔物たちが、牙を剥き、赤く光る眼をぎらつかせて魔女に向かって殺到してきたのだ。
それは百を超える群れ。地を蹴るたびに土が跳ね上がり、夜気を焦がす咆哮が森を震わせる。彼らにとって魔女は、この地に満ちる秩序を乱す異質な存在だった。
「マスター、お下がりください!」
レイブンが羽を広げ、ミィは背を丸めて威嚇の声をあげる。しかし魔女は、一歩前へ進み出た。金の瞳に恐怖の色は一切なく、むしろ揺るぎない静けさを宿していた。
「大丈夫だよ。二人とも」
彼女は木製の杖を手に取る。古木から削り出したその杖の先端には翡翠の宝玉が嵌め込まれており、魔女の魔力に共鳴して淡く光を帯び始めた。
杖を高く掲げると、宝玉は宵闇を貫くようなまばゆい光を放った。その光は森の隅々まで行き渡り、襲い来る魔物たちを包み込んでいく。ただ眩しいだけでなく、胸の奥に温もりを灯すような、懐かしい光。
「森羅万象よ、鎮まれ」
その声が響くと同時に、魔物たちは次々と足を止めた。荒々しい咆哮は低い唸り声に変わり、やがて子守唄のような穏やかな響きへと溶けていく。鋭い牙を剥き出していた獣たちは瞼を閉じ、光に抱かれるように地へ伏した。数百の魔物が眠りに落ち、森は再び静寂に包まれる。
魔女はゆっくりと杖を下ろし、静かに森の木々を見渡した。彼女の力は森羅万象を操り、世界の理に触れるもの。その感覚の中で、スカーレットの闇の魔力が、木々の根深くに染み込んでいるのを悟った。
「……ずいぶんと、根深い闇だね」
小さく呟き、そしてレイブンとミィに視線を戻す。
「さて。城主に挨拶をしたいところだが……今日はもう遅い。明日の朝に伺うとしよう」
そう言うと魔女は二人を従え、森の高台へと歩み出た。そこから見えるのは、宵闇に浮かび上がる城。闇に包まれたその姿は、まるで巨大な髑髏が森を睥睨しているかのようだった。
(あの子に頼まれたからね……少しだけ、様子を見ておいてあげようか)
金色の瞳に、深い愛情と痛ましい悲しみを宿して、魔女は静かに城を見つめ続けた。
――同じ頃。
城にいるスカーレットもまた、その壮大な魔力の気配を感じ取っていた。
それは自らの闇の魔力と共鳴するように胸を震わせる。だが彼のものとは性質が違う。大地そのものを支配するかのような威厳を帯び、同等か、あるいはそれ以上の存在感を放っていた。
「この気配は……」
スカーレットは眉をひそめる。胸の奥に、説明のつかないざわめきが広がる。警戒と同時に、奇妙な懐かしさが湧き上がってきた。
「……この感覚……私の知っている誰か、なのか……?」
しかし記憶は曖昧だ。呪いに蝕まれた過去の記憶は霧に覆われ、顔も名も浮かんでこない。
「レイブン……ミィ……?」
ふと、傍らにいるはずの二人の名を口にした。だが返事はなく、彼らはまだ森から戻ってこない。スカーレットは怪訝に思いつつ、不思議とその気配が彼らを害するものでないことも直感していた。
「……何者だ」
広間の窓辺に立ち、宵闇の森を見下ろす。森は沈黙を取り戻していたが、その奥深くで確かに何かが動き始めている――それを彼は感じ取っていた。
スカーレットはジェイドの傍を離れず、彼女を守り続けた。ブラッドリィの言葉どおり、ジェイドの存在はスノウを引き寄せる火種となり得る。だが今宵、森に現れたのは別の脅威。そして同時に、どこか懐かしい存在でもあった。
その夜、スカーレットは眠れなかった。未知の魔力への警戒と、その主への奇妙な郷愁が、胸を絶え間なく揺さぶり続けたからだ。




