4-8 奇術談話。ブラッドリィのド派手なイタズラ2
第四幕 稀代の奇術師
奇術談話・ブラッドリィのド派手なイタズラ②
その日の午後。
私は執務室へと戻った。机に積まれた書類を片付ける時間だけが、私にとって安らぎに近いひとときである。
だが――扉を開いた瞬間、その安息は見事に粉砕された。
「……ブラッド」
低い声が、思わず漏れる。
執務机の上に山積みされていたはずの書類は、羊の形をしたパンに姿を変えていた。窓辺の観葉植物には、緑色のパンが葉のようにぶら下がり、甘やかで香ばしい匂いが部屋中を満たしている。まるで執務室そのものが、奇妙なパン屋へと変貌したかのようだった。
「どうだい、スカル! 腹が減っては戦はできぬ、って言うだろう?」
羊パンの山から、ブラッドリィが楽しげに顔を突き出す。満面の笑みを浮かべて、両腕を大げさに広げた。
「これで君も元気もりもりだ!」
「ブラッド……お前は」
私の声が冷気を帯びる。指先から魔力の波がにじみ出しかけていた。
「いいじゃないか! たまには息抜きだよ。毎日毎日、紙に埋もれて過ごしているなんて、ナンセンスさ!」
彼はパンを一つ掴み、深呼吸してみせた。
「ほら、この香ばしい小麦の香り。たまらないね!」
私は額に手を当てる。
「ブラッド。私の執務室をパン屋にするな。それに……私の書類を、パンに変えるな。どれほどの時間を費やして、あれを整えたと思っている」
「まあまあ、そう怒るなよ。このパンは特別なんだ。俺の奇術で生まれた、世界でここだけの“羊の恵み”さ!」
彼は一枚の羊パンを宙に投げ、それを私の方へ送り出した。私は無造作に受け止め、じっと見つめ返す。
「ブラッド。いい加減にしろ。私の怒りが形を成す前に」
警告の言葉に、ブラッドリィは子どものように笑い声を上げた。
「ははは! いいね、スカル! 君が本気を出すなら、それは俺にとって最高のご馳走だ!」
そう言って、次々と羊パンを投げつけてくる。私は軽やかにそれらを受け止めながら、さらに冷たい視線を彼に送った。
「……やはり、口で言っても無駄のようだな」
「いやいや、わかっているさ」
ブラッドリィは急に真顔になり、投げる手を止めた。
「ジェイドは巻き込まない。これは俺と君の遊びだからな」
言葉には、ほんのわずかな寂しさが滲んでいた。
そして彼は、最後に一つだけ、黄金色の焼きたてパンを差し出す。
「さあスカル。このパンをジェイドと一緒に食べてくれ。甘いか、しょっぱいか――君が確かめるといい」
そう言うと、風がひと吹き、彼の姿は幻のように消え去った。
残されたのは、山と積まれた羊パンだけ。
「……ブラッド。書類を戻していけ」
私は深いため息をつき、差し出された一枚を見下ろした。手のひらにまだ、ほんのり温かい。
「……焼きたて、か。……だが書類のはずだろう、これは」
呟いて机に置く。
やがて午後の鐘が鳴るころには、羊パンの山は跡形もなく消え去り、机の上には元通りの書類が積まれていた。
ただ一枚、黄金色の羊パンだけが、机の端に残されていた。




