4-5 天才魔術師の後悔
第四幕 稀代の奇術師
五章 天才魔術師の後悔
ブラッドリィは、ゆるやかに瞼を伏せ、それから真っ直ぐに私を見据えた。
「スカル。お前は、俺がセルリアン殿下に仕えるようになった経緯を、どこまで知っている?」
私は小さく首を横に振った。彼は短く息を吐き、言葉を紡ぎ始める。
「俺は十五で王立学院を首席卒業した。お前と学院で出会ったのが十の時だから、それから五年後だ。名は勝手に広まったが、名声に興味はなくてな。その後も学院の研究室に籠もって術式だけを磨く毎日だった。……孤独な天才、というやつだ」
彼は自嘲気味に笑って、すぐ表情を引き締めた。
「そんな俺の扉を叩いたのが、セルリアン殿下だった。『ブラッディ、君の魔術は人を救うためにこそあるべきだ』――あの人はそう言って、国の窮状を語り、民への愛を惜しみなく示した。俺は打たれたよ。才を、この人のために使いたいと、初めて思った」
氷雪を散らす風のように、ひんやりとした記憶が彼の瞳に揺れた。
それからの日々は、確かに幸福だった。友であり、師でもあり、そして――兄と弟を繋ぐ第三の柱。
中庭で書類を手伝い、夜の塔で三人並んで未来を語り、訓練場でお前の木剣を受け流した。
私は相槌を打たず、黙って耳を傾ける。胸の奥に、あの黄金の日々の温度が戻ってくる。
「……だが、日常は唐突に崩れた。殿下を“病”が蝕んだんだ」
ブラッドリィはそこで言葉を切り、拳を開いたり閉じたりした。
続く声は、低く、慎重だった。
「最初は俺もそう思った。だがすぐにおかしいと気づいた。回復術は弾かれ、浄化式は沈み、転移による器官温存も意味を成さない。症状は常識を越えた速度で進行し、原因に触れられない――術式が、まるで見えない幕で“外側”へ弾かれていた」
彼の視線が宙の一点を刺す。
「(……これは病じゃない。回復を“拒む”何かが寄り添っている)――そう、強く感じた。だが、その“何か”が何なのか、証拠が掴めなかった。俺は天才だと持て囃されたが、証明できないことは断じられない。藁にもすがる思いで、手の内の術を全部、ひとつ残らず試した」
寝台脇に座る自分の姿を思い出しているのだろう。彼の指先がかすかに震えた。
「『……もう、いい』と殿下は言った。弱い声なのに、俺よりずっと強い声だった。お前はその手を両手で包み、ただ震えていた。自分のせいだと、思い込んで」
私は目を伏せる。兄の死が迫っていた頃の記憶は曖昧で、はっきりとは思い出せない。
「俺は最後の最後まで足掻いた。だが灯は細るばかりで、ついに殿下は静かに息を落とした」
ここで彼は初めて私を見る。
目の奥に、痛みと悔恨とが澄んだ光になって沈んでいる。
「……その時点で、俺の結論はひとつだった。殿下を蝕んだのは“病”ではない。だが、犯人も手段も示せない。言えなかった。お前に向かって『何者かが奪った』と断じるには、根拠が足りなかった」
言葉が胸の内で鈍く響く。
あの時の私は、彼の沈黙を「無力」と受け取った。だが実際は、証明できぬものを口にしないという、彼なりの誠実だったのだ。
「……スカル」
ブラッドリィは息を吸い、続ける。
「殿下の灯が途絶えた瞬間、お前は俺に問うたな。『兄を救う手だては、もうないのか』と。俺は『ない』と答えた。あれは、希望を奪うための言葉じゃない。根拠なき救いを口にすれば、お前をより深い闇へ突き落とすと分かっていたからだ」
静かな沈黙を挟んで、彼は唇を結ぶ。
「そして、禁術の光が満ちた。俺は止めたが間に合わなかった。……結果的に、お前に自ら門を開かせてしまった」
室内の空気が微かに冷える気がした。
私は、あの眩い光と、胸を裂くような空白を思い起こしながら、ゆっくりと目を閉じる。
「スカル。俺はお前を救えなかった。殿下の命も……お前自身の絶望も。天才と呼ばれながら、何ひとつ守れなかった」
彼は立ち上がり、私の前で深く頭を垂れた。肩がわずかに震えている。
私は黙って、その肩に手を置く。
「ブラッド。あれは――私が望んだことだ」
「……スカル」
掠れた声が返る。後悔と痛み、そして消えない友情がそこにあった。
「だからこそ、俺は決めた。証拠を揃える。疑念で終わらせない。誰が、どうやって殿下を奪ったのか――必ず突き止める。……そして、お前の呪いを解く術を見つけると」
その誓いは、夜空を貫く焔のように熱い。
私は言葉を返さない。代わりに彼の肩に置いた手に力を込めた。
私の掌に伝わる体温は、あの夜よりも確かだった。
静かな部屋に、蝋燭の炎が揺れる。
燃える影は二つ。
そのどちらも、もう後戻りはしない。




