4-3 奇術師のおもてなし
第四幕 稀代の奇術師
三章 奇術師のおもてなし
翌朝、ジェイドは朝食を終えると、じっとしていられず広間を飛び出した。彼女の胸を占めているのは、昨夜ブラッドリィが口にした「魔力の本質」という言葉。その響きが、ずっと耳の奥で燦めき続けていたのだ。
「ブラッドさん! ブラッドさーん!」
廊下を駆けながら名を呼ぶ。すると頭上から、ひょうきんな声が降ってきた。
「はーい、ここだよ、ジェイド!」
見上げると、天井から逆さにぶら下がったブラッドリィがいた。群青色の髪が重力に逆らって揺れ、アメジストの瞳が愉快そうに細められている。
「わぁ! そんなところに……!」
「ごめんごめん、ちょっと面白い実験をね。けど、君が俺を探しに来てくれるなんて嬉しいな。さて、用件は?」
「はい! ブラッドさん、あの……魔法を教えてほしいんです!」
ジェイドの声は震えていた。無能と蔑まれてきた日々の闇に射す、初めての光。彼女にとって「魔力の本質」という言葉は希望そのものだった。
「わかっているさ。昨日の続きだろう? 喜んで教えてあげよう。さあ、俺の工房へ!」
ブラッドリィは軽やかに着地すると、彼女の手を取って城の地下へ駆け下りた。
工房の扉を開いた瞬間、ジェイドは息を呑んだ。そこはまるで異界だった。壁一面には奇怪な装置がぎっしりと並び、床には使いかけの魔術書と薬草が散乱している。中央には大釜が据えられ、泡立つ液体が虹のように色を変えながら、夢のような湯気を吐き出していた。
「どうだい? 心躍るだろう?」
「は、はい……すごいです……!」
ジェイドが圧倒されていると、ブラッドリィは誇らしげに胸を張る。
「では始めよう。君に魔力の本質を説く前に、俺の奇術を見せよう。これは、俺が心から大切にしているものだ」
彼は大釜に手をかざした。瞬間、液体が強く泡立ち、虹色にきらめく。そして、釜の中から歌声が溢れ出した。透明で柔らかな声が広間を満たし、空気そのものが音に揺れているかのようだった。
「こ、これは……!」
ジェイドの胸は震え、知らず頬が熱くなる。故郷では一度も聞いたことのない響き。温かさと優しさが、心の奥深くを震わせていく。
「音の奇術だ。俺の魂を歌に変えている。どうだい、素敵だろう?」
「……すごい……本当に……!」
涙が滲む。言葉はもう追いつかなかった。
ブラッドリィは微笑むと、今度は壁際の装置に手を触れた。装置から光の糸が無数に解き放たれ、ジェイドを囲む。やがて翡翠色に輝くドレスが織り上げられ、彼女の身体にぴたりと寄り添った。
「これは光の奇術。君のためだけに紡いだドレスだ。よく似合っているよ、ジェイド」
ジェイドは自分の姿を見下ろし、胸に込み上げるものを堪えきれず声を震わせた。
「ブラッドさん……ありがとう……!」
ブラッドリィは優しく彼女の頭を撫でる。
「どういたしまして。君の笑顔こそ、俺のご褒美さ」
その時、工房の扉が軋みを立てて開いた。冷ややかな気配が流れ込み、スカーレットが姿を現す。
「ジェイド、ここにいたのか」
彼の声音は低く、しかし抑えた苛立ちがにじむ。ジェイドは慌てて駆け寄った。
「スカーレット様! ブラッドさんの奇術を見せてもらっていました!」
スカーレットの眼差しが翡翠のドレスに留まり、微かに眉が動く。
「ブラッド……」
「誤解するなよ、スカル。君の姫君を歓迎しただけさ」
飄々と笑うブラッドリィに、スカーレットは応じない。ただ静かにジェイドの手を取り、工房から連れ出そうとする。
「スカーレット様、もう少しだけ……」
名残惜しそうに振り返るジェイド。その手を、スカーレットは強く握った。
「ジェイド。お前は、私のそばにいろ」
その声には冷たさと同時に、切実な熱があった。束縛ではなく、守ろうとする強い意志。ジェイドにはそれがはっきりと伝わった。
「……はい、スカーレット様」
彼女は素直に頷き、彼と並んで歩み出す。その背を、ブラッドリィは口元に笑みを浮かべながら見送った。
「スカル。君は、本当に変わったな」
呟きとともに笑みは消え、彼の瞳に深い影が差す。
(不老不死の呪いを背負わせたのは、俺の弱さのせいだ。いつか償うと誓った。だが……君はもう独りではない。ジェイドが君を支えてくれる。よかったな、スカル)
そう胸中でつぶやき、ブラッドリィは再び作業台へと向かった。湯気に滲む工房の光の中で、友情と悔恨とが静かに揺れていた。




