2-9 小噺3 スカーレットの視点
第二幕 朽ちた果実
小噺三 スカーレットの視点
城に静寂が戻った後、私は書庫に籠り、古びた地図を広げた。ロウクワット一族が呼び起こした、決して口にすまいと封じてきた名――セルリアン。
あれは、私の兄だった。王家の正統な継承者であり、私よりもはるかに優しく、勇敢な王子。
ジェイドにそう語った時、胸の奥で長く軋み続けていた扉が、わずかに鳴った気がした。彼女の翡翠の瞳は、私の孤独と悲しみをそのまま受けとめてくれた。そして告げられた「スカーレット様は、もう一人じゃない」という言葉が、何百年も凍りついていた心を、かすかに和らげてくれた。
だが、ロウクワット一族は私の感情を嘲り、孤独を踏みにじった。何より、彼らが彼女を弄んだことが胸に重く残っている。彼女の故郷での痛みをあざ笑い、存在を否定しようとした時、心の底で久しく忘れていた感情が揺れ動いた。
本来、私は感情を捨て去った身。呪いを受けて以来、ただの闇の王にすぎなかった。けれど彼女は、その闇を恐れずにここで生き、庭に花を植え、窓を磨き、光を招き入れてくれた。そのささやかな営みが、確かに私の心を温めていた。
だから、私は彼らに誓約を課し、魔力を奪い取った。せめてものけじめとして。そして、再び彼女に手が伸びぬように。それは、私に残されたわずかな感情の名残だった。
その夜、ジェイドはスープを運んできた。酷い目に遭ったばかりなのに、変わらぬ微笑みを浮かべて。私は何も言えず、ただその温もりを口に運んだ。
「……感謝する」
そう呟いた声が、自分でも驚くほど柔らかかった。彼女は静かに微笑み、受け止めてくれた。
ロウクワットの狙いは見えている。兄を蘇らせ、王家の威光を振りかざし、再び世界を支配するつもりなのだろう。そのために、私の力や、あるいは彼女の魔力を利用しようと。
だが、私はもはや無力な王子ではない。長き孤独の果てに、この城と共にある存在だ。
書物に目を落としながら、レイブンとミィの声が耳に届いた。
「ジェイドを、そんなことに巻き込ませないわ」
「……ああ。主も、そう思っているだろう」
私は静かに目を伏せる。彼女のことを思うと、言葉にならぬ感情が胸に揺れる。
ただ、その光を失わぬように――そう願う心が、静かに息づいていた。




