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髑髏王と枇杷の姫  作者: べにいろたまご
第十六幕 魅入の鳴鐘
158/166

16-6 願いは自分で叶えよ

第十六幕 魅入の鳴鐘

六章 願いは自分で叶えよ




 森の口で、五つの影が逡巡した。

 葉擦れは東から――いや、次の瞬間には背後からも。風の筋が入れ替わるたび、足元の土がわずかに沈み、彼らの呼吸だけが大きく聞こえる。


「――止まれ」


 レイブンの低音が梢から落ちる。翼の一打ちは、空気より先に胸骨を叩く。

 鳴らない鐘が、森のどこかで確かに鳴ったように、男たちの鼓動が一拍ずれる。


「髑髏王の庭に、許可なく踏み込むな」


 先頭の男が強がって笑う。

「花を摘むだけだ。噂の“翡翠の花”を、少し――」


「髑髏王の花だ」

 あたしは枝の上から言う。緑の目が、ひとりずつを拾う。

「名も知らない願い袋で包めるほど、軽くない」


 刃に触れた指先が、指示もなく止まる。

 どこからともなく声が満ちた。


「――武器は要らない」


 乾いた男の声。

 けれど方向が分からない。

 足元の影からも、頭上からも、同じ距離で響く。

 先頭の男が肩越しに振り向いた瞬間、木立の奥で仮面が月光を返し、すぐ闇に沈む。表情はない。紋もない。ただ“人ではない何か”として、そこにいた。

 ブラッドリィ。腹話の奇術と結界の共鳴で、恐れの置き場所を奪っていく。


「帰る道は――正しく開けてある」

 同じ声が、別々の方向で重なる。

「ここは近道じゃない。願いは、他人の庭で拾わない」


 あたしは静かに降りる。地面に落ちる前に、枝葉を二枚はさみ、音を消す。

 五つの背の間を縫って、匂いを置いていく。濡れた鉄と乾いた葉を混ぜた、忘れにくい警告の匂い。次にここへ近づけば、鼻が先に思い出す。


「おい、見たか今の面……」

「何も触れていないのに、足が――」

 ひとりが足を踏み出し、影に躓く。影なんて、誰も置いていない。ただ拍を半拍だけずらしただけだ。自分の鼓動に足が合わなくなると、人は勝手に転ぶ。


 レイブンの翼が一度だけ鳴る。

 遠くの朽ちた鐘楼が、呼応するように空気だけを震わせた。音は聞こえないのに、胸が鳴る。魅入の鳴鐘――城の石と森の枝が織る、目に見えない防壁だ。


「ど、どこにいる」

「前だ、いや後ろ――」


 その迷いが頂点に達したところで、あたしは正面へ出た。

 緑の瞳をまっすぐに向ける。爪は見せない。牙も見せない。その代わり、言葉だけを鋭く置く。


「願いは、自分で叶えるものだ。ここは“誰かの願い”で踏み荒らせる場所じゃない。翡翠の花は王のもの。触らせない」


 先頭の男の喉が鳴った。見栄の匂いが、汗に変わる。

 レイブンが低く告げる。

「三度、名を呼べば道は開く。戻る名、離れる名、二度と来ない名。――さあ、言え」


 「……戻る」

 男は呟き、続けて二つ目、三つ目を震える声で告げた。

 その瞬間、枝葉の重なりがほどけ、来た獣道の輪郭がすっと立ち上がる。ブラッドリィの声が最後尾に回り、やわらかく押す。

「そのまま進め。振り返るな」


 刃は鞘に戻り、足取りはひとかたまりになった。

 誰も走らない。走ると、鐘が鳴るから。誰にも聞こえない、心臓だけが聞く鐘が。


 彼らの背が闇に吞まれ、森の匂いが元の位置に戻る。

 あたしは一拍待ってから、境界の襟元を正す。葉の音を一枚ずつ寝かせ、足跡の拍を消す。レイブンは高みに輪を描き、仮面は風に溶けて消えた。


 回廊の陰に戻ると、王様がこちらを見ていた。

 目は深いが、温度は低くない。

「終わった」

 あたしが言うと、王様は短く頷く。ジェイドは胸に手を当て、ほっと息を吐いた。


「ミィ」

「分かってる。三匹」

 王様は卓の端に小皿を置いた。銀の細い影が、約束どおりに光る。

 ひとかじり。塩の匂いが、喉の奥までまっすぐ落ちた。


 ――願いは、花に背負わせない。


 守るのが、あたしたちの役目だ。

 森の鐘は静かになり、城の呼吸がいつもの拍に戻る。


 ひだまりへ歩くジェイドの背を見送りながら、あたしは尻尾で床をとん、と叩いた。


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