16-1 縄張り
第十六幕 魅入の鳴鐘
一章 縄張り
今日は、空気が澄んでる。
外苑の影はいつも通り深いのに、結界の内側はよく乾いた布みたいに軽い。石畳はぬるく、蔓は若い芽で指先がくすぐったい。
庭にはジェイド。隣に王様。少し後ろをブラッドリィ、もっと上をレイブン。
それぞれ好きな場所で、好きな顔をして、今日は平和だって顔で笑う。
――この雰囲気、あたしはとても気に入っている。
帝都を“眠り”から起こした王様に、街の人は直接お礼を言いたがっているらしい。けど王様は前と同じ。森を一枚はさんで距離を保ち、この閉じた空間を開放しようとはしない。
それでいい、とあたしは思う。人の気持ちはすぐ移ろうから。今は英雄扱いでも、少し経てば、怖がったり、飾り物みたいに扱ったり――手のひらは器用に返る。今くらいの距離が、ちょうどいい。
ジェイドが水をやる。
「ここ、色がいいですね」
王様がうなずく。ジェイドはふと顔を上げ、慌てて視線を花へ戻した。
「今日も…一段と綺麗ですね」
日向の斑から顔だけ出して、あたしは尻尾を小さく振る。
「ジェイドったらまた言ってる。花のことか、王様のことか、どっちなんだか」
王様の口元が、ほんの少しだけ緩む。どっちでもいい。ここが温かくなるなら、それで十分。
中庭の一角――王様から譲り受けた小さな区画には、ジェイドの翡翠の花が並ぶ。この城に来てまもなく、ブラッドリィとジェイドが初めて会った時に生まれた花だ。ブラッドリィが“歓迎の奇術”で咲かせた一本から、挿し木で少しずつ増やしてきた。淡い翡翠色の花弁は、夕方になると葉脈の奥がやさしく光る。それは、見る人の息を整えてくれる、ジェイドの宝ものだ。
台所からは湯気の匂い、回廊では金具がひとつ鳴る。レイブンが高みで輪を描き、ブラッドリィは蝶番を確かめて通り過ぎる。音はどれも小さい。けれど、その小ささの違いで一日の調子が分かる。
あたしは、ジェイドが新しく植えた枇杷の木の根元で丸くなった。土は昼の名残であたたかい。まぶたが重くなる。
――うとうとと、昔の記憶を夢でたどりはじめる。
……耳が立つ。
境界のほうで、鈴が鳴らない鈴が、かすかに震えた。あたしにだけ分かる呼び声。風が半歩だけ向きを変える。草の裂け方が見慣れない。
足取りは――五つ。
ふむ。今日は、数が多い。
あたしは体を伸ばし、上空の黒い影に目配せする。レイブンが一打ち、翼をきしませた。王様へ報せるのは、いつもの順番。
……でも、その前に、もう一度だけ目を閉じる。
大丈夫。縄張りは、守れている。
ここは、あたしの好きなひだまり。
匂いがやさしい。
風もよく通う。
あたしの大切な場所だ。




