14-幕間 天使の記憶
第十四幕 暁と共に眠れ
幕間 天使の記憶
その頃、彼は純白の天使だった。
翼は透きとおる光をまとい、瞳に迷いも濁りもなかった。無数の祈りと願いを受け止めては、静かに天へ送り返していた。
だが――人々の願いは、あまりに醜く、あまりに欲に満ちていた。
財を欲する声。隣人を呪う声。己の子だけを優遇してほしいという声。
ひとつひとつに応えようとするたび、心は削られた。無償の悪意に晒され続け、純白は薄れ、胸の奥に冷たい澱がたまっていく。
ある日、彼は疲れ果て、バーミリオン帝国の郊外をさまよっていた。
陽射しの柔らかな午後。広い庭園に囲まれた邸宅、白い石の噴水を中心にしたテラスが静かに佇む。
そこに降り立ち、彼は石の縁に腰を下ろした。水音に耳を澄ませ、うなだれ、深く息を吐く。胸の重みは増すばかりで、翼さえ灰色に曇っていく気がした。
そのとき――髪にふっと、小さな指先の気配が触れた。
驚いて顔を上げると、幼い子どもがいた。まだ言葉もたどたどしい年頃。だが真っ直ぐな瞳で見上げ、何の打算もなく、彼の頭を撫でてくれていた。
「げんきだして」
邪気のない声と笑顔に、全身が洗われるようだった。
欲に濁った祈りばかり浴びてきた心が、透明な泉に浸される。翼の重みが、ひと瞬きだけ消えた気がした。
声をかけようとした瞬間、屋敷の奥からその子の名を呼ぶ声がする。
子どもはぱっと笑みを残し、庭の奥へ駆け戻っていった。追いかけたい気持ちを押し殺し、彼は小さな背中を見送る。
もう一度、あの笑顔に会いたかった。
けれど、次に訪れたときには、その子の姿はもうなかった。
忘れられない。
鮮やかな赤い髪と赤い瞳。
――その子は、確かに、そこにいた。
あの瞬間、
「げんきだして」と告げた笑顔は、他の誰でもなく――
自分――スノウひとりに向けられた笑顔だった。




