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髑髏王と枇杷の姫  作者: べにいろたまご
第十三幕 緋の揺籃
132/166

13-2 緋の揺籃

第十三幕 あけの揺籃

二章 緋の揺籃





 継命の環は、帝都全体を覆っていった。


 闇と緋が重なり合い、翡翠の繭と響き合うと、空気そのものがやわらかく揺れる。

 大通りの石畳は淡く茜色を帯び、家々の屋根瓦は朝焼けを受けたようにきらめいた。塔の影も、長い夜の闇ではなく、やさしい光の陰影に塗り替えられていく。


 光は決して強引ではなかった。

 眠りに閉ざされた魂の戸口を叩くように、ひとつずつ優しく触れる。

 返事がなければ待ち、扉が少しでも開けば、そこにひだまりを流し込む。


 まず最初に変わったのは、老いた菓子職人だった。

 かつて広場の片隅で菓子を売っていた彼は、今は倒れた屋台の下で息を潜めていた。胸はほとんど動かず、顔色も灰のように沈んでいた。けれど緋の光が胸元に触れた瞬間、わずかに指先が震えた。乾いた唇が開き、か細い呼吸がこぼれる。涙が、理由もなく頬を伝った。


 次に、産着を抱いたまま眠っていた若い母親が震えた。

 赤子はまだ眠っているのに、母の瞼が開き、潤んだ瞳から涙があふれる。抱きしめていた子の温もりを確かめるように、彼女は腕に力を込めた。その頬にもまた、理由のない涙が流れていた。


 緋の光を受けた人々は、次々と涙を流した。

 誰もが同じように、胸の奥で温もりに包まれる感覚を覚えていた。

 なぜ泣いているのかわからない。

 ただ守られている、抱きしめられている、そんな安心感に、涙が勝手にこぼれるのだ。


 街路の端では、兵士が兜を外して空を仰ぎ、肩を震わせていた。

 窓辺では老人が祈るように胸に手を当て、目から雫を落とした。

 子どもたちの小さな瞼にも、光が映り込み、頬に涙の跡を残した。


 私はその光景をただ見つめていた。

 自分の放った環が、こんなにも静かに人々の心をほどいていく。

 誰もが、死の雪に覆われていた時間を忘れるように、ひだまりの中で安らいでいる。


 死の雪は、もう脅威ではなかった。

 白い結晶は、緋の光に触れるたびに音もなく融けていった。

 氷の針のように人々を刺していたものは、いまや小さな滴となり、光の斑点へと変わる。

 地面に落ちたその雫は、ただの水ではなかった。

 輝きを帯び、命の証として残る。


 「……生きている」


 誰かのかすかな声が、広場に響いた。

 その声に答えるように、別の場所からもすすり泣きが聞こえる。

 人々はまだ完全には目を覚ましていない。それでも魂の奥では、確かに目覚めが始まっていた。


 私は一歩踏み出し、光の流れをさらに広げた。

 石畳に沿って緋の模様が走り、花のような形を描く。

 屋根の上に散った結晶が光に溶け、朝露のように輝く。

 倒れた街灯の根元には、緋色の小さな芽が顔を出した。


 その一つひとつが、人々の命とつながっている。

 命は決して一人だけのものではない。誰かの息が、誰かの鼓動を支える。

 そうして編まれた環は、街そのものをひとつの揺籃に変えていく。


 広場の端で、ひとりの少女が目を開けた。

 まだ夢と現のあいだにいるような瞳。

 けれど、彼女の頬には涙が伝っていた。

 少女は声をあげず、ただ空を見上げて泣いていた。


 その涙を見て、私は理解した。

 人々は理由なく泣いているのではない。

 魂が温もりに触れたとき、言葉より先に涙が溢れるのだ。

 それは悲しみではなく、生きている証。

 死から遠ざかり、命に戻る、その瞬間の涙だった。


 世界は、確かに目覚めに向かっている。


 私は深く息を吸い込んだ。

 胸にあった恐れは、もう消えていた。

 この光景が答えだった。


 私の闇は破壊ではない。

 命を紡ぐためのものだ。

 その確信が、胸の奥で静かに根を張った。


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