13-2 緋の揺籃
第十三幕 緋の揺籃
二章 緋の揺籃
継命の環は、帝都全体を覆っていった。
闇と緋が重なり合い、翡翠の繭と響き合うと、空気そのものがやわらかく揺れる。
大通りの石畳は淡く茜色を帯び、家々の屋根瓦は朝焼けを受けたようにきらめいた。塔の影も、長い夜の闇ではなく、やさしい光の陰影に塗り替えられていく。
光は決して強引ではなかった。
眠りに閉ざされた魂の戸口を叩くように、ひとつずつ優しく触れる。
返事がなければ待ち、扉が少しでも開けば、そこにひだまりを流し込む。
まず最初に変わったのは、老いた菓子職人だった。
かつて広場の片隅で菓子を売っていた彼は、今は倒れた屋台の下で息を潜めていた。胸はほとんど動かず、顔色も灰のように沈んでいた。けれど緋の光が胸元に触れた瞬間、わずかに指先が震えた。乾いた唇が開き、か細い呼吸がこぼれる。涙が、理由もなく頬を伝った。
次に、産着を抱いたまま眠っていた若い母親が震えた。
赤子はまだ眠っているのに、母の瞼が開き、潤んだ瞳から涙があふれる。抱きしめていた子の温もりを確かめるように、彼女は腕に力を込めた。その頬にもまた、理由のない涙が流れていた。
緋の光を受けた人々は、次々と涙を流した。
誰もが同じように、胸の奥で温もりに包まれる感覚を覚えていた。
なぜ泣いているのかわからない。
ただ守られている、抱きしめられている、そんな安心感に、涙が勝手にこぼれるのだ。
街路の端では、兵士が兜を外して空を仰ぎ、肩を震わせていた。
窓辺では老人が祈るように胸に手を当て、目から雫を落とした。
子どもたちの小さな瞼にも、光が映り込み、頬に涙の跡を残した。
私はその光景をただ見つめていた。
自分の放った環が、こんなにも静かに人々の心をほどいていく。
誰もが、死の雪に覆われていた時間を忘れるように、ひだまりの中で安らいでいる。
死の雪は、もう脅威ではなかった。
白い結晶は、緋の光に触れるたびに音もなく融けていった。
氷の針のように人々を刺していたものは、いまや小さな滴となり、光の斑点へと変わる。
地面に落ちたその雫は、ただの水ではなかった。
輝きを帯び、命の証として残る。
「……生きている」
誰かのかすかな声が、広場に響いた。
その声に答えるように、別の場所からもすすり泣きが聞こえる。
人々はまだ完全には目を覚ましていない。それでも魂の奥では、確かに目覚めが始まっていた。
私は一歩踏み出し、光の流れをさらに広げた。
石畳に沿って緋の模様が走り、花のような形を描く。
屋根の上に散った結晶が光に溶け、朝露のように輝く。
倒れた街灯の根元には、緋色の小さな芽が顔を出した。
その一つひとつが、人々の命とつながっている。
命は決して一人だけのものではない。誰かの息が、誰かの鼓動を支える。
そうして編まれた環は、街そのものをひとつの揺籃に変えていく。
広場の端で、ひとりの少女が目を開けた。
まだ夢と現のあいだにいるような瞳。
けれど、彼女の頬には涙が伝っていた。
少女は声をあげず、ただ空を見上げて泣いていた。
その涙を見て、私は理解した。
人々は理由なく泣いているのではない。
魂が温もりに触れたとき、言葉より先に涙が溢れるのだ。
それは悲しみではなく、生きている証。
死から遠ざかり、命に戻る、その瞬間の涙だった。
世界は、確かに目覚めに向かっている。
私は深く息を吸い込んだ。
胸にあった恐れは、もう消えていた。
この光景が答えだった。
私の闇は破壊ではない。
命を紡ぐためのものだ。
その確信が、胸の奥で静かに根を張った。




