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髑髏王と枇杷の姫  作者: べにいろたまご
第十三幕 緋の揺籃
131/166

13-1 環の目覚め

挿絵(By みてみん)






第十三幕 あけの揺籃

一章 環の目覚め




 夜は薄く残っていた。

 帝都の屋根はしっとりと暗く、通りの角には黒銀の花の影がまだ伏せている。

 翡翠の繭が街を包み、風は静かだ。耳をすませば、自分の鼓動だけが聞こえる。


 私は両の手を見る。

 指先に少し震えがあった。

 恐れは、まだ胸の底にいる。けれど、今日は飲み込まれない。

 私は息をひとつ深く吸って、ゆっくり吐いた。


 守りたいものは決まっている。


 兄上。

 ジェイド。

 仲間たち。

 帝都の人々。


 奪い返すためじゃない。つなぎ直すために、私はここに立つ。

 私の闇がたとえ誰かに呪いだと言われても、私は自分で選ぶ。壊す手ではなく、支える手になると。


 私は目を閉じ、心の中のざわめきを落ち着かせる。

 暗い水面に石を落としても、波はやがて消える。

 息の数をゆっくり数える。

 四つ吸って、四つ止めて、四つ吐く。

 胸の奥の重みがほどけていく。

 静かになったところで、私は手を前に差し出した。


 最初に現れたのは闇だ。

 夜の底のような黒。

 冷たさはない。

 深い土のような温かさがある。


 そこに、緋の光が重なる。

 朝焼けのはじまりみたいな赤。

 強すぎず、でもはっきりしている。


 闇と緋が触れ合っても、ぶつからない。にごらない。

 たがいの足りないところを埋めるように、きれいな輪をつくっていく。


 輪は小さく脈打った。

 私の心臓と同じ速さで、控えめに、でも確かに。

 私は名を呼ぶ。


「――継命けいめい


 言葉にしたとたん、輪は澄んだ。

 薄い曇りが、ふっと消える。

 水が一度だけ大きく脈うって広がるみたいに、光が足元から走った。

 

 最初は、石畳のひとますぶん。

 すぐに路地。

 広場。

 城門。

 屋根の上。

 塔の先。

 輪は止まらない。

 翡翠の繭の表面に触れるところで、緋の光がやさしく弾ける。

 衝撃ではない。

 叩くのではなく、ノックするみたいに、そっと触れていく。


 私はその広がりを背で感じる。

 耳の奥で、微かな音が続いている。

 遠く遠く、見えないところまで、輪は届いている。


 恐れは、もう小さい。

 胸の底に残ってはいるけれど、私を動けなくはしない。


 私はそのまま、輪に魔力を流し続ける。

 無理はしない。

 焦らない。

 急いで強くしようとすると、どこかが切れてしまう。

 今日は切らない。

 ほどけない。

 最後までたどり着くために。


 私は一歩、前に出た。

 光は私の歩幅に合わせて伸びる。

 通りの角を曲がると、眠る店先の看板に光の縁取りができる。石段を上ると、段差に沿って薄い緋が流れる。瓦の継ぎ目、窓枠の角、崩れかけた塀の裂け目。

 光はそこに留まって、縫い合わせるように静かに揺れている。


 黒銀の花は、まだ枯れ姿のまま横たわっている。

 触れない。

 焦って手折らない。


 継命の環は、花に覆いかぶさるのではなく、そっと影をほどく。翡翠の繭と重なった場所で、緋の灯が芽のように顔を出す。


 私は確かめるように、もう一度息を吸う。

 喉を通る空気の温度が、さっきより柔らかい。


 自分の中の声が、また問いかける。

 本当に、私の闇は守るためのものなのか。

 私は答える。

 私がそう決めた。

 私が使い方を選ぶ。

 もう、誰にも奪わせない。

 私の手で、私の望む形にする。


 輪はさらに澄む。

 心の奥のざらつきが、ひとつ、またひとつと消える。

 過去の後悔、言えなかった言葉、こぼしてしまった涙。

 そういうものは消えないが、重石ではなくなる。背中にのしかかっていた重みが、肩から少しずつ落ちていく。


 私は、まっすぐ前を見る。

 朝はまだ来ていないのに、視界は暗くない。


 輪の端が、城壁を越えた。

 城門の鉄のリベットが、点のように光る。

 見張り台の旗が、弱い風に揺れる。

 外の大路、その先の橋。

 輪はそこにも届いていく。


 私はここにいる。

 けれど、私の手は、遠くの場所にも触れている。

 ひとりで届かない場所に、輪が先に行ってくれる。

 私はただ、流れを途切れさせないようにする。

 手を離さない。

 呼吸を乱さない。


 膝の力が少し抜けた。

 無理はしていないつもりでも、魔力は確かに減っていく。

 けれど、今日は倒れない。


 兄上の掌の重みを思い出す。

 肩に乗ったあの温かさ。


 ジェイドの笑顔を思い出す。

 翡翠の光のやさしい触れ方。


 レイブンの低い声。

 ミィの小さな体温。

 ブラッドリィの変わらない背中。

 思い出すたび、輪の鼓動が安定する。

 私の足元は揺れない。


 遠くで、誰かの寝息が変わった気がした。

 夢の底から上がってくるみたいな、浅い呼吸。

 今はまだ、起こさない。

 今、私がやるべきことは、揺らぎなく道を敷くこと。

 ひだまりが生まれる場所まで、光の糸を切らさず渡すこと。


 私は掌を少し上げ、輪の高さをそろえる。

 屋根の上の空気がやわらぎ、細い路地の突き当たりに小さな明かりがともる。地下の貯蔵庫にも、石造りの階段にも、同じ高さで同じ明るさ。誰もが同じように届くように。どこかだけが強くならないように。

  帝都は大きい。けれど、ひとつの体のようでもある。骨と筋と血流。その全てを、過不足なく温める。


 恐れは、もう私の動きを止めない。

 私は輪に、最後のひと押しを送る。

 帝都の外れ、あの橋の手前まで。


 光は見えない糸のように引かれ、翡翠の繭の面にそっと重なる。

 触れた場所から、やさしい音が響く。

 風鈴のような、子守唄の最初の音のような。


 大丈夫だ、と私は自分に言う。

 これは破壊ではない。

 私は壊さない。私は結ぶ。

 私の闇は、ここで揺籃になる。


 輪は静かに回り続ける。

 私は肩の力を抜いて、もう一度だけ深呼吸をした。

 胸の奥の火は消えない。

 手の中の光も、にごらない。


 夜はまだ明けない。

 けれど、帝都の空気は、確かに朝へ向かっている。


 私は歩みを進める。


 次の角へ。

 次の屋根へ。

 次の扉へ。


 ひだまりの場所まで、道をつないでいくために。

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