2-2 予期せぬ追手
第二幕 朽ちた果実
二章 予期せぬ追手
宵闇の城に温かな光が差し込み始めてから、確かな時が過ぎた。ジェイドは庭園に新しい花を植え、窓辺に小さな飾りを置いた。些細な変化にすぎなかったが、スカーレットは確かに、城が以前よりも明るくなったことを感じ取っていた。それは、彼自身の心の奥底に射し込む微かな光の証でもあった。
ある日の午後、ジェイドは庭園の奥で、半ば土に埋もれた古い石碑を見つけた。苔に覆われ、風雨にさらされてひび割れた石には、判読できぬ古代文字が刻まれている。彼女が周囲の雑草を抜き、指先で土を払うと、翡翠の魔力がじんわりと滲み出し、石碑の表面に淡い光を宿した。文字は浮かび上がり、かすかな震えを帯びる。まるで長い眠りから呼び覚まされたように。触れた瞬間、彼女の心臓に冷たい棘が刺さり、同時に熱が走った。石碑は彼女の魔力を呼び水にして、封じられた何かを思い出そうとしている――そんな不気味な気配が漂った。
その時、愛猫ミィが低く唸った。
「ミャア……」
金色の瞳が、庭の先の森を鋭く射抜く。ジェイドも顔を上げ、肌を撫でる風に異質な気配を感じ取った。懐かしいはずなのに決して心地よくない――ロウクワット一族の魔力。
心臓が強く打つ。故郷を追われて以来、二度と触れることはないと願った冷たく傲慢な熱。その光は、夏の日差しが大地を干からびさせるように、慈愛や加護を欠き、ただ他者を焼き尽くす力だけを孕んでいた。脳裏に浮かぶのは「無能者」と罵り、食事を奪い、翡翠の光を異端と決めつけて追放した者たちの顔。なかでも、叔父ルビア――最も強大な光を継ぎ、最も傲慢な男の気配が際立っていた。
しかも、感じ取れる気配は一つではない。数人、それも強者がこちらへ向かってくる。
「……まさか」
ジェイドの血の気が引いた。頭に浮かぶのは城の主、スカーレットのこと。ロウクワット一族がここに辿り着けば、必ずや彼に刃を向ける。彼らにとって「髑髏王」は光の均衡を乱す災厄だ。だがジェイドにとって、この城は安息の地であり、スカーレットは救いそのものだった。大切な居場所を、あの一族に踏み荒らさせてなるものか。
彼女は石碑から離れ、ミィを抱きかかえて駆け出した。胸には恐怖と怒りが入り混じっていた。
一方その頃、城の奥の書庫で古文書を繙いていたスカーレットも異変を察知していた。影の魔力がざわめき、黒い霧のように周囲を漂う。侵入者の光が、この静寂と孤独を汚そうとしているのだ。
「……鬱陶しい気配だ」
肩に止まるレイブンが羽を広げ、不快げに声を落とす。
「光の魔力、それも随分と尊大だ。あの娘の故郷からか」
スカーレットは無言で書を閉じ、静かに立ち上がった。彼の永き孤独を破って領域に踏み込んだ者は、常に敵だった。そして今回は――彼の城に射す唯一の光、ジェイドを脅かす存在でもある。
「外へ出る」
その言葉とともに彼は門へ歩み、ちょうど駆け戻ったジェイドと鉢合わせた。
「スカーレット様！ いけません、あれは私の――」
ジェイドの声を遮るように、城門が音もなく開いた。門の向こう、黒く枯れた森が裂けるように、白々しい光が差し込む。影を押しのけるように現れたのは、数人の人影。皆が枇杷色の髪と金色の瞳を持ち、侮蔑の笑みを浮かべていた。彼らの放つ光は剣のように鋭く、周囲の影を切り裂き、スカーレットの顔を白く照らし出した。
その先頭に立つのはルビア。瞳にはジェイドへの蔑みと同時に、髑髏王の魔力を渇望するような光が潜んでいた。
「ようやく見つけたぞ、異端の娘」
冷たい声が放たれる。ジェイドはスカーレットの背に身を寄せ、震える体を必死に抑えた。
スカーレットは一歩前へ進み出る。その瞳には感情が浮かばぬまま、しかし揺らめく影が形を変え始めていた。怒りの気配を孕んだ、深い闇の波が――。
