2-1 幸せな枇杷姫の一日
第二幕 朽ちた果実
一章 幸せな枇杷姫の一日
宵闇の城にジェイドが住まうようになって、季節は二巡した。もはや「迷い込んだ娘」という言葉は、彼女には似つかわしくない。城は依然として静寂に包まれていたが、その奥底には微かな温もりが生まれていた。それは彼女の存在そのものが放つ柔らかな光であり、長き孤独に凍りついていた石造りの空間を、雪解けの水のように少しずつ潤していた。
ジェイドの朝は早い。まだ夜の帳が完全に降り切らないうちに目覚め、冷えた回廊を静かに進む。向かうのは広大な図書室だ。長く放置され、埃をかぶった棚を拭き、乱れた本を整える。文字はほとんど理解できなかったが、背表紙に触れるだけで知識の気配が指先を震わせた。ロウクワット一族では「無能者」と蔑まれ、書庫へ近づくことすら許されなかった彼女にとって、この場所は自由の象徴だった。古びた紙の匂いとインクの残り香は、彼女の胸の奥に静かな炎をともした。
次に回廊や部屋を掃き清め、窓を開け放つ。冷たく重い空気は、彼女が掃くたび軽くなり、足跡の後ろに淡い光の道が描かれる。その光は、まだ幼い翡翠の魔力の兆しだった。力は微弱で形を持たぬが、彼女が触れた壁や床は、夜明けの露を含んだ草のように少しずつ生気を取り戻していく。攻撃を誇る一族の光とは違い、彼女の魔力は大地に寄り添う春の雨に似ていた。
そして日中、最も多くの時間を過ごすのは庭園だった。黒ずんで硬かった土に手を差し入れると、翡翠色のきらめきが染み渡り、死の庭に小さな芽吹きをもたらす。ミィが花々の間を飛び跳ねる姿を見守りながら、ジェイドはこの庭こそが自分の居場所だと感じていた。
スカーレットは遠巻きに彼女を見つめていた。影の魔力を持つ彼にとって光は本来不快であるはずなのに、その視線には拒絶がなかった。むしろ、彼女の光が満ちるにつれて影は静まり返り、レイブンの目には、長き孤独に閉ざされた主の心がほんの少し揺らぐ様子が映った。
ジェイドもまた、その揺らぎに気づいていた。彼が突き放さない限り、それを最大の優しさと受け取り、決して邪魔をせず、だが離れず、静かに暮らしを続けた。毎夕、彼の部屋へ運ぶ食事。最初は戻されるばかりだったが、今はわずかに減って戻ってくる。特に枇杷のジャムを塗ったパンは、彼のお気に入りとなった。
「主も、少しは人間らしいことをするようになったな」
レイブンが皮肉を言うと、ミィは胸を張って「当然でしょ！」と飛び乗り、揺さぶった。二人の軽口は、陰鬱な城に新しい響きを与えていた。
ジェイドは確かに満たされていた。必要とされること。信じてもらえること。追放されたあの日に失った価値を、今は取り戻しつつある。だが同時に、城の奥で見つけた摩耗した王家の紋章が心に影を落とす。そこには「セルリアン」という、もう一人の王子の名が刻まれていた。
夕暮れの空を仰ぎながら、彼女はそっと呟く。
「きっといつか、この城は、もっと温かい場所になるわ」
その翡翠の瞳は未来を見据えていた。しかしその未来が、安らぎだけをもたらすとは限らない。城の深奥には、まだ触れられていない数多の秘密が眠っている。そのすべてが、やがて彼女と髑髏王をさらに深く結びつけるだろう。温もりと共に、避けがたい影を連れて。
