11-1 繭と環の起動
第十一幕 翡翠の祈り
一章 繭と環の起動
鐘楼に、冷たい風が吹き込んでいた。
雪はまだ降り続いている。白と黒と銀が混ざり合い、帝都の大通りから路地にまで広がっていた。人の息を奪う黒銀の花が、夜空の下で音もなく咲き続けている。
私は翡翠の糸を胸の奥から引き出し、両手の間に集めた。
繭を紡ぐために。
「黎明の繭」──私が受け継いだ術。命を眠りに預けて守る術。
この街にいる誰もが、今その眠りを必要としている。
スカーレット様は、私の横に立っていた。
黒紅色の瞳が、街を覆う花の波を見据えている。
「ジェイド、君が繭を紡げ。私は環で支える。順番を乱すな。……間に合うかどうかは、私たち次第だ」
「はい」
短く答えた声は、思ったよりも震えていた。けれど、止めるわけにはいかない。
私は両手を胸の前で重ね、深く息を吸った。
三つで吸い、三つで吐く。
鐘の音に合わせ、翡翠の光を広げていく。
指の間からこぼれた光は、ひとつ、またひとつと繭の形をとり、街の上に降りていく。
広場に眠る母子を繭が包んだ。
黒銀の花が抵抗するように震えたが、繭は柔らかく、それでいて強かった。花はしおれ、粉になって消えた。
「……息が戻った」
母の胸がゆっくり上下する。子も同じ。目はまだ閉じたままだが、命は繋がった。
スカーレット様が手を広げた。
彼の胸から、目には見えない環が広がる。
「継命の環」──命を再び呼び戻す術。
繭と環が重なると、眠りに預けられた命は深く守られ、再生の準備を始める。
私の繭が命を包み、スカーレット様の環がその命を帰す道を開いた。
「次だ」
彼の声に促され、私は再び繭を紡ぐ。
市場に倒れた商人の肩。城門の兵。石段に寄りかかる老人。
一人ひとりを、翡翠の繭が包んでいく。
スカーレット様の環が続く。
繭と環。
繭と環。
その繰り返しが、街にゆっくりと広がっていった。
だが、花の勢いは止まらなかった。
広場の角から、新しい芽がいくつも顔を出し、銀の縁をまとって次々に咲いていく。
切っても、昇華しても、すぐに次が生まれる。
「……速すぎる」
思わず漏らした声が、冷たい風に溶けて消えた。
私の繭が包んだ人数より、花が呑み込む人数の方が多いのではないか。そんな不安が、胸の奥で重くなった。
「ジェイド」
スカーレット様の声が、肩に届いた。
「迷うな。君の繭がなければ、誰も繋げない」
「……はい」
私は歯をかみしめ、繭をさらに広げた。
けれど、魔力の流れが腕を軋ませる。
頭の奥が熱を持ち、視界がかすむ。
それでも、手を止めることはできなかった。
私が止めれば、次の瞬間に誰かが命を落とす。
「まだ大丈夫。まだ続けられる」
声に出して自分に言い聞かせた。
レイブンが屋根から鳴いた。
「広がる。外へ。花が外界へ伸びている!」
その言葉に、スカーレット様が剣を抜いた。
「繭を続けろ。外は私が斬る」
銀の刃が夜を裂き、花を粉に変えていく。だが、それでも数は減らない。
ミィが足元で鳴いた。「匂い、濃くなった。急いで。翡翠で覆わないと、すぐに呑まれる」
「わかってる」
私は繭の糸を強く引いた。
胸の奥から、さらに翡翠の光を呼び出す。
痛みが背骨を走る。
息をするたび、体が重くなる。
それでも、繭は広がった。
帝都の屋根から屋根へ、糸のように繋がり、やがて街の上を半分ほど覆った。
花はその下で震え、動きを遅らせる。
人々の命が、繭に守られて静かに眠りへと移っていく。
「……これで、間に合う」
そう思った瞬間、遠くでまた新しい波が生まれた。
川沿いの集落。城壁の外の畑。
黒銀の花は、帝都を呑むだけでは足りず、外界へも広がっていた。
「なんて……速さ」
膝が震え、掌から光が揺れた。
繭の輪はまだ壊れていない。けれど、このままでは追いつかない。
命を守る数より、奪われる数が増えていく。
胸が痛み、唇が震えた。
「ジェイド!」
スカーレット様の声が私を引き戻す。
黒紅色の瞳が、私を真っ直ぐに見ていた。
「君が繭を広げる限り、私が環で返す。どれだけ速くても、諦めるな」
「……はい」
私は息を吸い直し、手を前へ伸ばした。
翡翠の光がまたひとつ繭となり、街の上に降りた。
けれど、胸の奥で小さな軋みが走る。
力を注ぐたびに、身体が削れていく。
……それでも、止められない。
私の繭がある限り、人は繋がる。
その確信だけを支えに、私は光を紡ぎ続けた。
「黎明の繭が、帝都を覆えば……死の雪を止められる」
声は震えていたが、瞳は揺れなかった。
繭と環。
二つでひとつ。
その力を重ねて、必ず命を繋いでみせる。




