【エピローグ】胎動する“無我”──沈黙の先にある対局
蒼牙 蒼牙蒼牙囲碁武術院 地下第四実験棟。
暗く無音の密室の中、数基の戦棋核が脈動し、命なき肉体の上で不気味な光を放っていた。
中央には、一人の少女が座していた。
目は閉じられ、呼吸の気配もない。
だが彼女の脳波は、常人の十倍の速度で碁盤を模倣し続けている。
名はない。
記録上の呼称──「第九被験体・識別名:無我」
実験記録にはこう記されていた。
「戦棋核の応答性、予測反応ともに最適値。
感情抑制完全。記憶干渉操作成功。人格形成段階、抹消処理済み」
かつて玄凛が体験した数々の苦痛と訓練、それを凌駕する苛烈な手順が、すでにこの少女に施されていた。
囲碁は、もはや“競技”ではない。
“無我”の脳内では、無限の局面が瞬時に演算され、勝率の最も高い一手のみが導き出されていく。
「“意志”は不要。打つ者が“人”である必要はない」
技師の言葉に、誰も異を唱えなかった。
だが、技師の一人だけが、ふと気づく。
彼女の碁譜データの中に、誰も入力していない“ある一形”が保存されていた。
──それは、かつて玄凛が唯一敗れた“封じ手”の布石。
「……なぜこれがここに……?」
だが、誰も答えられない。
無我の意識は、ただ沈黙したまま、次なる時を待ち続けていた。
そして遠からず、彼女は戦場に解き放たれる。
そのとき“誰”として打つのか──“何”として打たされるのか。
それを知る者は、まだいない。