【第四局】歪んだ記憶──存在しない少女
時の狭間を越え、玄凛が降り立ったのは、蒼牙が予測した“玲秀王朝の中期”とされる時代。
任務は明確だった。
「未来を変える可能性を持つ少女を、覚醒する前に葬り去れ」
彼は名もない流民として玲秀に潜入し、やがて一人の士官に拾われ、王都近郊の駐屯地で仮の身分を得ることとなる。
だが、数日、数週間が過ぎても──“標的”は見つからなかった。
記録では、この時代の玲秀王には娘が存在するはずだった。
戦禍を避け、王家にすら隠されるように育てられたという少女。
かつて仮面越しに対局し、敗れたあの無名の少女の面影が、玄凛の記憶に焼き付いていた。
だが、いくら探しても、その姿はどこにもない。
士官に問うても、「王に娘などおらぬ」という答えばかり。
──世界が、記憶と違う。
玄凛の中で、違和感が大きく膨らんでいった。
「……俺は、いつの時代に送られた?」
任務の確度は、高いはずだった。
だが、蒼牙の術者たちが設定した“過去”は、すでにどこかが歪んでいた。
もしかすると、彼の到達したこの世界は、すでに誰かの手で改変された“別の過去”なのではないか──
その仮説は、やがて確信に変わる。
玲秀の士官の一人が、玄凛の囲碁の腕に目を留め、駐屯地内の子供たちに教える役目を与えた。彼はそこで、市井の民の暮らしに触れることとなる。
そこには、蒼牙で見たような飢餓も、搾取もなかった。
老人は敬われ、子は守られていた。
──こんな世界が、存在していたのか。
思い起こせば、蒼牙蒼牙囲碁武術院の地下にいた頃、彼は「国のため」と信じて疑わなかった。
玲秀は傲慢で、奢り高ぶる腐った王朝──そう教え込まれていた。
だが、実際に触れたこの国の空気は、そうではなかった。
夜、独り石を並べていた玄凛は、ふと気づく。
あのとき敗れた少女の“封じ手”──その起点となった布石を、無意識のうちに再現していた自分に。
「……なぜ、あの子はここにいない」
「なぜ俺は……誰もいない過去に来た……」
次第に、任務の意味そのものが霧に包まれていく。
ある日、玄凛は負傷した兵士の代わりに都の給水塔修繕に駆り出された。
その折、年老いた石工が彼の手元を見て言った。
「若いの、手に知恵があるな。囲碁打ちか?」
玄凛が黙していると、男は笑いながら湯を差し出した。
「喋らずとも、打ち筋は正直だ。玲秀はな、声より形を信じる国よ」
またある日、幼い少女が転び、石の角で膝を割った。
彼が咄嗟に布で止血していると、周囲の民が駆け寄り、次々に薬草や清水を差し出した。
「ありがとう、異国の先生」
そう少女が小さく微笑んだ瞬間、玄凛の胸に微かな熱が灯った。
そして、彼の心に芽生えるひとつの決意。
──たとえ記憶が誤りだったとしても。
──この国を、無為に破壊してはならない。
その夜、彼は蒼牙の書簡を懐にしまい込んだ。