不遇のネルフィス その1
実母アンネが逃げた後のネルフィスは、想像通りの暮らしを送っていた。いわゆるドアマットである。
◇◇◇
ネルフィスの父伯爵であるカルドネは、政略結婚で結ばれた彼女の実母アンネを嫌っていた。彼女の器量は悪くないし頭も良いが、人の顔色を窺うような卑屈さが嫌だったのである。
それがまた彼女に伝わって萎縮させ、余計に状況が悪化するのだが、カルドネが気づくことはなかった。
まるでアンネのせいだとばかりに、結婚後に付き合い出した正反対の女性がブルボンネだった。
彼女の銀髪は父侯爵マルトから受け継いだもの。
彼女の母親ソフィアはマルトに寵愛され、使用人に傅かれながら別邸で暮らしていた。
ソフィアは貴族の娘だが男爵令嬢である為、マルトとの結婚を反対され、愛人におさまるしかなかったのだ。
◇◇◇
両親に愛され何不自由なく育ったブルボンネだが、成長にすることで分かったことがある。
父親が貴族なのに、自分は貴族ではない。
母ソフィアの実家やマルトの侯爵家に、養子にして貰い貴族になることも考えたが、まずマルトの妻ラディカが全面的に拒否をした。
ラディカの生家は王家に連なる侯爵家であった為、マルトが継いだ侯爵家よりも格上であった。
愛人を囲うことは許しても、到底籍を入れられる状態ではなかった。もし勝手に入れるようなことがあれば、離縁の上で家は潰されたことだろう。
同様に男爵家にもラディカから通告が来た。
ブルボンネを貴族籍に入れるような事をすれば、家を潰すと言う書状だった。勿論書いてある内容は直接的ではなく、とても丁寧ではあったが。
要約すれば「わざわざ人目に出て、無駄に醜聞を晒さず静かにさせろ。危害を加えず生かしているのを温情と思え。今後も男爵家を存続したいだろう?」と言う警告のような内容だった。
力ない生家に、逆らえる訳等なかった。
そこでブルボンネは挫折を知る。
どんなに容姿が美しくても、贅沢な生活が出来ても、下位貴族にもなれない己の運命を。
ある時廃退的に我が儘に生きてきた彼女に、最大の機会が訪れた。
伯爵家当主のカルドネの存在である。
彼はブルボンネのことを何よりも優先し、正妻を追い出して彼女を伯爵本邸に入れてくれた。
彼の両親の反対があり籍だけは入れられなかったが、彼も使用人も彼女に傅いて、贅沢も思うがままだ。
カルドネはブルボンネと同じようにマキシールも愛してくれている。
正妻の娘を邪険にし、使用人のように扱ってくれることで溜飲も下るようだった。
けれど娘が成長しても、公爵家から求婚されたのはやはり正妻の娘ネルフィスだった。
あの娘は伯爵家では勉強させることなく、使用人として使ってやったのに、全寮制の貴族学園に通ってからはずいぶんと出来が良くなったらしい。
マキシールは、平民の学校にしか行けないと言うのに。
そして結婚後はネルフィスが穏やかに暮らしていると聞き、苛立ちが止まらなかった。
だからネルフィスが二人目を妊娠する前、良い嫌がらせを思いつき笑みが浮かんだ。
ネルフィスの婚家にわざとらしく何度も面会に行き、その際に護衛させる騎士の髪色や瞳を毎回違う色にした。
そして生まれた子は桃色の髪をしていたことで、作戦の成功を確信したブルボンネ。
伯爵家では時々桃色の髪が生まれるらしいのだが、それをカルドネに隠してもらった。公爵家にはそれまで生まれた者で桃色の髪の者はいないと言う。
そこでブルボンネは面会時に何度か同行した騎士と不貞したのでは? と、公爵家の者に申し訳なさそうに囁いたのだ。
最初は不貞等疑わなかったネルフィスの夫公爵ナユタだが、何度もブルボンネが訪問し無いこと無いことを囁くと、徐々に夫婦の間に不協和音が奏でられるようになっていった。
勿論ネルフィスはその発言に驚きながらも、気力を振りしぼり否定をし続けた。
マザコンのナユタは、それでも不安になり実母に相談した。
その実母は姉だと言うブルボンネのことや、ネルフィスの生家での環境等を調べずに、不貞を決めつけてしまった。
いつも自分を見て怯える嫁を良く思っていないことも理由だった。
(私が意地悪しているみたいに見えて、いつもモヤモヤしていたのよ。あの嫁、好きじゃなかったのよね)
不貞を疑われたネルフィスは、それでも拒否を続けたが、既に決めつけた姑には聞き入れて貰えなかった。
その日から公爵夫人としての権利は剥奪された。
それでもネルフィスが熟す仕事が多かった為、姑は彼女を利用することにした。
離婚して生家に戻るか、離婚をせずにここで暮らすかを選ばされた彼女だが戻れる家などはない。
残ることを選んだネルフィスは、他の使用人のように労働を強いられ、金銭も月給分しか渡されなくなった。
長男のブルーノは次期公爵として優遇されたが、ネルフィスとリーネは使用人棟で暮らすことになった。
安い給料で休みなく働いていたネルフィスは、視力を悪くし体力も低下していく。娘のリーネも使用人のように働き、教育を受けられずに暮らしていた。
「お母様、無理しないで。少し休んでよ」
「駄目よ。休むと給料が減るのだもの……。心配しないで、大丈夫よ」
「もう、お母様! ……ごめんね、私が何も出来ないから。足手まといで…………うっ」
「そんなこと言わないで。貴女がいるから生きていけるのに。私の方こそ、悲しい顔をさせてごめんなさい。ぐすっ」
「ひぐっ、ふうっ、うわ~ん……」
「ごめんね、ごめん。あ~ん、うわぁ、うっ……」
抱き合いながら泣く二人に、更なる悲劇が降り落ちる。