ダルナンとの再会
ライラック経由で、ダルナンと連絡を取ったネルフィスだったが、こちらから(騎士団の寮へ)出向く予定がまさかのダルナンからの訪問になり、内心はかなり動揺していた。
けれど頑張ってお金を稼ぐと誓った彼女は、何度も子供達と笑顔で暮らすことを想像して、前向きに緊張を克服することに成功していた。
アンシェルに貰った黒縁の仕事ができる風の眼鏡と、侯爵家 (ロマンド)から支給された仕立ての良い濃紺スーツを装着して、その日を迎えたのだ。
護衛一人付けず自前の大きな白馬から降りたのは、威風堂々した出で立ちのダルナン・キャメロン前公爵、その人であった。
馬は執事が預かり、馬丁の元に運んで行く。手入れの行き届いた素晴らしい馬だ。
ダルナンの白髪混じりの長いあご髭と濃い眉毛は、強い意思を感じさせ、キリリとした金色の瞳に似合っていた。
若い時はモテたであろう整った顔立ちは彫りが深く、それが一層強面に拍車をかける。
体も筋肉のせいか、年齢を感じさせないほど厚く、背丈の高さも二メートル近くあり、決して小さくはないロマンドを見下ろした。
「やあ。今日はよろしく頼むよ、ユイラチニ侯爵。
元公爵家の家族が二人も世話になり、本当に感謝しているんだ。ありがとう」
口角を僅かあげて頭を下げる姿は、家族の無事を喜ぶ好好爺のように見えた。ただ体が大きいので線の細いロマンドは、ちょっとだけ気後れしたが。
「こ、こちらこそ。ようこそおいで頂きました、キャメロン前公爵。
遠路のところを訪問して頂き、誠に感謝します」
ロマンドは左手を腹部に当て右手を後ろに回し、かなり深い角度で頭を下げる紳士の礼を行い、ダルナンを迎えた。
これは騎士団の英雄で、王国内でも重鎮たるダルナンに最高の敬意を示した姿だった。
その後にその場に並ぶ、アンシェル、ネルフィス、リーネも次々にカーテシーをしていく。
それを合図に、迎えに出ていた多くの使用人達も頭を下げていった。
その様子を見て「ほぉ、素晴らしいな」と呟くダルナン。
特に彼が注目したのは、リーネだった。
アンシェルやネルフィスとは違い、リーネはまともな教育を受けずに8年間を生きてきたからだ。
「素晴らしいな、リーネ。その礼はここに来て学んだのかね?」
幼い時に使用人棟へ移ってからは、顔も会わせていない祖父に声をかけられ慌てる。
けれどもアンシェルに尽くすと誓った自分が、ここで下手を打つ訳にはいかないと瞬時に思い直し、笑顔でお礼を言う。
「ありがとう存じます。全ては侯爵家で学ばせて頂いた賜物で御座います」
そして背筋を伸ばし、しっかりとダルナンを見つめたのだった。
ダルナンは頷き「よう頑張ったの。ライラックからも報告を受けていたが、ここで更に努力を重ねたようだな。
さすがは俺の孫だ。鼻が高いぞ。
ワッハッハッハッ」
邸の奥まで響きそうな突然の笑い声に、周囲は一瞬驚いたが、「なんだ爺バカか」とホッコリして、業務に戻っていった。
近くにいたアンシェル達はさらに衝撃を受けたが、子供みたいなその満面の笑みに、嘘がないと分かり安心する。
「いやぁ、悪いな。驚いただろ? でもなあ、こんなに嬉しいことは、最近久しくなかったからのぉ。
まあ、許してくれよな」
そう言ってまた、顔をくしゃりとさせて嬉しそうな顔をしたダルナンに、周囲の雰囲気はさらに緩んでいくのだった。
◇◇◇
その後応接室に移動し、話は眼鏡事業の本題に移るかと思われたが…………。
そこにはアンシェルに加え、ロマンド、ネルフィス、クインス、ティナ。それにリーネも座していた。
「まずは積もる話の前に事業のことをと思っていたが、アンシェル嬢とリーネも聞くのかね?」
不思議そうに尋ねるダルナンに、ロマンドは伝える。
「はい、勿論です。この事業や開発は、私の亡き妻の原案を元に、娘が技術者を集めて成功させたものですから。
私の方がおまけみたいなものなのですよ」
「そうですか。それは素晴らしいです。
確かに生前の奥方のことは、いろいろと話題になってましたな。
発明王とも呼ばれ、数々の画期的な製品を作り、王都の女性達の助けになったと。
……そうか。アンシェル嬢がその後を継ぎましたか?
嫡女であるから、婿取りが大変ですな」
婿と言う言葉に思わず「アンシェルが結婚? 俺を置いて?」と、叫び出そうな声を堪えたロマンド。
無意識に娘に頼っていたことが、露呈した瞬間だった。
家政、領地経営の半分(それ以上かも)と、商会の商品開発や販売も彼女が手掛けていたのだから。
それだけでなく、彼の失敗の処理もアンシェルやクインスが行っていたのを思い出したのだろう。
10才にして既に母親のような安定感。
勿論クインスやティナの助けはあるのだが、そのお陰で自分が自由に動けたことも。
急に口をつぐむロマンドに、「?」と思うダルナンだが、ライラックに受けていた報告を思い出し合点した。
髭を弄りながらニヤけて(娘の価値に今さらながら気付いたところか?)、くつくつと笑む。
「いや、失礼。ユイラチニ侯爵。貴殿の娘大事を失念して、余計なことを言ったようだ。
ここは詫びともならんかもしれんが、俺のことを名で呼ぶことを許そう。
さすれば、面倒くさい輩に絡まれた際、ダルナンに相談しようと言えば、だいたいのことは解決すると思うぞ。
まあ、武力的な方面だけだがな。
ハッハッハ」
騎士団の英雄で、敵兵も魔獣も怯えて退く『鬼のダルナン』を名前で呼べる者は少ない。
知らずとその栄誉を得たロマンドだが、どうしようと慌ててアンシェルに助けを求める視線を送った。
アンシェルはそれが何だか可笑しくて、平静を装ってロマンドに頷いた。頷いた後に苦しくなり、目を強く瞑り右手で胸を押さえた。
そして…………。
「もうお父様は、くくっ、もう、ふふっ。
面白い顔をし過ぎですよ。
さっきから顔を青くしたり、赤くしたり…………。
閣下、誠にすみません、くっ」
もう淑女の仮面が剥がれ、笑いが止まらないアンシェルに、ロマンドは「ええっ、何で?」と呆然とし、
ダルナンは「良いんだ。俺の方が先に礼を欠いた」と、また笑っていた。
「ふふふっ」
「ふふっ」
その笑い声が楽しげで、アンシェルとリーネも声をあげて笑っていた。
お茶の給仕をしていたクインスとティナも、思わず微笑んでいる。
(まったくこの爺は。ライラックから報告はとっくに行ってるだろうに、わざとらしいな。
まあでも、俺も嫌な雰囲気は感じないし、良いか)
彼を爺と言うクインスは、彼と同年代だ。僅か年上でさえある。
調査では知っていた人物を前に、愉快そうな顔を見せた彼。それはティナも同様で、警戒心の強い夫が信じるならと、受け入れたのだ。
秘密保持の為この部屋には、アンシェル、ロマンド、ネルフィス、クインス、ティナ、リーネ、それにダルナンしか居なかった。
ダルナンはこの部屋にいる全員に、ダルナンと呼ぶように伝えた。使用人のクインスとリーネに対してもだ。
「これから長い付き合いになるから、堅苦しい呼び名はなしにしよう。
既にキャメロンの爵位は、息子に譲っておるしな。
それにネルフィスも他家に嫁ぎ、もう俺を義父とは呼べんだろう?
だからダルナンと呼んでくれ。
リーネは俺の孫だから、爺と呼んで欲しいしな。
ナユタ達が不貞の子だとか騒いでも、それが嘘だと俺が知っている。
だから何の遠慮もいらんからな。
まあ、苦しい時に助けなかった俺を恨んでいるなら、無理強いはしないが。
どうだろうか?」
ネルフィスは既に知っている。
ライラックの手紙を読んで確信したのだ。
ダルナンは、ナユタや義母からは確かに庇ってはくれなかったが、ライラックに指示を出し、要所要所で手助けをしてくれたことを。
自分から困難に立ち向かわず、期待はずれであったろう嫁に対しても、いつも様子を見てくれていたことを。
急に離縁になったのは、ダルナンにしても想定外。
有能な嫁を追い出すなんて、なんて愚かなのだろうと呆れたものだった。
ネルフィスは言う。
「不束過ぎる私にも、手を差し伸べて下さり、ありがとうございました。
挨拶もできず家を出ることになり、申し訳ありませんでした」
深く頭を下げるネルフィスに、ダルナンは答える。
「いいや。俺が楽観視し過ぎてたのだ。ジャスティア大公家の当主がレオンに移れば、バサバサと邪魔な奴らを退けられると思ってな。
正面からぶつかるとやぶ蛇で、王家がでばってきそうだったから、面倒を避けていた。
あいつら俺に少し人気があると僻んでいて、いつも難癖つけてくるから、まあこれはさて置き……。
お前が苦しい時に直接助けなかったことで、俺には義父としてお前に貸しができた。
だからたいていの願いなら、何度でも聞くから言ってくれ。
ああでも、今日言えて良かった。
ずっと苦しかったんだよ。
勿論、お前達の方が苦労したことは、分かっているつもりだ」
ネルフィスはダルナンの言葉に救われた。
彼女もまた、後ろめたさがあったから。
握手を求めるダルナンに、そっと涙を拭った手を差し出すネルフィスと、彼を見上げるリーネ。
「お爺ちゃんと呼んでも良いの?」
「ああ、呼んでくれ。俺もリーネと呼んで良いか?
まあ、さっきも呼んでたか? ワハハッ」
「私は良いよ。お爺ちゃん。
あ、お祖父様の方が良い?」
「どっちでも良いぞ。じゃあ、人前ではお祖父様で、今この場にいる者達の前では、お爺ちゃん呼びにしようか?
社交界は揚げ足を取る鬼が多い。
隙は見せん方が良いだろう」
「はい、分かりました。お爺ちゃん!」
「良い子だな、リーネは。今度はお前の兄を連れて来よう。騎士団で訓練したついでに寄るなら、ナユタも気付かんだろうから。
と言うか、別件でそれどころじゃないかもだが」
「本当に! ありがとう、お爺ちゃん」
「これくらい朝飯前じゃ」
ダルナンに抱き上げられたリーネは、そのがっしりした腕の中で酷く安心した。
「ブルーノに会えるのですか…………。
ああ。神様、ありがとうございます」
ネルフィスも感激で涙が再び溢れ出す。
応接室が泣いたり笑ったりの中、ネルフィスとリーネとの蟠りが解けたダルナンと、
何もかも知っていてロマンドをからかうダルナンを頼もしく思うアンシェルと、
それを見て人タラシだなと、微笑むクインスとティナ。
孫に肩車をしている英雄は、威厳も薄れる爺バカと化し、ロマンドだけが緊張している状態だった。
クインスとティナは、この場にいるメンバーの時だけダルナン様と呼び、公ではキャメロン前公爵と呼ぶことにした。
それは使用人からの名呼びにより、侮られる隙をなくす為である。
当のダルナンは気にしないが、クインスとティナはダルナンの名誉を守る為にそう決めたのだ。
◇◇◇
お茶をおかわりし、落ち着いたところでアンシェルが話を切り出した。
「本日ダルナン様をお呼びした内容は、今ネルフィスさんが掛けている眼鏡のことですわ」
ダルナンに数枚の資料と作業段階のファイルを見せて、開発した各種の眼鏡とフレームも見せる。
「これは、この強さや弾力があれば、火薬を包んだり、防具類の転用もできるな。
それにこの資料にある、窓や照明器具、看板、ランプレンズ、内装部品、水槽、額縁、塗料・コーティング、接着剤、メインのレンズ等に転用できるなら、技術は奪い合いになるぞ!」
つい先ほどまでとはうって変わり、真剣な表情のダルナンはアンシェルを見つめた。
アンシェルは頷き、彼に告げる。
「だからこその企業提携ですわ。ダルナン様には総発売元となり、私達の事業を守って欲しいのです」
威厳を持った彼女の言葉は、部屋中に響き渡っていた。




