アンシェルとリーネ
「リーネ、私はずっと妹が欲しかったの。だから貴女にはアンシェル様ではなくて、お姉様と呼んで欲しいわ。
ネルフィスさんも……自分で言うのは恥ずかしいですが、どうぞアンシェルちゃんとお呼び下さい。
私もここ以外では、ネルフィスさんのことをお母様と呼ばせて頂きますね。
お父様のことは対外的には旦那様やお父様と呼ぶ方が良いでしょう。けれど……この邸の中でならロマンドでも、お父様でもおじさんでもお好きなようにお呼びになってね。
今回は救護的な状況でここにいるのですから」
「ありがとう。ではお言葉に甘えて、アンシェルちゃんって呼ぶわね。ふふっ」
「私もお姉様って呼びますね。やったぁ、嬉しいな」
「私も家族が増えて嬉しいですわ。クスッ」
キッパリとしたその言い方は一見キツく感じそうだが、一度腹を割って話したことで彼女の気持ちはネルフィス達に伝わっていた。
ついでにロマンドのことも知ってしまった。
彼の方は見目美しく行動力もある優しい男性ではあるが、考えるより先に動くタイプで、アンシェルに手綱が握られていることを。
人間見た目では分からない。
それはネルフィスもリーネも、体験を通して直に知っていたことだ。
ブルボンネとマキシールがその良い例だった。
癖のない滑らかな銀糸のような髪と、うさぎのような赤くて大きな瞳は幼く見えて可愛らしく、誰もが守ってあげたくなる雰囲気だ。
あくまでも陰湿に人を貶め、湯水のような贅沢を好むことを知らなければだが。
アンシェルの提案に「そんなぁ、おじさんは酷いよ。お父様で良いじゃないか。僕だけ他人行儀過ぎたら、泣いちゃうよ」とか言う呑気なロマンドに、ますますネルフィス達の残念感が増していく。
(すごく格好良いし、手を差し伸べてくれた状況では王子様みたいに見えたのに。何故かしら?)
(きっとアンシェル様の方が王子様っぽいからだよ。私だってロマンドさんには、すごく感謝してるよ。あの時会えなかったら、どうなってたか分からないもん)
(そうよね。その通りだわ。ただ、アンシェルちゃんって、とっても男前なのよね)
(あ、うん、それだよ。潔さと心に滲みる会話力で説得力が違うの。覇王の気と言うか?)
(うんうん、それよ、それだわ! ああ、スッキリした)
(私も満足した。じゃあ、私達はアンシェル様の提案通りに動きましょう!)
(賛成。リーネもありがとう)
目と目で会話するネルフィスとリーネは、分かりあった。そして彼女の言うことに従うのだった。
◇◇◇
「それではネルフィスさんには、侯爵夫人の仕事をクインスと共に行って頂きますね。リーネは私と共に教育を受けて貰うわよ。まずはテストを受けて出来る範囲を調べるわね。
最終的には、私と同じ内容を理解出来るようになるのが目標よ。でも焦らなくて良いの。
家庭教師の仕種、雰囲気を感じて真似ることも勉強になるから。まずは状況になれることが大事なのよ」
アンシェルの言葉に大きく頷く、ネルフィスとリーネ。
二人からはやる気が満ち溢れていた。
「勿論了解よ、アンシェルちゃん。公爵家での仕事と似ていれば、すぐに役に立てると思うわ」
「お姉様、私も勉強頑張るわ。今まで落ち着いて学べなかったので、ぜんぜん馬鹿だけど、よろしくお願いします!」
満面の笑みを浮かべるネルフィスとリーネに、アンシェルも手応えを感じていた。
(良い笑顔だわ。そうなのよ、いくら手を差し伸べても本人にやる気がないと、何事も進まないものよ。
もし出来ないとしてもやる気があれば、きっと良い方向に進むわ)
アンシェルも微笑みを返して、二人とがっちり握手を交わした。
ロマンドは「少し休んでからでも良いのに。無理はしないでね」などと甘いことを言うが、母子に無駄な時間はなかった。
彼女達は、自分の立場を明確に知っている。
つい先日、公爵家から追い出された母子なのだと。
どんなに悪い噂が流れるかも分からないのだ。
やはりロマンドとネルフィスの間には、温度差があるようだ。
◇◇◇
そうしてネルフィスは難なく侯爵夫人の仕事を熟し、リーネは学力テストを数日に別けて受けた。
結果、優秀な点数を叩き出したリーネ。
「本当にそんなに良い結果ですか? 嬉しいです」
「リーネはとても優秀よ。今まで頑張ってきたのね」
「いいえ、家庭教師は私にはいませんでしたので。メイド仕事の合間に侍女さん達が教えてくれたのです」
「そうなのね。その方々も片手間でこんなに出来るようにするなんて、とても優秀な方達だわ」
「ええ、本当に素晴らしいのです。私なんかに丁寧に優しくしてくれたのですから。今でも感謝しっぱなしなんです」
「そう、良かったわね。貴女も頑張っていたから、見て見ぬふりは出来なかったのかもね。
あの公爵家にもマトモな人がいて助かったわ」
無邪気に喜ぶリーネだが、アンシェルは事前に届いた手紙からうっすらとそれを予測していた。
手紙の差し出し人は、公爵家の侍女長ライラックだった。