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6.正体

 冷静になると、私情で随分と余計なことをしてしまったものだと、恥ずかしくなった。後から調べて分かったことだけれど、著作権の侵害が認められるには、私のような素人では判断できない、法的な要件が多いらしい。


 しかも、わたしの場合、あくまで過去の彼女の文章を、記憶している範囲であの小説と比較しただけだ。酷似しているからといって、盗作だと訴えるのは、明らかに直情的に過ぎる。


 あるいは、こんなかすかな緊張の中で生活することに、疲れているのか。同棲を始めたころに比べ、お酒の匂いをさせることが増えた佳樹の背中を眺めていた。いや、止めよう。今だって、佳樹はテレビ相手に上機嫌に笑っている。


 たった一度のことを。たった一度の過ちに、なぜこんなにわたしは過敏になっているのだろう。


 空になっている食器を、横から下げる。以前はあった「ありがとう」が、最近はほとんど聞かれない。赤ら顔になった佳樹は、その視線すら、向けていない。


 ふと、思った。もしかしたら、手を挙げられたあの時点で離れていくのが、正解だったのかもしれない。でも、わたしは根が張ったように、ここに居続けることを選んだ。それは、無論、佳樹との愛情や、彼の誠実さを信じていたからだけれど、それだけではないのかもしれない。


 胸を重くする、疑念。わたしはもしかしたら、わたしたちをないもののように扱った父、そして、永遠のように自分に繋ぎ止めようとした母のように、個のわたしを軽んじる人間の横でしか、息の仕方を知らないのではないか。


 だってそれは、わたしにとっての自然であったのだから。


「千尋ー、ビールもう一本!」


 言われて、しぶしぶ冷蔵庫を開ける。佳樹のイチオシの缶ビールは切らしていて、買いだめしていた安い発泡酒しかなかった。


 仕方がないのでそれを持っていくと、佳樹の顔に一瞬影が差した。


「あれ? これしかなかった?」


 「ごめん、切らしてて」と言うと、「あっそう。いいよ、別に」と言ってはくれたけれど、その横顔からはさっきまでの笑みは消えていた。


 テレビから、大勢集まった芸能人の、数合わせのような大笑いが響いていた。


「そういえば、もうすぐ割引の時間なんだけど、佳樹も行く?」


「ああ、魚ね。そうだな、ストック確認してから行こうか。あと、刺身あったら買っていい?」


「いいよ。あんまり大きいのは、ダメだけどね」


 近所のスーパーは、もともと鮮度がいい魚を取り扱っているのだけれど、夜の時間帯になると、刺身や寿司も含めて、そのほとんどが半額になる。といっても、もともとかなり鮮度がいいものばかりだし、冷凍保存しておけばストックしていても、解凍して、たいてい問題なく使える。物価高のこの時代、わたしたちのような若い二人の生活は、そうしたチャンスをものにできるかどうかで、質が大きく変わる。


「ちょっと待ってね。これ、飲んじゃうから」


「後にしなよ。まだ開けてないじゃん」


「それも、そっか」


 缶を置き、膝を立てて素直に立ち上がった佳樹を見て、ほっとした自分がいた。


 こうして、面倒くさがらずに買い物に付き合ってくれる佳樹のことを、羨ましがってくれる女友達もいる。二人のことだから当然だというのが佳樹の言い分で、わたしはその誠実さを、今でもとても信頼している。


 堅実な付き合いなんだ。それは、きっと分かり切ったこと。


 玄関でそっと手を握られたとき、その冷たさに、ちょっとだけたじろいだ。



「嘘・・・・・・」


 再び訪れた書店で、気になっていた雑誌を開くと、そこには「お詫び」と題した一ページの文章が掲載されていた。


 当誌に連載されていた長編小説、「願望」は、著者自身が盗作であることを認めた。よって、今後一切の掲載を取りやめ、受賞についても取り消すものとする。読者諸氏ならびに関係者には、多大なる迷惑をおかけして、申し訳ない。


 要約するとそういうことが一ページ丸々を使って書いてあって、わたしは思わず、片手で口を押えた。これは、わたしの行為の、その結果なのか。


 雑誌を置き、スマホのキーを急いで叩く。


 「道庭壮介」「願望」「盗作」


 キーワードは、この三つだけで十分だった。そこに並んだのは、夥しい数の非難、嘲笑、侮蔑、そして底なしの悪意だった。


 SNSをほとんど使わないわたしは知らなかったけれど、この件では読書界隈のアカウントも騒然としているらしい。久々に開いた自分のアカウントから、試しに「道庭壮介」の公式アカウントに飛んでみようとしたら、同じことを考えた誰かが「逃げやがった」と、空欄になったプロフィール欄の画像を拡散していた。


 わたしが知らない間に、事態は大きく動いていた。「願望」はやはり、道庭壮介のオリジナルではなかった。けれど、だとしたら、何故。どこで道庭は、あの作品を手にし、自分のものとして公開したのだろう。


 背後を人が通り過ぎ、その瞬間、わたしの腕に鳥肌が立った。

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