3.ブイ
本屋をうろつくのは、佳樹と私で珍しく共通しない趣味で、かといってお互いの休日に干渉しあうような関係は、とうに過ぎていた。
その日、佳樹は会社の同期と釣りに行くと言って、朝から出かけていた。
とはいっても、明確に欲しいと思える本があったわけでもない。習慣と言うか、惰性のようなもので、文字の海を眺めること自体が好きで、本屋を何軒かはしごした。
その中の一つに、大きめのスーパーの二階に入っている、小さな本屋があった。入口近くに文芸書の新刊と、漫画の新刊がずらりと並んでいる。背表紙だけを眺め、読むだけの時間を思って、心の中で首を振った。
同棲生活を始めてから、単純に一人の時間が減った。それは単純に芳樹のせいではなくて、二人で暮らすということの、結果だと思う。習慣の差、考え方の違い、生活の様式のすり合わせ。
家具の配置から、器具や調味料一つの些末なことまで話し合いが必要で、ようやく今の生活に落ち着いた。それでもまだ、卵の殻を慎重に叩くような瞬間があって、今の私にはそれがほんの少し、まだ重たいと感じる瞬間がある。
大きな不満は、ない。他人同士が暮らしているのだ。少しの緊張感は、そう簡単に拭えないということなのだろう。
ふとしたとき、あの掌を思い出すとしても。
交際相手からの暴力を、「デートDV」と呼ぶそうだ。あの日の翌日、いつの間にかそんなサイトを引き当ててしまって、自分に起こったことと、佳樹を信じられなくなりかけている自分に嫌悪感を抱きながら、それでもおおよその内容を読んでしまった。
DV加害者に特徴的なのは、「イライラ期」「爆発期」「ラブラブ期」のサイクルを繰り返すことだ。簡単に言えば、何かしら常日頃から不穏な雰囲気があり、ふとしたきっかけで配偶者や交際相手への暴力などのかたちでそれが噴出する。
けれどその勢いが過ぎると、手のひらを返したように反省の弁を口にしたり、謝罪して愛情を請うたりする。
被害者は、どれが本当のパートナーの側面なのか分からず、多くは「本当はいい人なのだから、少しの荒れ模様は仕方がない」と錯覚して、関係を続けてしまうのだという。
正直、私達の関係にこれが当てはまるのかは、分からなかった。時折険悪な空気になることはあるとはいえ、頬を打たれたのは一度きりで、その後は、どちらかというと私が過剰に警戒しているせいで、佳樹が気を遣っているんじゃないかと思うこともある。急に現れたお互いの境界線にブイを置いて、ちょっとした流れに過敏になっている。そんな気がしてならない。
それは、誰のせいなのだろう。佳樹だけのせいなのか。今の私には、分からない。
小さい店舗なので、文庫のコーナーまで眺めると、もう覗く場所がない。少しだけ気になっていた短編集があったのだけれど、取り扱ってはいなかった。
文芸雑誌のコーナーに立ち寄ったのは、まったくの気まぐれだった。私にとって、小説は連載物を読むというより、一冊の本、もっと言えば文庫本になってから読むものという感覚があるので、毎回の連載を追い続けるうえに、なんだか小難しそうな文学論が並んだ雑誌は、敬遠していたのだ。
「小説の声」。紺を基調に、黄金色のタイトルが印字された、こちらを見据える若い男性モデルが表紙のその本に手を伸ばしたのは、その男性が少しだけ、佳樹の面影をまとっていたからなのかもしれない。
とはいえ実際には、特に何も考えていなかった。意外にずっしりと重たい本体を両手で抱え、流すようにページをめくる。
世の中には、いろんな作品がある。エンタメ性が高くて読みやすいものや、高尚で読み手としては何が言いたいのか分からないものや、感情移入を誘って物語の中に自分を置き換えられるようなもの。
そのすべてが、小説という括りの中に存在していて、今もこんな小さな場所の片隅で、誰かがその世界に飛び込んでくるのを待っている。
文字を追っていると、目の奥に疲労を感じた。もともと読書は好きなほうだったけれど、生活の二文字に優先され、先送りされることは確実にある。
一年も経てば、落ち着くんだろうか。身体を温めるスープのような、屈託なく笑い合える日が、来るんだろうか。そんなことを思いながら最後にもう一枚めくったページに、その見出しがあった。