1.手
「いいですね、仲が良くて。今の若い人は」
お揃いの茶碗を新聞紙に包みながら、金物屋のおばあさんは、にこやかな笑みをこちらに向けた。レジの裏はそのまま住居の座敷になっていて、子どもの高さくらいの柵越しに、チワワが興味深そうに顔をのぞかせている。
私が言葉を返さずにマスク越しに微笑むと、隣にいた佳樹よしきが不意に、私の手をとった。
「そうなんですよ。俺のほうから惚れちゃって。今、一緒に住んで二カ月目なんですよ」
「まあまあ。それはそれは」と、おばあさんも相好を崩す。
お調子者。喋りすぎだよ。
付き合い始めて改めて分かったことだけれど、佳樹は男女問わず、誰にでも愛想がいい。というより、自然に滲んでくるような愛嬌がある。まっすぐなそれは、なんていうか、飼育されている小動物や動物が、人間に向ける好奇心に近い。
学部の飲み会で出会ったとき、漠然と、これはモテるぞと他人事のように思っていた。けれど、それ以上のことは思わなかった。もともと私は数合わせだったし、その当時はいちおう、高校生の頃から付き合っていた彼がいた。
場が盛り上がった末のラインの交換も、成り行きで全員が行ってグループを組んでいた。それは自然消滅してしまったけれど、ある日突然、私に佳樹からラインが来た。
「一目ぼれしました。お付き合い前提で、お会いできませんか?」
紺のショート丈アウターに、トップスには白色のシャツ。アウターに合わせたデニムのシルエットが細身の身体にたがわず引き締まっていて、眉が細く、目元の丸い中学生のような童顔を引き立てている。そんな彼の容姿を思い出しながら、既読にしたままの文章を、目で追っていた。
「ごめんなさい。今、お付き合いしている人がいます」
端的にそれだけ返すと、数分してこれも端的に、「分かりました。驚かせてしまったかもしれませんね。すみません。お幸せに」と返ってきた。ずいぶん律儀な人なんだなと、そこにびっくりしたのを覚えている。
なぜ私なんだろうと、飲み会の場にいたきらびやかな女の子たちの顔を順に思い出すとますます分からなくて、街の真ん中で不思議な生き物を見てしまったかのような困惑だけが私の胸に残った。
「あ、すみません。これも、お願いします」
ふと片隅のポテトマッシャーが目に留まり、そういえば佳樹がポテトサラダを食べたがっていたと思い出した。じゃがいもを潰すのが面倒なのだけれど、そこは佳樹がやってくれるというので、承諾したのだ。
とはいえ、うちにあるのはフライ返しかお玉くらいで、そんなものではいくらふかしたじゃがいもであっても、歯が立たない。餅は餅屋。専用の道具を揃えておくに、越したことはないだろう。
「佳樹のところは、ポテトサラダに何入れてたの?」
「俺ん家ち? 少なかったよ。人参だけ。千切りにしたやつ」
「そうなの? うち、きゅうりとかハムとか入れてた」
「きゅうりは水が出るからって、入れてなかったみたいなんだよ。そこは、千尋ちひろに任せるからさ。ちょうどいいから、買い出し行かね?」
頷くと、ごく自然な様子で手を握られた。指の長い大きな手を、軽く握り返す。暑くもなく寒くもない気候の中、触れ合った手のひらはほんのりと温かかった。軽い末端冷え性のある私は、夏でも少し手が冷えていて、その温もりが心地いい。
金物屋さんからスーパーまでは、ほんの五百メートルほどの距離で、平日の中途半端な午後の時間帯であっても、店内はそこそこ混みあっていた。アナウンスで、レジの応援を呼ぶ声が聞こえる。
「多いね」
「安いからね、ここ」
「だね。あ、トマト安い」
入口の傍にはまるまると太ったトマトが一パック三玉で九十九円で売られていて、いわゆる「見切り品」であったけれど、押すとまだ弾力があり、正直どこで見切られたのかよく分からない。
「買う?」
「いいけど、何に使うの?」
「水菜あったじゃん。あれとサラダにすればよくね?」
「多すぎる気がするけど・・・・・・」
「大丈夫っしょ。俺、一個食べるし」
そう言って、やっぱりカート取ってくるわと、店外に向けて歩いていく佳樹。
その背中を見ながら、私はマスク越しにため息をつく。
本当に、どうしてか分からない。
何であんな人が、同じ手で私を打つことができるんだろう。