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12.双子

「道庭様


 ご要望いただいていた件につきまして、お受けしたく思います。


 日時については話し合う必要があるかと思いますが、場所については、こちらで指定いたします。また、条件がひとつございます。


 今後、私に一切の接触を図らないでください。この取り決めに抵触した際には、法的措置その他も辞さないものとします。


                                            雪枝」


 もっとも、最後の一文が道庭にとってどの程度効果的なのかは、まったく分からない。少なくとも「道庭壮介」としての「彼」は社会的には既に抹殺されており、失うものがあるのかすら分からない。


 送信ボタンを押したとき、心臓はひどく高鳴っていた。もちろん、悪い意味でだ。


「美知恵・・・・・・」


 もう引き返せないかもしれない。


 そう思った。



 美知恵の話をしよう。


 前に私は、私たちの関係を「後付けの双子」のようだったと形容した。その名残は、お互いの選んだ名前に、端的に表れていると思う。


 私の本名は、川崎千尋。文才とは縁のない私も、一時期美知恵に触発されて、慣れないキーを叩いたことがあった。いたずらで名乗ったペンネームは、雪枝千絵。


 美知恵の本名は、藤枝美知恵。「願望」を執筆していたとき、当初「藤木」という簡素なペンネームだったけれど、「願望」を何度かやりとりするうち、「河野千春」と名乗るようになっていた。


 しごく、単純な言葉遊びだ。


 私が名乗った雪枝の「枝」は、藤枝の「枝」。「千絵」は、「美知恵」のチエ。


 同じ要領で、河野の「河」は川崎の「川」を変換したもので、「千春」は私の名前、千尋から「千」の文字を取っている。よく、親が自分の名前から一文字とって、子どもに命名するパターンがあるけれど、私たちはお互いにそれをやったわけだ。


 目を輝かせてそう報告する美知恵を、最初は可愛い後輩だと思って、微笑ましくも思っていた。


 あの頃、私たちはひどく幸せだったのかもしれない。


 それが美知恵の言うような、「壊される前提」のものであったとしても。


 地味で、味気ない日常だった。わたしの世界に色はなく、帰ればただ、冷たい壁だけが待ち受けていた。父は戸籍上だけの存在となって久しく、母は薄れゆく父の残像を手放す代わりに、子どもである私たちを中身ごと所有しようと躍起だった。


 美知恵も、同じようなものだったのだろう。今どき珍しい男尊女卑の家柄で、大学への進学を許可されず、そうした父の意向に逆らえば絶縁されるかもしれないという。すべては、兄と弟への投資のため。


 そんな家、飛び出しちゃいなよと言っても、彼女は悲しそうに笑って、「私、頭悪いし、要領も悪いから。だから、行けるところに行くだけ」と、首を振るばかりだった。


「それは、美知恵がそう言わされているだけじゃないの」と繰り返しても、反応は同じだった。おそらくはそれが、幼少のころから徹底的に刷り込まれた、彼女の自己意識だったのだろう。


 私といても時折見える、彼女から滲む孤独感。その時私は、その根底を覗いたような気がした。


「先輩、覚えていてくれませんか?」


 ある日、美知恵にそう訊かれた。あれは、美知恵が高校の三年間を終える、前の年だった。つららが降ってきているかのような大きな礫をやり過ごして、私たちは見たこともない、駅の路地裏の喫茶店に入っていた。


「どうだろう。私、記憶力弱いから。で、何を?」


 あの頃私は、美知恵に距離の近さを感じることが多くなっていた。


 美知恵は私以外に付き合う友人を持たず、家族にすら打ち明けない、いや、むしろ打ち明けられない話を、全て進んで私にした。


 「願望」の中身も、まるで私が共著者のように何度も意見を求められ、そのたびに彼女は長い時間をかけて、私の示唆した感覚を、その通りに反映させた。そのたびに意見を求められ、感想には納得のいくまで質問を返してきた。私は、美知恵の書いた「願望」が読みたい。そう言っても、彼女の耳には届いていないようだった。


 美知恵から静かに距離を置いたことは、私も勝手だとは思ったし、今でも思っている。けれど私にとって、彼女はだんだん、重荷になっていった。


 だからその時、慎重に問い返した私に、美知恵は少し困ったような顔で微笑んで、言った。


「私のこと。この小説のこと。いつか、全部なかったことになるかもしれない。そんな気がするんです」


 今思えば、あの時美知恵は既に、予感していたのかもしれない。私が自分の前からいずれ去っていくことも、自分の未来すらも。


 二人の間で湯気を立てるコーヒーだけが、あの時温度を感じさせた。


 私たちが最後に会ったのは、美知恵が高校を卒業したその日だった。なんとか就職することはできそうだけれど、けっきょくは父の権力が及ぶ範囲で、それすらも二十歳になれば、父の決めた縁談がまとまっているという。平安時代のような発想に呆れかえったが、彼女にとっては、それがリアルな現実だった。


 連絡は交わしていたが、主に私の忙しさを理由に、私たちがそれ以来会うことはなかった。

 

 そしてあの日、送られてきた「願望」は、あの頃二人で描いた部分のところどころに修正がされたうえで、完結していた。


 その結末に託された彼女の意図を、私は未だに掴むことができないでいる。

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