Sugar to the Stars
月面の水採掘場で氷の塊を購入した俺は、自分の宇宙船でサトウキビを育てていた。
親父が月面基地に就職してから30年。宇宙は砂糖を欲していた。
親父が退職金で買った宇宙船を引き継いで、今年で三年になるだろうか。それほど大きくはないが、犬と自分だけなら十分な広さがある。親父はすでに星になり、AIでしか会えない。
「これからの宇宙は甘味が少なくなる。必要な物資ばかりしか摂らない宇宙時代だが、やっぱり人間は糖分を欲するようにできてるんだ。だから、お前も何か甘い果物でも育てた方がいい」
生前の親父はそう言っていたが、宇宙の果物市場は活況に次ぐ活況で、値崩れを起こす品種も出てきている。考えることは皆同じだ。
幸い俺は深根作物のサトウキビの品種改良に成功しており、宇宙でもスペースは取るが育てられるようにしていた。無重力なら根も横に広げられる。もちろんコストも高いが、商品がよければやはり売れる。ジュースにするもよし、砂糖を作るもよし。
宇宙では水が高いので、すべて固体にしている。雑菌が入らないようにモニターで管理しており、成長剤も肥料も十分あるとすぐに育ってくれるので家計にも優しい。やはり太陽との距離が違うと育ちもいいのか。宇宙は天候に左右されることなく作物を育てられるところがいい。磁気嵐が来るときは事前に月の裏側へと逃げるだけ。
注文が入れば契約している高速輸送ポッドに砂糖を詰めて送るだけ。自然由来の砂糖は、それなりの価格で取引されていた。地球から火星までが取引範囲だ。ちなみに地球の砂糖は各国で成人病対策のための規制対象となり、資金投入もできなくなったため汚染がひどく、限られた良い土地のものしか出回らない。
「健康志向も行き過ぎると、生きにくくなるよな」
雑種犬のぺスに話し掛けた。身体の半分は機械でできているぺスは、保護犬として月のシェルターにいた。親父が死んでAIとしか会話をしなくなるといよいよヤバいと思って、飼い始めたが、適度に構ってくれるのでありがたい存在だ。
ワンッ!
普段ほとんど吠えないぺスが急に月を見ながら吠えた。故郷でも懐かしんでいるのかと思ったら、最も面倒な相手がやってくるのが見える。
「スペースパイレーツかぁ……」
要は宇宙の海賊だ。そもそも宇宙で船に遭遇する確率は低い。
特別ルートを決めているわけではないのに、こちらに向かってくるということは先日送った輸送ポッドを追いかけてきたのだろう。
「やっぱり、こんなところに隠すかね」
輸送ポッドから、発信機が見つかり、その場で踏みつけて壊しておく。
「……こちら、ノーチラス・ドリフターズだ。今さら発信機を壊しても意味はないぞ。そちらの小型農業用ステーションでは……、ザザ……」
酷い回線状況のうちゅうかいぞくにおそわれているようだ。
要するに金目のものを出せと言っているのだろう。
「かぁ……」
頭を抱えながらも、俺は砂糖をパッキングしていく。価値があるものはこれくらいだ。
ぺスは唸りながら怒っていた。男として情けないと思わないのかと俺の脛をかじっている。
『海賊か?』
AIの親父が聞いてきた。温度も在庫も親父が管理してくれているので、注文にないパッキングをすれば、すぐに声が聞こえてくる。
「ああ、すべて取られるよりも、農地だけでも残しておきたい」
『だったら、アレも入れておけ。準備だけはしてあっただろ?』
「使い時か……」
俺はパッケージした砂糖に用意していた海賊対策の注射器を注入。注射痕はドライヤーで温めて塞いだ。両手にしていたゴム手袋とマスク、服を捨てて、すぐに新しい服に着替え、海賊船がドッキングするのを待った。
ガコンッ。
搬出口で大きな音が鳴り、警報が鳴り響く。警報はすぐに消して、交渉役が来るのを待つ。
「おや、殊勝な心掛けじゃないか。宇宙農夫は素直だね」
「うちの宇宙船で価値のあるのは砂糖くらいしかない。他のものは二束三文にしかならないし、加工もしてないから殺菌処理も大変だ。持って行くんだったら、これだけ持って行ってくれ」
「これだけかい?」
コンテナ一つ分くらいの砂糖はあるはずだ。これ以上持って行かれたら、農園を辞めるしかないだろう。
「本当にこれだけ? 隠してないかい?」
変装のつもりなのかアイパッチを付けた女海賊は奥の操縦席の方を見た。
「見たければ見てくれ。半分死んでる犬しかいない。顎だけ丈夫なんだ。噛みつかれてもいいならどうぞ」
グルルルルル……。
天井に張り付いているぺスは唸り声を上げて海賊を威嚇していた。
「いや、やめておくわ。これだけ持って行くから運んでちょうだい」
奪った上に、俺に運ばせるなんて盗人猛々しい。まぁ、爆弾でも仕掛けていないか見るためでもあるのだろう。
奪った品物が爆発でもしたら海賊船も宇宙の藻屑と化すので、奪う方もリスクマネジメントをしないといけない。
運ぶときに中身をⅩ線でスキャンされた。見た目は砂糖しか入っていないというのに意外と厳重に管理しているらしい。
「すでに売り先は決めてるのか?」
「それはこっちの商売さ。あんたが知る必要はないよ」
「悪かったな」
海賊船の大きさは、俺の宇宙船をギリギリ飲み込めるほどの大きさがある。推進力と何隻も宇宙船を襲うことを考えると、居住空間は案外狭いのかもしれない。カモフラージュもしないといけないから、外壁の看板が何枚も倉庫に転がっていた。
「変な気を起こすんじゃないよ。頭だけじゃなくて、背中にも尻にも熱線の照準が向けられているんだから」
「起こさないよ。名誉や恥より命の方が大事だ」
そう言って、俺は女海賊をまじまじと見た。ボディスーツがはちきれんばかりに広がっている。指先もかなり太い。運動不足による肥満症だろう。
俺は感情を表情に出さず、黙って自分の宇宙船に戻り、搬出口を閉めた。
ガコンッ……。
海賊船が離れていくのを見送ると、駆け寄ってくるぺスが撫でろと要求してきた。
「いい演技だったぞ。まさかまだこの時代にあんな宇宙海賊がいるとはな」
俺はぺスを抱きかかえて撫でながら、国連宇宙軍月面支部保安課に連絡。海賊船の大きさと特徴を説明した。
「おそらく砂糖は自分たちでも食べているかもしれません。その場合は、インフルエンザと腸管出血性の大腸菌を入れておいたので、海賊船内でパンデミックが起きているかと思います……。いえ、リスクマネジメントとして用意していたものです。捕捉はすぐできると思いますが、洗浄は徹底した方がいいかと思いますよ」
宇宙に菌やウイルスは少ない。そこが宇宙農家としては楽なところで、菌根菌などを適温で保存しておかないといけないので難しいところでもある。
続いて農協にも連絡しておく。こういう時のために強盗保険に入っている。料金は地球の適正価格で支払ってくれるだろう。
「品質は確認しますか?」
『いえ、大丈夫です。月面以外に寄港はしていないんでしょう?』
「ええ。必要物資の補給もほとんど輸送ポッドでやっています」
『なら、問題ありません。破損、損壊などが見つかれば、また連絡してください。エンジニアを向かわせますから』
「ありがとうございます」
やはり前世紀から農協は強い。
「臨時収入だよ。宇宙ロブスターでも食べてみるか?」
ぺスは「バウッ!」と返事をしていた。
宇宙は広く、青い地球は小さく見えた。