完璧な婚約者は、私を決して自室に入れてくれません
子爵家の令嬢レティーナ・マイヤと伯爵家の令息アルグ・シュドールが婚約を交わした。
レティーナはふわりとしたミルキーブロンドの髪が特徴的で、ぱっちりとしたブラウンの瞳を持つ令嬢である。暖色のドレスを好み、性格は明るく、雰囲気はコスモスを思わせる。
一方のアルグは“完璧”とも称される貴公子だった。金髪で切れ長の青い眼を持つ美青年であり、ネイビースーツを着こなし、剣術は達人級、頭脳も明晰で文武両道を誇る。
二人の婚約は、世間をにわかに騒がせた。
はっきりいって“釣り合っていない”と思われたためである。
レティーナは社交界であまり貴族らしくない“変わった令嬢”として扱われていた。
そんな彼女にまつわるエピソードが一つある。
ある大きな晩餐会に、一人の平民の少女が紛れ込んだ。
初めて見る貴族の世界に目を輝かせる少女に、周囲の賓客は困惑したり顔をしかめたりする者が殆どだった。
そんな少女に、レティーナは自分から話しかける。
「どうしたの?」
「あのね、あたしどうしても晩餐会を見たくて、来ちゃったの!」
「そうだったの。感想を聞かせてくれない?」
「こんなキラキラしてるお部屋、初めて!」
まもなく警備員が少女を取り押さえにやってきた。
「コラッ、すぐ出て行くんだ! ここはお前のような子供が来るところじゃない!」
だが、レティーナは――
「お待ち下さい。彼女の相手は私がしますから、ここは任せてくれませんか?」
「え、しかし……」
「あなたとしても、招かれざる客に侵入されてしまった警備員になるより、特別なゲストを通した警備員、の方が格好もつくでしょう?」
警備員は考え込む。
「分かりました……。しっかり面倒を見て下さるのなら……」
この後、レティーナは晩餐会で終始この少女の相手をしていた。
「じっくり晩餐会を見て、一生の思い出にしてね」
「うん!」
「ほら、ケーキを取ってきたわ。一緒に食べましょ」
「わぁっ、美味しそう!」
「またどこかで会いましょうね。ほら、握手」
「今日はありがとう、お姉ちゃん!」
ちなみにこの晩餐会にはアルグも出席しており、彼もこの様子を眺めていた。
それからおよそ一週間後の夜会、レティーナはアルグからアプローチを受ける。
アルグはレティーナをダンスに誘い、やや強引ではあるが巧みなリードをし、二人の距離はたちまち縮まった。
そして――婚約。
“変わった令嬢”が“完璧な貴公子”に見初められたというニュースは大きな話題となった。
***
婚約後も、レティーナはアルグと順調に交際を重ねた。
ラフな私服姿で並んで街を歩く。
「こうして街を歩いていると、色んな情報が飛び込んでくるね。例えばあそこの石材屋、看板を新しくしてる。これが何を意味するか分かるかい?」
レティーナは「いいえ」と首を横に振る。
「景気がいいんだろうね。この街に住居が増えるんだろう。つまり、人が増える。となると、この街は近い将来活気づくことになるから、今のうちからビジネスの準備をしておくべき、という判断ができるわけさ」
「なるほどぉ~」
レティーナはアルグの慧眼に感心してしまう。
市民の会話も聞こえてくる。
「今、貴族を狙った強盗が流行ってるってさ」
「盗んだ金俺らに恵んでくれりゃ応援するんだがな」
「言えてる」
レティーナは眉をひそめる。
「なんだか物騒な事件も起きてるみたいですね」
「うん、気を付けなければならないね」
一通りデートを済ませると、アルグが切り出す。
「これから私の家に来ないか?」
「はい、ぜひ!」
アルグはまだ十代であるにもかかわらず、自分で事業を立ち上げ、すでに親元を離れ、自分の屋敷を建てている。
婚約者であるレティーナはしばしばその屋敷に招かれた。
華やかなエントランス、広く清潔感のあるリビング、設備の充実したキッチン、お洒落なバルコニー、芝生が整った庭までついている。
レティーナがため息を漏らしてしまうほど、“完璧”な自宅であった。
そして、廊下の一番奥にあるドアを見つける。厳重な鍵がついており、特別な部屋であることが窺える。
「あれがアルグ様のお部屋ですね?」
「そうだよ」
「入ってもよろしいですか?」
レティーナが聞くと、アルグの表情が一変した。
「ダメだ!」
「え」
断られるとは思わなかったので、レティーナは狼狽する。
「私の部屋には決して入らないで欲しい……もし入れば“婚約破棄”もあり得るから、そのつもりで」
「は……はい……」
レティーナは初めて見る恋人の恐ろしい形相に戦慄する他なかった。
***
レティーナはアルグと順調に仲を深めていった。
婚約者同士、揃って夜会に出ることもある。
ドレスアップしたレティーナがワイングラスを傾けていると、ある年上の令嬢から話しかけられる。
「私、レティーナさんがアルグ様を射止めたと知った時は、正直な話“なんであの子が”って思ってしまったの」
レティーナはこれに気を悪くするどころか、肯定するように笑む。
「そう思うのも当然です。私自身、驚いてますから」
だが、その令嬢は首を横に振る。
「でも今のあなたは、アルグ様の隣に相応しい“格”を身につけたと思うわ」
「……ありがとうございます!」
そこへアルグがやってくる。
「レティーナ、主催の方に挨拶に行こうか」
「ええ、そうですね」
婚約当初のような、“レティーナとアルグは釣り合っていない”という風評は消えつつあった。
レティーナはアルグによって令嬢としての気品を引き上げられ、レティーナもまたアルグにとっての癒しになっている。まさに理想的なカップルといえた。
だが、レティーナにはまだ悩みがあった。
未だにアルグの部屋の中を見せてもらっていないのである。
***
ある日、アルグの自宅に招かれたレティーナ。
リビングで紅茶とクッキーをお供に、恋人同士の談笑を交わす。
アルグはトークも上手く、あらゆる話題に精通しているので、会話は弾み、尽きることはない。
だが、アルグと楽しく過ごせば過ごすほど、気になってしまう。
(アルグ様の部屋には何があるんだろう……?)
あの時のアルグの形相は尋常ではなかった。
『私の部屋には決して入らないで欲しい……もし入れば“婚約破棄”もあり得るから、そのつもりで』
脅しとも取れることまで言われた。
いったいどんな秘密があるのだろう。
例えば――拷問器具をコレクションしているとか?
あるいは誰かを監禁している?
もしかしたら死体を隠している?
私と交際しているのも、いずれ“コレクション”にするため?
不安が不安を呼び、恐ろしい想像までしてしまう。
荒唐無稽だと分かっているが、部屋に入れない以上、それを否定しきる材料もない。
レティーナが考え込んでいると、アルグが話しかけてくる。
「どうしたの、レティーナ? 何か悩み事があるのかい?」
ここで「アルグ様の部屋が気になっています」と聞ければどんなに楽か。
しかし、聞けなかった。
「いえ、こんな日々がずっと続けばいいな、と思いまして……」
「私もだよ」
にっこり笑うアルグから嘘や危険は感じられないが、“完璧な貴公子”だからこそ本性を隠すのも上手いのかもしれない。
レティーナの不安は日に日に高まっていくのだった。
***
三日月が浮かぶ夜、レティーナはやはりアルグの家に招かれていた。
婚約者との晩餐を楽しみつつ、レティーナは何か胸騒ぎを感じていた。
今夜は何かが起こる、と――
「とっておきのチーズがあったんだ。食後のおつまみにどうだい?」
アルグが持ってきた高級品のチーズを食べる。
しかし、胸騒ぎのせいであまり味を感じない。
そんなレティーナの変調をアルグも敏感に察する。
「どうしたんだい、レティーナ?」
「い、いえ……」
「このところの君は何かに怯えているように見える。もし何かあるなら、どうか話して欲しい」
レティーナはアルグをちらりと見る。
本気で心配しているように見える。
後悔することになるかもしれない。が、聞くのは今しかないと思えた。
たとえ、それで婚約を破棄されたとしても、アルグの正体が恐ろしい人だったとしても、最悪自分が命を落とすことになったとしても、かまわない。全て受け入れよう。
レティーナは決心した。部屋を見せて欲しいと頼んでみよう。
「あ、あのっ、アルグ様!」
その時だった。
パリン、と窓ガラスが割れる音がした。
すると、布の覆面をつけた三人組が窓から屋敷に押し入ってきた。全員刃物を持っている。
巷で話題になっている“貴族狙いの強盗”である。
「シュドール家の坊ちゃんともなると、いい家に住んでいやがるなぁ。死にたくなきゃ、金目のものを出してもらおうか」
リーダー格の男が刃物を突きつけ脅迫をする。
アルグの判断は早かった。
「レティーナ! 私の部屋へ! 中から鍵をかけて、私がいいと言うまで決して出るな!」
「え、でも……」
「いいから早く! この家で一番安全なのはあそこだ!」
レティーナはすぐさま指示通りにした。
「女は先に逃がすか。いかにも模範的貴族って感じだな。そういうところが……ムカつくんだよォ!」
男たちはアルグに襲いかかってきた。
だが、強盗たちは不運であった。
アルグについての下調べはしっかりしてきたはずなのに、その実力を低く見積もりすぎていた。
アルグは壁に置いてある剣を手に取ると、一人、二人と剣の腹で殴打を加え、命を奪うことなく戦闘不能にする。
リーダー格の男がナイフで斬りかかるが、これもあっさり剣で叩き落とし、剣の柄で頭を殴りつけて気絶させる。
実に素早く鮮やかで、完璧な撃退劇だった。
「リビングを悪漢の血で汚さずに済んだな」
悪党を倒した後の台詞も冴え渡る。
強盗たちは近くを巡回していた兵に引き渡す。
これは後々に分かったことだが、主犯格の男は貴族の屋敷勤めの経験があり、問題を起こしそれを解雇された恨みがあったという。つまり、貴族の住居事情に詳しい男だった。
貴族ばかりを狙う理由と、それを何件も成功させていた理由が同時に明らかになる真相だった。
このように完璧な対処をしてみせたアルグだが、一つだけ“ミス”を犯していた。
(やむを得なかったとはいえ……レティーナを私の部屋に入れてしまった……!)
***
「レティーナ……私だ、入るよ」
ノックをし、鍵が開いたので、アルグは自分の部屋に入る。
その中には当然、先ほど避難させたレティーナがいた。
「アルグ様! 強盗はどうなりましたか!?」
「ああ……倒して……兵士に引き渡したよ」
「よかった……」
安堵するレティーナ。
しかし、アルグにとってはもはや強盗などどうでもよかった。
レティーナを自分の部屋に入れてしまった。そのことで頭が一杯だった。
「それよりこの部屋なんだけど……」
「あ、はい……拝見させてもらいました」
アルグの部屋を一言で説明すると、“レティーナ一色”であった。
壁に『LOVEレティーナ』という巨大な横断幕がある。
おそらく自作であろうレティーナの肖像画がいくつも飾られている。中にはアルグとレティーナが並んで描かれているものもある。
レティーナをモデルにして作られたであろう人形が何体も置いてある。
極めつけは『レティーナ三箇条』なる紙が貼られており、そこには「レティーナを生涯愛すること」「レティーナを命に代えても守ること」「レティーナをこの部屋に入れないこと」とデカデカと書かれている。二つ目は今日まさに遵守したが、三つ目は今日破られた。
アルグは自分の部屋を見回し、泣きそうな顔で崩れ落ちる。
「すまなかった……」
「アルグ様……!」
そして、犯行が発覚した真犯人のように語り始める。
「私は……ずっと以前から君に目をかけていた。他の令嬢にはない自然な明るさを持つ君が気になってしまってね。しかし、アプローチをしよう、というところまでは至らなかった」
ところが、あの事件が起こる。
「晩餐会に一人の少女が迷い込んだことがあっただろう。誰もがあの少女に対し顔をしかめ、歓迎などしなかった。私でさえそうだった。貴族しかいることが許されぬ場に、相応しくない者が入ってきてしまったと。だが、君だけは違った」
レティーナは少女を邪険に扱うことなく、自分のゲストということにして丁重に接した。
「あの時、私は君に惚れた。それまでどんな女性と出会っても芽を出すことがなかった恋心が爆発し、アプローチしてしまった。当時、世間は私たちのことを“釣り合っていない”などと言ったが、私からすれば私の方が君と“お付き合いさせてもらってる”という認識だった」
アルグは自分の部屋を見回す。
「そして……こんな部屋まで作ってしまった」
アルグはうなだれる。
「こんな部屋を見られてしまったら……君から婚約破棄を言い渡されても仕方ない。本当に……すまない」
アルグが「私の部屋を見たら婚約破棄もあり得る」と言ったのは、『アルグが婚約破棄する』という意味ではなく、『レティーナが婚約破棄する』という意味であった。
「アルグ様」
レティーナがうなだれるアルグに近づく。アルグはビクッとする。
「最初はちょっと驚きましたけど、嬉しいです」
「え……?」
「私をこんなに愛してくれていたことが」
「レティーナ……」アルグが顔を上げる。
「アルグ様が私を部屋に入れたくなかった理由は分かる気がします。私が同じ立場だったら、アルグ様を入れようとは思わなかったでしょうから。だけど、こんなことでアルグ様を嫌いになったりしませんよ」
「本当かい?」
「ええ、本当です! それに先ほどアルグ様は私を守るために、この部屋に入る許可をくださった。知られたくない秘密より、私のことを優先して下さったんです。そんな素敵な人を嫌いになる理由なんてありません!」
「レティーナ……!」
「ですから、私もこんなに私を愛してくれているアルグ様にお礼を……」
レティーナはアルグの唇に自分の唇を重ねた。
普段はアルグに対し受け身の彼女が、このような積極的な行動に出るのは初めてのことだった。
「こんなことではお礼にならないかもしれませんが……」
「いや……あ、あ、ありがとう……」
「アルグ様……!」
アルグはすっかり舞い上がっていた。頭の中に湯気が沸いているような状態だ。
レティーナもそんな婚約者の姿を嬉しく思う。
そのまま両手を繋ぎ、見つめ合う。
「レティーナ、これからも君を愛し続けるよ」
「私も愛し続けます!」
アルグは表情をきりりと引き締め、レティーナに宣言する。
「そして夫婦になったら、この部屋をより一層レティーナ一色にしてみせる!」
レティーナはさすがに軽く苦笑いをした。
「ええっと、それは程々にして下されば、と……」
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。