陰謀論とはなんぞ?
気分の走り書き!
陰謀論
自分の中ではアメリカのアポロ計画に対する疑念が始まりのイメージだが皆さんはどうだろうか……
「アポロ計画における月面着陸など、当時の科学技術からしたら無理だったのではないか?」
おそらくこのような言葉から発したものだろうと、勝手に思っているわけだが、だいたい正しいと思っている。
これを言い始めた人はどのような目的で言い始めたのかは定かではないが、碌な目的ではないだろう。
この当時のメディアを通じて発信されたアポロ計画に懐疑的な情報は、アメリカで多くの人に支持され社会現象にまで発展した。
・当時のコンピュータは、現代の家庭用ゲーム機のものより劣っている。とても理解不可能だ。
・太陽の放射線の人体への影響などを、当時は充分に理解しておらず計画自体に無理がある。
・写真は合成でおかしなところがある。
などなど、メディアを通した情報は「言われりゃ確かに」と思えるような内容で、「米ソ冷戦を背景に月面着陸は「やっていない」のに「やった」と政府は国民に嘘をついた」といった論調が強くなっていたのはなんとなく覚えている。
現在は地球から望遠鏡を覗いてアメリカ国旗があっただの、地球と月面までの距離を測る計器が確認されたかで「間違いなく月面に行った」というアメリカ政府の発表によって一応決着は付いている形を取ってはいるが、それでもまだ一定数の信じていない人はいる。
実際にその場に行って間近に現物を見るまでは、あるいは本物かどうか手に取って調べるまでは信じないような。
悪くいえば猜疑心の塊、よく言って研究熱心な人は、確かに少なからずいるだろう。
そのような経緯を得たことで、「あった」とされる事柄に対して「本当は無かったのだ」と主張する事。
つまり、「あった」とされる事柄に対して「陰謀だ」と投げかける事、あるいはそのように言う人を「陰謀論」、「陰謀論者」と言うようになったのでは無いかと思っている。
この騒動を起点に、これまでの世界中の事件や事故に対して疑念を持つようになり、あらゆる考察が行われて、特に突飛もない考察をした者には「陰謀論者」のレッテルが貼られるようになる。
同時に、ネットでは事実はどうあれ、ある事柄に対して疑念の発言した人に対して、明確なエビデンスを示せなかったら、もれなく「陰謀論者」のレッテルを貼り付ける事となった。
突飛もない、つまりはエビデンスが示されていない論説は「陰謀論」と言われても仕方ないとは思うが、世の中には個人ではなかなか太刀打ち出来ない巨大な「陰謀」も確かに存在する。
「冤罪」が話題になるのもそれが理由だろう。
(全てにおいて冤罪が陰謀の対象ではないが)
その「陰謀」に対して、その陰謀を暴こうとエビデンスを集め、考察し、持論を展開した時に、そのエビデンスが非常に専門的であり一般には高尚過ぎてとても理解が出来ない時に、「陰謀論だ」とその言葉を投げかけられてしまうと、私たちはある種のパニックに陥ってしまう。
「陰謀」を暴くための行いが「陰謀」とされるのだ。
こうなるとどっちが正義でどっちが悪かわからなくなる。
さらに、これに思想がからむと、よりタチが悪くなる。
白いヒツジさんも黒いヒツジさんもビックリするほど、相手の主張に対して聞く耳を持たなくなり、読まずに食べるどころか噛み砕いて吐き捨ててしまうのだ。
宗教イデオロギーや政治イデオロギーなどを持っている場合、それが噛み合わない場合には、お互いが自身の正義を持っているので、決して交わる事はなく、そこにただの分断が生まれるだけになってしまう。
今の世の中に「陰謀論」が蔓延しているのは、その「分断」が目的か? などと考えるが、この考えもある意味で「陰謀論」なのだろう。
こうしてみると、「陰謀論」という言葉を使うという事は、何の創造性もなく分断を生み、自分の心に猜疑心を生み出すためだけのくだらない言葉なのかなぁ、などと思いつつ「自分の黒歴史は誰かの陰謀では!?」と確信をもって生きている。
本当のところよくわからん……
変な言葉だよな……