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序 要約した主張について

特に近現代作品の文学研究は作家論、作品論に終始しがちな気もするけど、そこはそれ、あくまでガチ研究なのでいいと思うのですよ。うん、まあ残ってる情報的に近世とか和歌系の研究でも作家論の視点はあるし。

世間はわりとジャンル論に終始するけど、まあジャンルって世間が貼る一レッテルでしかないし、明確な定義がないレッテルは正味今後の文学研究上での扱いは未来に託すしかないし……時代という背景や全体を俯瞰しないと行けない以上、コンテンポラリーに見るのは難しいからね、過去になってからじゃないとそうした俯瞰での文学の研究はなかなかに難しいのだわ。

逆にコンテンポラリーにジャンルづけして二進にっち三進さっちもになったのが音楽のジャンルじゃない? プログレとか、うっかりプログレッシブの原義離れてる率高いのでは? かつて一般教養で近現代ポップ寄り音楽史取った結果出てくる感想がこれである(でもいわゆるプログレ系自体は割と趣味に合う)


ただ、近現代や和歌寄り文学研究者とか世間話を求める人ではなく、創作者であるならば、作家論、作品論、ジャンル論よりも、アレを学んだ方が建設的じゃないかな、とふと思ったわけですよ。

そう、物語論。ナラトロジー。

奈良、トロ、爺……二文字ずつにするとなんか語呂いいわねって思ったらこれだわ。バカなのか? いえライト(軽い)なつもりの不真面目なだけです。


まあ日本文学史上、近代で物語の性質に変質が認められるわけですし……literatureの訳語としての文学の流入からの実験〜実践時期だからね。

あれだ、人間の文明発展上、金属器は本来青銅器を経て鉄器に移行するが、日本にはその過渡期の形跡がない(同時期に渡来したため)みたいなとこがある。連続性・段階性が強制的にぶっちぎられた的な……んー、いや技術ではなく文化において、段階による発展を当てはめるのは、しかもこの場合ゴール地点の想定が想定だから、タイラーの宗教観を適用するような西洋至上主義の傲慢になるはずで個人的には嫌いなんだけど、それまでの流れをぶっちぎって(開国からの流入による全国強制パラダイムシフトによって)西洋に寄せ(ようとし)たのだけは確定。


そも、物語論とは何か。

物語の定型構造から特定の物語を紐解いてみたり、逆に定型構造自体を抜き出して考えてみたり、同じ定型構造を持つ物語を比較して語りの分析をしたりするやつ。

物語構造を中心に据えればこそ、切り口自体も多岐に渡れば、定型構造の種類も多岐に渡る。

特に昔話・民話系の分類体系として代表的なAT番号または改変後のATU番号を見てみろ。細分化で量がヤバーい。

そしてどこもAT番号を指標に自分とこのお国の分類作るから細かいよお、細かい……


とまれ、神話・伝説の古くから、「物語」には定型構造がいくつかあって、それがもはや定型、受け入れられた「お決まり」であるがために、普遍的な納得とカタルシスを得られる保証があるわけです。

だからこそ、語り継がれる。

まあ、ここの普遍の背景が時代とかによって断絶されると読み取れなくなったりするし、口承ならその辺りが徐々に修正されるわけだ。要は今の十代に写メと言って通じるか→通じんので言い換えるしかない問題みたいな。


現代に作られる物語も、ひとひねり、ふたひねりや現代文脈の適用こそあれ、そうした物語の定型構造の延長線上にある、と考えられることが多いわけです。

ああ、複数定型の合体も勿論あるよ、昔話の頃からな。なのでシンプルほど原型に近いのでは、もよく言われるぞ。

それに地域単位どころじゃなく世界単位で大枠として「同じ」判定くだせる昔話なんてたくさんあるのだしなー。継子ままこいじめ系の話量を考えてみてください、やばい。

そして、だからこそ、研究対象になるわけだし、地域による小物や言い回しの変化、展開の傾向の偏りが面白いわけだし。文化とは単一結晶ではなく多結晶体的、それも混在したものであるし。

ここに私の手持ちの民話集収録話のタイトルと簡易分類打ち込みかけ、3000件超のレコードの入ったExcelがあるんじゃよ(趣味です)


とまれ、つまり、そこには人の無意識に保証される大いに普遍的な納得とカタルシスに繋がる定型があるわけですよ。いわば鉱脈よ、鉱脈。

そこからその特性をどう見出して、どう研磨して、どうカットして、どういう物語としてジュエリーにするか、みたいなとこはあるよね。

この辺り自体が形式化すると、歌舞伎でいうとこの「世界」と「趣向」みたいにもなるわけですわね。

キャラクターの前提のテンプレートとなる世界にどういう縦軸を付けるかっていうやつ。たとえば『仮名手本忠臣蔵』は江戸時代同時代の時事ネタを素直にやるとお上からメっされるから、応仁の乱の世界に対して、赤穂浪士の討ち入りっていう時事ネタを縦軸として通したわけですね、本来は(明治以降幕府の圧力から解放され、めっきり江戸時代の赤穂浪士の討ち入りそのものとして描かれるように)


であればこそ、必然、物語論における物語の定型の知識を引き出しとして持っていることは創作者にとって非常に有用・有益であるはず。

というか、さらにそこで、「なんでそこが成り立つんだろう」な根幹となる人の無意識な習性がわかってれば、ひねるにしても、鬼に金棒、虎に翼では。


でも物語論とかその根底をライトに書いた本ってそうそうないんだよ、こんなに面白いのに。こんなに面白いのに!(百パー主観)


なんて前置きだけど、「アニメ化決まった某推理系なろう小説主人公に似てる(ΦωΦ)(ただしベクトルは文系)」と友人に言われた、類話を見つけただけで脳汁ぶしゃーする奴の九割九分趣味で構成されたものです。


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