カントジカのステーキ
店頭に並ぶ肉は大体が10ガレルより少し高いくらいだった。俺の持ち金が4500ガレルなので十分な程の持ち合わせはある。
これで暫くは食にも困らんだろう。
後は住む場所だが、俺は正直あまり困ってはいなかった。
最初の洞窟で最悪寝泊まりできるからな。
俺自身初めて知ったが、俺は野宿に対してあまり抵抗がない人間だったらしい。
色々な事を含めて自然にこの世界に適応している自分が自分でも不思議だった。
俺は再度街をぶらつく事にした。
石畳にコツコツとハイヒールの音がして心地が良かった。
(もちろん俺の足から聞こえている。)
少し前に高校で日程を間違え、屋外の体育の時にもこの靴で登校してしまった。その為足首を痛めながら陸上をする羽目になったのだが、それが教師の目に留まってしまい、前代未聞のハイヒールでの登校禁止がうちの校則に加わった。
まさか自分専用の校則が誕生するとは思わなかったが、そんなものは無視して登下校していたので、今の格好に至る。
(陸上は裸足でやった。)
とは言え、この世界では急に動く事も必要になるかも知れない。横雨の様な不可思議な現象に襲われた時、やはりハイヒールでの疾走はやりにくいものだろう。
「もし、そこのお方。」
「なんでいにぃちゃん!」
それとは別に俺は肉屋に来ていた。
「その肉は何の肉ですか?」
「こいつかい?こいつぁカントジカのもも肉さ!
そのまま焼いても美味いよォ!」
カントジカ?ここいらの地方の鹿なのか?
「すみません、私は料理が下手なんです。
調理されたものって売ってたりしませんか?」
下町の肉屋によくある、コロッケを一緒に販売していたりする形態をこの世界でも俺は期待していたのだ。
「その格好でか?どっかのシェフかと思ったがまぁいい!
ウチはその隣の店で料理屋をやってるぜ!
いい肉を食いたいならそこへ行くといいぜ!!」
「なるほど、そうします。」
簡素な木製の屋台には紫色の肉が吊られていたり、バスケットに敷かれた草の上には赤い肉が並んでいたりした。
向かって右を見ると立派な黒い木造の建物があった。
看板には『ダンケル精肉店&料理店』とある。
なるほど、確かにこちらからよく焼けた肉の良い香りがする。俺は店主に礼を行って隣の店へ入店した。
扉を開けると俺を迎えたのは静まりだった。
いや、ドアを開ける直前までガヤガヤと騒がしい活気を感じていたのだが、俺の奇妙な身なりを見て不思議そうに大勢がロングスカートのフリルを見ていた。
しかしそれも一瞬で、すぐに元の活気が戻った。
街の皆もこの場の皆も全て姿形が違う、純粋な人間もいれば猫寄りの人間や、人間寄りの猫の様な者が居たりと様々だ。
俺のような変わり者が居ても多様性の中に紛れるのだろう。
多様性、バンザイ!
向かって左にカウンター席、中央から右の空間の多くを複数のテーブル席が占領していた。
俺は1人だったので自然とカウンター席の真ん中に座った。
「いらっしゃい!なんにする?」
カウンターの向こうから声をかけたのは初老の恰幅のいい女性だった。もしかした精肉店の店主が夫で、こちらはその奥さんなのかもしれない。
店名からしてダンケル夫妻が経営しているのだろうか。
「さっき、あちらの精肉店で気になったんですが、カントジカの料理ってありますか?」
「ああ、ウチの旦那の店ね。カントジカはここいらの地域でも珍しいからね。ウチのはすぐそう言う肉を使いたがるんだ。」
言いながら奥さんは壁の向こうの精肉店を親指でクイッと指した。やはり夫婦で経営しているらしい。
「カントジカだったね、初めてだったらステーキにしとくかい?」
「はい、それでお願いします。」
「ハイヨ!!
カント、ステーキ、ニンニクマシマシ!ネギダク一丁!!!ライス大!!!」
「「「カント、ステーキ、ニンニクマシマシ!
ネギダク一丁!!!ライス大!!!」」」
何か変なトッピングをされてしまったようだが、まあいいだろう。
そこでメニュー表が目に入った。
そう言えば値段を確認していなかった。
珍しい肉と言っていたな。あまり高い物で無いと良いが。
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カントジカステーキ 〜スタミナごつ盛りギガMAX〜
52ガレル
カントジカのワイルドな旨みと臭みを凝縮した1品!
ニンニクとネギの粗めの臭み消しが堪らないッ!!
鹿のヘルシーな肉は体型を気にする淑女にもオススメッ!!肉ッ!野菜ッ!飯ッ!喰らえッ!!
※当店での注文は特に指定が無い場合、トッピングはニンニクマシマシ、ネギダク、ライス大にさせて頂きます。
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まさかこんな俗っぽいラーメン屋の様なメニュー表が異世界にあるとは...
しかし、未調理の肉が10ガレル強程度なのに対してこの値段というのは少し高く感じるが、客も賑わっている事だし恐らく相応な価値なのだろう。
スタミナごつ盛りギガMAXとヘルシーを併記するのはこの世界では景品表示違反になったりしないのかな。
予想外の衝撃に天を仰ぐとカウンターの上に柵が見えた。
店の奥から続く階段が二階に繋がっているのだろう。
上階からもガヤガヤと声がする。
「失礼します。こちらお水です。」
「ああ、どうも。」
店を巡回していた明るい色のミニスカートを着た店員がお冷を置いてくれた。
もう片方の手にはビールジョッキが3つも握られていた。
入店時に俺が見られたのはこの格好を店員だと思ったのかもしれないな。
その時やけに大きな影が俺の横に座って声をかけてきた。
「よォ!兄ちゃん!変わった格好してるねぇ!」
お前も変わったドラゴン頭をしているな。
どうやら面白半分で声をかけてきたらしい。
こういう時、敬語で接すればいいのかタメ口で接すればいいのか。日本人である以上、今生付きまとう問題だ。
この世界に敬語があるのかは分からないが、俺の話す言葉のニュアンスで態度が伝わってしまうだろう。
「そうだな。よく言われるよ。」
「あんた遠くから来たみたいだな?名前は?」
この世界の挨拶は名乗ることまでがセットなのか?
全く...
「俺は柴咲蒼太。そっちは?」
「デュラン・ゲインだ!よろしく!」
「どうも。」
「どうしてそんな格好してるんだ?」
「好きだからさ。」
「そりゃ嫌いな服を着て歩かないわな!ガハハ!!」
何が面白いのか分からないが、早くステーキ来てくれ〜。
「ハイお待ち!!
カントステーキ ギガMAXなんとかダヨッ!!」
メニュー名くらい覚えててくれ。
「おばちゃん!ビールはストロー付けてくれって言ったろう!」
「アイヨッ!」
デュランはビールを注文したようだが、ビールをストローで飲むというのは普通なのだろうか。未成年なのでよく分からないが。
見るとデュランはパックリと顔の側面まで開いた口の、右頬に限りなく近い部分にストローを刺し、ビールをジュルジュルと吸っている。
なるほど。あのドラゴン頭ではジョッキを正面から仰ぐと口の両端から零れてしまうのだろうな。
俺は渡された前掛けをつけながら自分の料理に向き直った。
黒い鉄板の上には未だジュウジュウと肉の焼ける音が聞こえている。
程よく茶色に焦げた肉の上にはニンニクをスライスしたチップが多めに散らされており、分厚めにカットした青いネギと共に刺激的な匂いを発していた。
ソースはかかってていないようなので、傍にあった塩を少しふりかけ、肉にナイフを入れた。
すると予想以上に肉は優しく切れ、濃いピンクの断面を見せた。
ニンニクとネギと肉をフォークで串刺しにして口に放り込むと、肉の果汁が口に溢れた。
舌を重くする様な旨みの量と、気管に立ち込める臭みが同時に訪れたが、ニンニクの強烈な匂いと、辛みの飛んでいないネギが粗めに相まって、肉を飲み込んだ時には更に腹が減っていた。
俺はすかさずライスをかきこんだ。
粒だった米の一つ一つが舌に触れ、肉汁との対比で噛む度に甘さが際立った。
それを飲み込むと、ようやく先程発生した空腹を埋められたような気がした。
水を飲んで口から喉の濃い味の油を流すと、俺は何度かこの工程を繰り返して食事を終えた。
確かに癖のある味だが、非常に良い味だった。
途中、デュランが何か話しかけてきていたが、本人も酔っ払っていたので適当に相槌を打ってまともには聞いていなかった。