スライム交渉
瓶に詰められたスライムはどれ程の量があるのだろう。
つまり、何度傷を癒せられるのだろう。
縦に長いジャム瓶程のガラス容器に、なみなみとドロドロの透明な液体が詰められている。
見た目からするとグレスは相当な量をサービスしてくれたように思えるが、栓がコルクでなされているだけの作りなのは、如何なものだろうか。
この世界のスライムは触れた細胞を増殖させると言うが、このコルクは元々生物由来のものでは無いのか?
そう言えばグレスは脱脂綿にこのスライムを吸わせていた。
あの脱脂綿だって元は植物由来のものであろうに、何故増殖しないのか。グレスの言っていた撥水性以外にも細胞を増殖させない方法があるのだろうか。
それはさておき、また腹が減った。
今の俺には衣食住の内、食住が足りない。
どちらもこの世界の通貨が必要だろう。
しかし当然ながら俺は一文無しだ。
下校中の格好のまま異世界に来たと言ったが、この世界に持ち込めたのは学生鞄とその中身一式。
小学生が使うようなマジックテープの財布と教科書、ノートに筆記用具。スマホとイヤホンと底の方に輪ゴムと砂とレシートが溜まっていた。
財布の中にはよく行くカフェのクーポン券と交通系ICとアニメイトのポイントカード。
それに千円札2枚と百円玉3枚、十円玉5枚、一円玉2枚があった。まあこんなものを持っていても意味は無いだろうが。
小学校の宿泊体験のお土産で買った剣のストラップを引っ張って俺は財布のジッパーを閉じた。
俺は少し考え、再び往来を闊歩した。
ずらりと武器や防具、馬具の店などの看板が並んでいる。
やはり同じ街でも食料は食料同士、武具は武具同士で集まって経営しているのだな。
俺は暫く歩いてからようやくその店を見つけた。
『薬屋 エルテス』
背の小さな花に囲まれたその建物は、如何にも民間の薬屋と言ったような感じだった。
少し大きな印象を受けたが、どうやらこの建物は二階建ての造りで一階は薬屋、地上から階段が伸びる二階は自宅らしい。
その自宅のドアを見て少し驚いたのは下駄箱が外付けだったことだ。大きい靴と小さい靴が幾つか見えていて、オマケに小さなジョウロが側面にかかっている。
恐らく元の世界の西洋と同じで、この地域では土足文化があるのだろう。ということは日本の様な玄関は無く、ドアを開けたらいきなり室内といった空間が拡がっていて、室内用の靴と履き替えてから入室するのだろうな。
しかし現実の西洋で屋外に下駄箱がある印象はあまり無いな。
今まで出会った人間の人柄から考えると、この辺りは治安が良く、靴を屋外に放置しても盗まれないのかも知れない。
だが思い返すとグレスの家には下駄箱は無かった。
というか靴すら無かった。
あいつは鉤爪なので常に何処でも土足なのだろうな。
まぁ入室してすぐに粗めの草の様なものが生えたマットで足を洗っていたが。
(高貴なイメージを醸しつつ、足を洗うその姿は少し滑稽だった。)
俺は早速ドアを開いた。
すると中から溢れた医療品の清涼的な匂いが俺の鼻腔を刺した。置いている品も元の世界とは違うだろうにこの香りに僅かだが共通点があるのかと少し驚いた。
俺は興味本位で棚にずらりと並ぶ薬品類を見回すと早速店主に向き直り、本題に入った。
「すみません。ここは薬の買取などは行っていませんか?」
「買取?中古の薬を客に出せって言うのか?」
「いえ、勿論新品です。医師に処方された状態のままで保存してあります。」
「なるほど。それでその品は?」
「こちらです。」と俺は学生鞄の奥に仕舞っていた例の瓶を取り出した。
「ス、スライム薬じゃねえか!これをどこで手に入れた?」
「私を気に入ったとある医師からです。さぁ買い取りますか?」
やはりスライム薬というのはこの世界の高級な薬品に当たるようだ。だがグレスの言っていた話だとこの薬は医師免許がないと使用できない代物だ。
薬屋と言うだけで寄ってしまったが、民間向けの薬を処方するこの店で、この品を店頭に並べることは出来るのだろうか?
「女服のあんちゃん、あんたどっから来たんだ?」
「遠い東の国です。」
「そうか、じゃあ特別に200ガレルで買ってやるよ。」
『ガレル』。この世界の通貨単位だろうな。
いやこの地域だけかもしれない。
当然俺にはこの世界の物価は分からない。
しかしこの男、俺を田舎者だと思ってはした金を握らせるつもりじゃなかろうか。
「すみませんが、あそこの棚に置いてあるただのキズ薬が100ガレルだと言うのに、たったの200ガレルでは譲れないですねぇ。」
どうだ?医療品の相場は分からないが、恐らくスライム薬はキズ薬の上位互換とも言えるだろう。
そんな品の買取価格が傷薬の売値の2倍で収まるとは思えない。
見ると他の棚も大体の商品が100ガレル辺りの価格で陳列されている。
流石にこの買取価格は適正では無いのではないか?
「悪いけどこのスライム、いくら高級品とはいえ劣等種だよ。」
「劣等種?」
しまった。聞き返してしまった。
「知らない?劣等種。スライムは覚醒種と普通種と劣等種があるんだよ。」
「え、ええ。」
苦し紛れの相槌しか打てないが、分かっている体を取らなければならない。
交渉において自分の無知を相手に知られるのはマズイのだ。
「スライムは自分の身体を消費して他の生物の身体を増殖させるが、その効果のみを持つのが普通種、保存状態の悪さや寿命が来て効果が薄いのが劣等種。
それで覚醒種ってのは普通種の中でもとんでもない確率の低さで発現する種で、自分自身をも増殖させることが出来る。つまりスライムってのは覚醒種の自己増殖から普通種が生まれて、その普通種が老いると劣等種になるんだな。」
「どうしてこれが劣等種だと?」
「濁ってるんだよ。スライムだって生物なんだ。弱ると水分が抜けて透明度が低くなるんだよ。」
俺は瓶をじっくりと見直した。
俺からするとあまり濁っているようには見えないが。
「それは瓶の色ですよ。取り出したら透明だって分かります。」
「じゃあ取り出してみなよ。」
「いえ、あまり鮮度は落としたくないので取引が確定するまでは開けません。でないと本当に劣等種になってしまう。」
「それじゃあいつまで経っても取引できねぇじゃねえか!」
「そうですね、では他の店に移らせてもらいます。」
「ああ、そうしてくれ!」
俺はドアの前まで引き返したが、呼び止める声は無いな。
「あーあ、このスライムがあれば娘さんを治せるかもしれないのになぁ〜」
「あ、あんた、なんで俺の娘が怪我してるって知ってんだ?」
少し賭けだったが、どうやら当たったらしい。
振り返ると店主は驚いた表情を隠せていなかった。
「外から貴方の家の靴箱が見えました。
大きい男物の靴と小さな女の子物の靴の1組のみだった。
事情は聞きませんが奥さんは居なく、一人で娘を育てている。
そして正面の花壇ですが、花が萎れて小さくなっていました。ジョウロのサイズから考えて花は貴方の趣味では無いですよね?
そして先程、ここの薬品棚を見た時に小児用の薬の表示はありましたが、肝心の薬自体が陳列されていませんでした。
つまり、今まで花に水を与えていた貴方の娘さんが怪我をしたので、店にある小児用の薬を塗布していたが、症状が良くならないので大型の病院に入院させているとか?」
「あ、当たってる、、、」
「どうです?私にケチつけたってバレてしまうと思いませんか?今ならこの瓶の1/10の量をたった10000ガレルで売ってあげますよ。」
「10000ガレル!?
それはいくらなんでも高すぎる!2000だ!」
「では9000に負けてあげましょう。」
「いや、せめて3000!」
「8000」
「4500!もう上げられないぞ!!」
「よし乗った!!」
よし、最初200ガレルだったのが、4500ガレルになったぞ。
まあもしこの価格で適正で無かったとしても瓶の1/10ならまだ余裕はあるし、店主の娘に免じてあまりふんだくらないでやろう。
俺は店主の用意した瓶とレードルでスライムを少量掬って移し替えた。
「因みにお子さんはどんな状態で?」
「料理をしたいって言うから、やらせたら煮え湯を被っちまったんだよ。顔に大きな火傷ができちまったんだ。」
「...そうですか」
幾ら餓死寸前だったとは言え、少し良心が痛んできた。
「これをどうぞ」
「何だこれは?」
「撥水性の良いスライム用の刷毛です。
この羽根の持主であるガレルという者に『柴咲蒼太』という名前と共に、治療を依頼してみて下さい。
もしかしたら安くしてくれるかも。」
店主は少し顔が綻び、礼と共に4枚の金貨と5枚の銀貨を俺に渡した。
俺はマジックテープの財布をベリベリ剥がし、剣のストラップを引いてチャックを開けた。
店主はなんとも言えない表情でそれを見ていた。