横に降る雨
俺がこの世界に来た時に感じたもの。
それは大きな違和感だった。
それらは単体でなく、複数存在した。
この世界は元の世界とは『ルール』が違うのだ。
ここで言うルールというのは物理法則を始め、人種、文化、歴史などの全てをひっくるめてルールと言う。
しかし、その現実との差異が目立つほどにこの世界が現実と似ているのも確かだ。
先程人種と言ったが、つまり人型の生物は多くいる。
しかも通常の人間よりも複雑な種に別れ、大きな多様性を孕んでいる。それらはどういう訳だか俺の知る空想の存在であったり、伝説上の生物だったりもした。
文化や土地であったりは中世のヨーロッパに酷似していた。
まぁこの世界の説明は後にして、当の俺がどうしてこのような場所にいるのかと言うと、俺にも分からない。
あの日はいつもと変わらない日で、いつもの様に高校に登校し、授業を受けて帰宅している最中にトラックに轢かれた。
俺は死んだはずだが、まさかここが天国なのか。
現在俺がいるのは山の斜面にできた横穴というか、洞窟のような場所だ。目が覚めた時からここにいて、外を覗けば開けた空や草原、遠くに赤い色のレンガ屋根が沢山見えた。
何をしていいのか分からず、2日間ほどじっとこの中にいたが、腹も減ってきたしそろそろ人里に降りたい。
俺は意を決して山を下ることを決意した。このまま餓死するのはゴメンだ。
空腹に腹をさすり、どうにか人里の人の流れに入り込むと、思った以上の人間の多さと活気に揉まれた。
更に驚いたのは掲げられている看板や飛び交う声の意味がわかったことだ。日本語とは明らかに違うのだが、何故かわかる。だがそんなことはどうでもいい。何か食べるものを。
「おい、そこの姉ちゃん。あ、男か!?」
「俺ですか。」
「変わった格好だなぁ。腹減ってんのか?」
「はい、滅茶苦茶。」
言い忘れていたが俺は今メイド服を着ている。
勘違いしないで欲しいが、これは俺の趣味だ。
身体は背が高くほっそりとしていて、髪は黒めのブラウン。女ほど長い髪では無いので普通の格好をしていれば女だと思われることは先ずないが、この様な格好をしていれば無理もないのかもしれない。
誤解しないで欲しいのだが、メイドカフェの様なフリフリのミニスカートでは無い。
格式高いロングスカートにアクセント程度のフリル。薄黒い紫を基調としていて、露出は控えめだ。ヘッドドレスもしている。
トラックに轢かれた時もこの格好だったので、その格好のまま異世界に来てしまったらしい。(うちの高校は私服登校が許されていた為、この格好で登下校していた。)
「あんたの格好、どこの鄉だ?名前は?」
「柴咲蒼太と申します。東の遠い遠い国から来ました。」
「ほーん、変わった名前だな。俺はエル・アロス・エランってんだ。俺も昔は旅をやっててなぁ。おめぇみてぇなやつは放っとけねぇんだ。腹減ってんならこれでも持ってきな!」
そのご主人はトマトの様な野菜やその他既視感のある植物をポイポイと放ってくれた。
俺は着ていた白い前掛けを伸ばして取り敢えずそこに受止めた。結構な重みだ。
「あ、ありがとうございます。
エロ・エロス・エロンさん。」
極度の空腹は思考を本能的にさせる。
俺は商店街の離れの路地裏に移動して座り込んだ。
かぶりついたトマトはジューシーで塩味が強く、今まで食べたトマトの中で1番美味しかった。果汁が腹へ流れ込んでいくと更に食欲が湧いた。青野菜も全て瑞々しく、乾いた喉を豊かに潤したが、湧いた食欲は植物では収まりきらなかった。
「肉食べたい。」
そんな俺のことは露知らず、いつの間にか天候は悪くなっていた。しかし、それは俺の頭上ではない。遠くの地平線上、というよりはもう少し手前に、霧のような形で薄暗い雲が浮いていた。地上に雲が張っているのだ。
この世界の雨はあんなに低く降るのだな。と呑気に思っていたその時だった。
「横雨だ!横雨だー!!」
「早く傘張れ!!」
往来の人間や店主たちがガヤガヤと騒ぎ出し、その雲のある方向に対してテントを張った。
するとあの黒い雲から水滴が飛んだ。それは正しく矢のように『横に降る雨』だった。
横雨は地面と平行に放たれ続け、商店街の外側の建物を殴りつけるようなボコボコという音と共に水滴を溢れさせた。
奇妙な事に横雨は降っている最中は重力など知らぬように横に直線を描いているのだが、壁にぶつかると思い出したかのように重力に従って地に水溜まりを作る。
俺は少し高い場所でその様子を見ていたが、その雲は商店街の壁よりも高かったらしく、その横雨とやらをモロに受けてしまった。この水滴自体は普通の雨と変わらないらしい。
これが先程言った『ルール』の違いだ。
中世ヨーロッパの様な風景という現実に共通した部分にこの様な特異な現象が起こっている。
俺は怖いというよりも非日常的な光景にワクワクしていたが、お気に入りのメイド服を汚したくもないので、高台から降りた。
身体の前面はびしょびしょに濡れているというのに、背中は乾ききっている。この匂いからして雨であることは間違いないという事実が更にこの現象を奇妙に感じさせた。
太陽の位置から推測するにあの黒雲があるのは東だろうか。
すると横雨は東からのみ来るのだろうか。
現在、この商店街の東側だけが矢のような雨を受けている状況だが、商店街の外側の壁には方角によってあまり差は無いように思えた。
普通、東からのみ横雨が降ることがわかっているのならば、東側に常にテントが張っていたりなどしてもいいものだが、商店街の外側の壁はどこも同じ様な作りだ。
まあ太陽の位置から方角を割り出せるという『ルール』が通用すればだろうが。