首都ヴァーリャギアの戦い
〈ヴァーリャギア共和公国〉の首都ヴァーリャギア。
豊かな湿原と海、そして母なる〈リャギア川〉の交わる地点に立つ豊かな商業都市は、ここしばらく活気を失っていた。
その原因は、誰の目にも明らかだった。
冒険者に護衛された商隊の馬車が、そんな街へと向かってくる。
そして、街の手前にかかる橋で止まった。
中から出てきた人々が、橋のへりに立って川の水面を見つめている。
赤く染まったリャギア川を、魔物の魚が埋め尽くしていた。
街が活気を失うのも当然の異常事態であった。
「何があったのかな……」
若い女の冒険者の呟きに、隣の商人が答えた。
「分からないから困っている。上流のどこかで集中的に赤雨が降り続けている可能性はあるが、そんな話は聞いたことがないからな……」
皆がこの街を避けるのも当然だ、と商人は重々しく言った。
「実際、我々の護衛依頼を受けてくれる冒険者もなかなか集まらなくてね。だから、君には感謝しているよ。ミーシャくん、だったか?」
「はい。よく覚えてますね、私なんかの名前」
「覚えるさ。君の依頼の履歴を見たが、大活躍じゃないか。それに、どうも西から東へ旅をしている様子なのが気になってね。何か理由でもあるのか?」
「え、えっと。武者修行です」
ミーシャがわずかに頬を染めて、恥ずかしそうに目をそらした。
恋愛沙汰なんだな、と商人は察した。
「この赤い川が、何かの凶兆でなければいいのだがね。さあ、出発するぞ」
商隊がリャギア川を渡り、豊かな街の建つ三角州へと入った。
あまり人気のない道の左右に、露店を雨から守る屋根だけが並んでいる。
「ここまでで結構。護衛に感謝する」
商隊が解散し、一仕事を終えた冒険者たちが酒場へと向かっていく。
「あんたもどうだ?」
「いえ。私はやめておきます。そういうの、得意じゃないので……」
「ふーん? ならいいけどよ」
ミーシャは誘いを断り、一人でギルドへ向かった。
オットーに勇気付けられ、冒険者として成長するために旅立ってから、ずっと彼女には友達がいない。
(まあ、でも……気付いたら”街で一番いい人”みたいになってて頼み事を断れなかった時よりは、気楽でいいかな……人助けは嫌いじゃないけど)
彼女はギルドへ向かい、情報募集の張り紙を掲示板に張ってもらった。
……オットー・ライトという男は、とにかく目立つ。
空を飛んでいる上に、妙なトラブルまで付きまとっているのだから当然だ。
目撃者が大量にいて、ミーシャは簡単に足取りを辿れた。
(何やってるんだろ、私。別に、追いついたところで告白しようって勇気もないし……いや、これはこう、修行の一環で。追いかけてれば勝手に経験が積めるし)
ギルドを出た瞬間、宿泊費の割引をアピールしている看板がいくつもあった。
街を訪れる人間が減って、冒険者向けの宿は苦しい状況らしい。
「すいません、とりあえず二泊で」
「おお、ありがたい! やっと客が!」
ミーシャは宿帳に名前を書いて、宿の代金を払おうとした。
が、運悪く財布の中の小銭が切れていた。
「えっと、今からギルドで貯金降ろしてきます……」
「いやいやいいよ、後でやってくれれば!」
「でも」
「いいって別に! 他の宿に目移りでもされちゃ困るしな!」
「……そう言われると、なんか他の宿も見たくなってくるような」
「いやいや嬢ちゃん、ここらの宿じゃあうちが一番サービス……!?」
宿の主人が絶句して、ミーシャの背後に目を向けた。
「公爵様!?」
「えっ公爵!?」
慌ててミーシャは横へ飛び退いた。
真っ白な肌に金色の髪をした、妖精のような男が立っている。
「ん、そのまま続けてくれないか? わたしは終わるまで待っているよ」
「いや……え、っと……は、話は終わってます」
「そうかい? なら、話をさせてもらおうかな」
宿の主人が笑みを浮かべたが、口の端が引きつっている。
「あー、えー、いやあ……借金の返済が滞ってるのは、たいへーん申し訳ないと思っております。ホントーっに申し訳ないです!」
「……わたしは別に、借金の催促をしにきたわけではないよ。ただ、赤い川の被害はどの程度なのか聞きに来ただけだけれど……深刻なようだね」
「へ? は、はい! うちだけじゃなく、どこも経営が苦しくて」
「うん。そのようだ。わたしの助成金は、今この瞬間をもって返済不要とする」
宿の主人が狂喜乱舞して、”公爵様”に感謝の言葉を述べている。
その様子を、怪訝な顔でミーシャが眺めていた。
彼女の故郷なら、公爵が平民とサシで話をするなど絶対にありえないのだ。
「そこのあなたは旅の冒険者かな? 我が国へようこそ。今はこんな状況で、仕事も観光もちょっと難しいけれど、本当はもっと良い街なんだ。できれば、川が元に戻った時にでもまた……なんて、贅沢な頼みかな。じゃあ、良い日を」
あまりの出来事に、ミーシャは返事をしそこねた。
「……あ! 返事できなかった! やばい殺されるレベルの失礼……!」
「殺されるって、何の話だよ?」
借金がなくなって機嫌のいい主人が、皿を吹きながら言った。
「だって、公爵なんですよね? 滅茶苦茶偉い人だし……」
「あー。うちの公爵は選挙で選ぶんだよ。貴族っちゃ貴族だけど、世襲じゃないからあんたの国よりマシだな。特に、今期の〈妖精公〉様はなあ……滅茶苦茶いい人なんだよ!」
国が違えば貴族のシステムも違う、ということらしい。
「見て分かったろ? な? 今までの私服を肥やしてた貴族と違って、民の暮らしを一番に考えてくれてるんだよ! あれで見た目までいいんだから反則だ!」
「そうなんですか」
異国の貴族の話など、ミーシャには関係がない。
天地がひっくり返っても、彼女がその妖精公とまた関わることは無いはずだ。
「おーい。君、もしかしてミーシャっていう名前かい?」
……いったん去ったはずの公爵が、なぜか彼女を呼んだ。
「違います」
「怖がらなくてもいいよ。ヴェスタリア王国の魔法貴族と違って、うちは民会で統治者を選ぶ選挙公制だし、わたしなんか全然権力ないからさ」
「……そうなんですか」
「それでさ、君、オットー・ライトとはどういう関係なのかな?」
「え!? と、特に関係ないです!」
「ほんと? いやね、彼って面白い機械を作ってるみたいだからさ。うちで生産できないかな、と思ってて。話を聞きたいのに全然捕まらないから……」
「空を飛んでないと追いつけないんじゃないですかね」
「でも、うちのワイバーン商人に聞いても知らないって言うんだよねえ。よほど田舎に居るのか、もう東に飛んでっちゃったのか……」
妖精公は何かを思いつき、ミーシャの近くに歩み寄った。
「もし良ければ、わたしの宮殿に来ないかい?」
「!?」
わりと小心者なミーシャが招待を断れるはずもなく、彼女は宮殿に招かれた。
- - -
数日かけて、彼女はオットーについて知っていることを話した。
何故か有力者たちのお茶会に招かれて冒険譚を話す羽目になり、彼女の胃が死んだりもした。
幸い彼女にはSランク冒険者の変人兄貴が居るので、他人の話で何とか有力者たちのウケを取れたのだが、そのせいでまた話をする羽目になってしまい……。
「今日の話も面白かったよ。是非、君の兄に直接会ってみたいものだ」
「辞めておいたほうがいいと思います」
「それが賢明かもしれないね」
結局、頻繁に宮殿を訪れざるをえない状況になっていた。
「……いつも苦労をかけるね。悪いとは思ってるんだけど、ほら。有力者たちに呼んでくれってせっつかれると、わたしも断るわけにもいかなくてさ……」
「苦労してますね……」
「まあね」
〈妖精公〉は、茶会の席に残された食べ残しのケーキに手を付けた。
「……良いんですか」
「良くない。ほんとはこれ、使用人にあげなきゃいけないから。内緒だよ」
「はあ」
「そうそう、聞いてほしいんだけど。空島って知ってる?」
「いえ」
「世界を漂う浮島なんだ。近くにある村でオットーを見たっていう証言があった。だから、彼は多分、その浮島に居るんだろうけど……」
〈妖精公〉の顔が曇る。
「その浮島のそばに、ずっと赤雨が降り続けてるらしい。放浪翼竜騎兵に連絡をつけて、今その赤雨の調査をやってもらってる」
「また何かトラブルにでも巻き込まれてるのかな、あの人は」
「そのようだね。……で、済めばよかったんだけど」
彼はため息をついた。
「うちの有力者たちが、この川が赤くなっているのはオットーのせいだって主張しているんだ。やつを捕まえて、経済被害の責任を取らせろってね」
「無茶な話ですね」
「本当だよ。そうと決まったわけでもないのにさあ」
〈妖精公〉はケーキを口に放り込んでいる。
特に味わっている様子はない。単なるストレスのやけ食いだ。
ふと、空が赤く染まった。
夕焼けには早い。赤雨だ。
「……翼竜騎兵を調査に出した瞬間、止まってた雲が動いた? しかも報告が来ていない、まさか……」
「なんか、嫌な気配がしませんか……?」
「うん。おかしい。普段の赤雨と空気が違う」
その直感は正しかった。
赤い雲の中から雨と共に無数の触手が現れ、天から地上へと伸びてくる。
それは建物の屋根を叩き壊し、中の人間を掴んでは殺した。
無機質で一方的な殺戮だった。
冒険者の少ない今のヴァーリャギアに打つ手はない。
城壁上からばらばらと打ち上がる魔法の対空砲火は、瞬く間に触手によって射点を潰され、すぐに沈黙した。
「ミーシャ、宮殿の中へ! わたしは市中を回ってくる!」
「公爵様!? 危ないですよ!?」
「見れば分かる! 危ないから、民を守りに行くんだ!」
「……私も行きます!」
勇気を振り絞って叫んだミーシャの頭上に、触手が降りてきていた。
〈妖精公〉は魔法を放ったが、巨大な触手には歯が立たなかった。
「まずい! ミーシャ!」
彼女が触手に巻き付かれた、ように見えた。
だが、巧みな身のこなしで辛うじて避けている。
赤い触手が地上をうねり、茶会のセットを吹き飛ばす。
その全てを彼女は避けていたが、反撃は効かない。時間の問題だ。
ドンッ、という爆音が街の上空から響いた。
盛大な煙を吐きながら、三角形の翼から青の光翼を生やした機体が超高速でフライパスする。
その航路にいた触手が全て叩き斬られ、次々と地上へ落下していく。
「なんだか……君の話よりも随分と強くなっているみたいだね、彼は」
「そういう人なんですよ。あの人は、止まらないんです」
熱の入った調子でミーシャが言った。
「だろうね。これなら、わたしたちは救助に集中できる! 行くぞ!」
「はい!」
- - -
「くそっ、まだ半分近く残ってるか……」
〈リベレーター〉で赤月の触手を叩き斬ったオットーは、街の外で旋回しながら様子を確かめた。
再突入するのは危険だ。脅威があると認識すれば、赤月は魔法を使ってくる。
(流れ弾の危険がある。もう僕は地上付近で戦えない。地上の守りは頼んだぞ、レファ!)
瘴気ロケットブースターを吹かして後から突入してくるレファを一瞥し、彼は一気に高度を上げた。




