〈大空の支配者〉
「まったく、オットーくん! 君という子は! なんてことをするんだ!」
無事に卵を持ち帰ったオットーは、依頼者のベルガーおじさんに説教されていた。
経験もないのに危険な依頼を引き受けて、竜との空中戦をやらかしたのだ。
子供を心配する立場の大人としては、当然、叱らなくてはいけない。
「でも、成功したじゃないか?」
だが、オットーはややひねくれた生意気な少年である。
叱られたところで反省するはずもない。
「それは……そうだけどねえ! 確かに、私もこの街の人々も、君が竜の卵を持ち帰ったことで助かったけれど……! でも、君がしたことは無謀だ!」
「心配しなくても、もうやらないよ。金は入ったし」
竜の卵を持ち帰ったことで、オットーの懐には大金が入っている。
ベルガーも、さすがに報酬を渋るようなことはしなかった。
冒険者ギルドを通して依頼している以上、そんなことをすれば問題になる。
「でも、君は金があったらあるだけ使い切る人間じゃないか」
「まあね。金をタンスの奥にしまっておいたら勿体ないし。天下の周りものなんだからさ、あるだけ使わなきゃ」
ベルガーはため息をついた。
オットーがロング家から追放されてしまった以上、今では彼が親代わりの立場にいる。
だが、まともに育てることはできそうにない。
オットーという少年は、自由なのだ。
自由であるということは、全ての責任を背負っていることでもある。
彼がそういう生き方を選んだ以上、周りの大人がそれを背負うことはできない。
「おじさん。心配しなくても大丈夫だよ。僕はこう見えて、けっこう大人だから。バカなことはやらないし、他人に迷惑をかけることもしない。ただ、空が飛びたいだけだから」
「……分かった。信じよう。言ったからには、バカなことはするんじゃないぞ」
「任せて」
オットーは依頼の報酬をしっかりと握りしめ、ベルガーに背を向けて歩いていった。
足取りは軽い。今にもどこか見えないところへ消えていってしまいそうだ。
きっと、彼をこの街に留めておくことは不可能なのだろう。
ベルガーはそう思った。
- - -
報酬の大半を、オットーは冒険者ギルドに預けた。
冒険者ギルドには銀行としての機能もある。
普通の銀行と違って利子とかは特にないが、冒険者にとっては便利だ。
生活費を得たオットーは、手頃な宿を選んで宿泊する。
その日の夜、彼は奇妙な夢を見た。
何もない白い空間に、ぽつんとオットーは立っている。
「やあ」
振り向いた先に、ぼやけた人影があった。
「……誰? ここは? 僕、もしかして死んだ? 異世界に転生する奴だったりする?」
「はは。まさか」
人影が面白そうにくすくす笑った。
「違う。君の才能がレベルアップした影響だよ」
「レベルアップ? なるほど」
人間が持つ〈才能〉は、その分野に関わる経験を積むとレベルが上がる。
ドラゴンと空中戦をすれば、〈大空の支配者〉のレベルが上がるのも当然だ。
「僕がレベルアップしたのはいいけど、あなたは?」
「私は〈大空の支配者〉だよ、少年」
「……はい?」
「私という才能は、多くの人間の間を連綿と受け繋がれてきた。才能と共に、少しづつ歴代所有者の人格を引き継ぎながら、ね」
「才能が、人格を? そんな話は聞いたことがない」
「他の才能だって、人格ぐらい持っているさ。ただ、同時に存在しすぎて薄まってるのさ。……今じゃ、全人類が才能を持ってる時代だからね。人気の才能を持ってる人間の血はどんどん広まるし。同期は皆ヤリ放題で羨ましいよ」
虚空に座って足を組んでいる人影が、少年には刺激が強かったかな、と笑った。
実際、オットーには少し刺激の強いシモネタだった。
普通の思春期の少年が女の子に対して注ぐ情熱や時間を、彼は全て飛行に向けている。
「けど、私は〈大空の支配者〉だぞ? 私ほど不遇な才能もない。なにせ、私という才能を持って生まれた人間があまり血を残さないから、ほとんど血筋も絶えかけでさ。今の時代に〈大空の支配者〉を継いだのは君だけだ、少年」
「……僕だけ? 不遇だとは思ってたけど、そんなに?」
「そうだとも。そのかわり、私は君に手取り足取り技を教えることができる」
女性のシルエットを持つ〈大空の支配者〉が、オットーの鼻を指でなぞった。
(えっ!? ちょ、ちょっと!? これって……エッチなやつ!?)
「朝が来るまで、たっぷりと楽しもうじゃないか。まずは基本の〈ブロウ〉と〈デフレクト〉からだ」
「……う、うん」
微妙にがっかりした顔で、オットーが頷いた。
「君の雰囲気からすれば、おそらく才能レベルは50前後だろう? とりあえず、浮いてみてくれ。基本だからな、それぐらいは出来るはずだ」
「え? 50?」
「違うのか?」
「僕、今朝までは才能のレベルが3だったんだけど」
「は!?」
〈大空の支配者〉が叫んだ。
「いや、レベルが低いうちは私と話すことなんて出来ないはずだぞ!? 才能のレベルが上がっていかないと、才能の中にいる私も起きてこないから……」
「心当たりはある。今日、ドラゴンと空中戦をやったんだ」
「はああああっ!?!?」
〈大空の支配者〉が裏声で叫んだ。
「才能レベル3なのに、ドラゴンと空中戦!? 空を飛ぶどころか、浮かび上がることだって無理な段階だろう!? いったい君は何をしたんだ、少年!?」
「魔法だけが空を飛ぶ手段じゃないから」
「ど、どういうことだ?」
「お姉さん、航空力学に興味はあるかな?」
- - -
「情熱的な夜だったな……」
目を覚ましたオットーの隣に、見知らぬ女性がいた。
モデル体型の美女が、一糸まとわぬ姿でベッドに入り込んでいる。
「うわっ!? 誰!?」
「ふふ。心配しなくてもいい。レベルが上がれば、また夢の中で会えるさ」
「夢……?」
「君の話はとても面白かったよ、少年。君の説明してくれた航空力学的なアプローチと私の風魔法を合わせれば、きっと飛行の効率が桁違いに上昇するはずだ。私の存命中に知りたかったものだね」
「は、はあ……それはどうも……?」
「お礼と言ってはなんだが、一つ。君に、私の奥義を授けてあげよう」
彼女の手に、青い結晶が握られていた。
魔法結晶、と呼ばれるものだ。
あれを触った人間は、結晶の中に込められた魔法を扱う術を得る。
才能と無関係に魔法を覚えることが出来る、値段が付かないぐらい貴重な品である。
「〈セレスティアルウィング〉。魔力の翼を生み出す大魔法だ。使い手は、君で人類史上二人目だよ。私のオリジナルだ。とことん使い倒して自由に生きるといい、少年!」
「ええと、あなたは……?」
「言っても意味などないさ。君が完全に起床すれば、私と話したことも忘れるんだ」
すうっ、と彼女の姿が薄れていった。
「いずれレベルが上がれば、会話の記憶を保てるようになる。頑張れよ、少年。……君の性質上、私との相性は最高だ。すぐに強くなれるさ」
「……? あれ?」
完全に目を覚ましたオットーが、怪訝そうに自分の寝相を眺めた。
まるで何かに驚いて飛び退ったみたいに乱れている。
(なんだろう? 僕、悪夢でも見てたのか? まあ、ドラゴンと戦ったしなあ)
目をこすりながら身を起こした少年が、何気なくベッドに手をついた。
すぐそばに置かれていた青い結晶が倒れてきて、彼の手に触れる。
「……え!? これって、魔法結晶!?」
結晶が強く輝き、魔力がオットーの体に流れ込んでくる。
一瞬のうちに、彼は〈セレスティアルウィング〉という魔法を習得した。
どういう魔法なのかの知識も流れ込んでくる。魔力を翼として放つための魔法だ。
間違いなく、オットーの趣味と合っている。
だが、魔力消費が異常なほどに激しい。
本来の性能を出すためには、才能のレベルを上げていく必要があるだろう。
(一体誰がこんなものを!? 魔法結晶なんて、ロング家とベルガーおじさんの資産をまとめて十倍にしても手が届かない高級品なのに! ……まさか、あのドラゴンが!?)
いや、そんなはずはないか、とオットーは思い直した。
謎だ。謎だが、嬉しいことに代わりはない。
(僕のベッドの中にあったんだし、なんやかんやで僕が自然発生させたとか?)
そもそも、魔法結晶がどうして生まれるのかという理由は誰にも分かっていない。
とりあえず気にしないことにしよう、とオットーは決めた。
(……万が一、これが他人の魔法結晶だったなら、すごく厄介だな)
唯一、そのことだけは気になった。
(この魔法を人前で披露するのは、やめておこうか?)
いや、技を隠す理由はない、とオットーは思った。
仮にこれが他人の魔法結晶だったとして、僕のベッドに転がしておくのが悪い。
自由に使わせてもらおう。
さて、今日は何をしようか?
壊れたグライダーを直そうか?
あるいは設計からやり直して、もっと性能を上げてみようか?
空飛ぶ上で風魔法が便利だと分かったことだし、飛行に魔法を活かすための研究をしようか?
(何をやってもいい。僕はもう、ロング家の貴族じゃないんだ。自由な人間なんだから)
オットーは窓の外を見た。今日もいい天気、絶好の飛行日和だ。
さっそく〈セレスティアルウィング〉を使ってみてもいいか。
「よし、空を飛びに行こう!」




