原点と決意
その日の夜。
地上に建っているハイエルフの研究所の居住区、アイテラが解錠した部屋のベッドに寝転んで、オットーは天井を見つめていた。
ベッドがふかふかすぎて普段ならすぐ寝てしまうのだが、今日は別だった。
(赤月を倒せば、魔物は生まれなくなる。ゴブリンみたいに生殖で増える魔物もいるから全滅はしないだろうけど……でも、魔物の素材が使えなくなると、色々な分野に影響が出るよな)
彼は寝返りを打った。
(そのかわり、流通の危険はなくなって、たぶん世界は豊かになる。だから、むしろ赤月を倒すことで助かる人のほうが多いんだよな……じゃあ、僕は世界中の赤月を倒すべきなのか?)
”意外とつまんないこと気にするんだね”。
その一言を思い出して、彼は息を吐いた。
(僕は本当に、こういう生き方がしたいんだろうか?)
何にも縛られず自由に生きているはずが、なお色々なことを気にしてしまう。
「っていうか……そもそも、今の僕じゃ〈赤月〉には敵わないだろうな……」
直接戦った訳ではないが、明らかに格上だった。
今の彼では実力が足りていない。新型の試作機は、レファの協力を得て使う目処はついたものの……きっと、それだけでは全く足りていないのだ。
(何かしなきゃいけないんだろうけど……でも、何をすればいいんだろう?)
こんこん、と窓が叩かれた。
レファが窓の外にいる。
「……何してるの? 普通に廊下から来たらいいのに」
「こっちのほうが雰囲気出るかなって。あはは」
「はあ……」
開いた窓越しに、彼らは向かい合った。
「えっと。なんか、もし傷つけちゃったなら、ごめん、っていうか」
「昼間のこと? 別に気にしてないよ」
「ほんとに? ……私はちょっと気にしてる」
レファは窓枠に腕を組み、その上に顎を預けた。
「ライバルとかじゃなくて、ずっと一緒にやっていきたい気持ちも出てきたんだけど。でも、色々と違いすぎるっていうか……そういうので、こうほら、迷ってて」
「将来のプランみたいな話?」
「そうそう。そういうやつ」
「確かにね……空島に来てからは何となく一緒に居るけど、別に行動を共にしてるわけでもないし、同じ目的があるわけでもないし」
「ねー」
それから、二人はしばらくとりとめもない話をした。
旅先で見た面白いもの。飯のうまい店。天気の話。
少し距離があった今まではしなかった話だ。
「なんていうかさ……私、頭でっかちな生き方ってよくないと思うんだよね」
しばらくして、レファが真剣な話に踏み込んだ。
少し考えてからオットーが返す。
「翼竜騎士団の団長みたいな?」
「そう。だってあの人、奥さんはもう居ないけど、子供は居たんだよ? 独り立ちしてるって聞いてはいるけど……でも、勝手な理屈で勝手に死んでさあ」
「彼の勝手じゃないか? 騎士団の存在意義も消えたわけだし。彼にとっては後悔のない生き方だったと思う」
「言うと思った。そういうとこあるよねー」
レファが笑った。
「でもさ。そういう人のほうが、生きる意味みたいなやつには困らないよね」
「え? 君、生きる意味とか気にする人だったの?」
「いや別に。でも……空島の素材、ちょっと売ったでしょ? あれで白金貨が何十枚もどかって入っちゃって。ワイバーンの餌代にも困らなくなってさ」
「良いことじゃないか」
「そりゃ当然ねー。でも、お金持ちになって生活に困らなくなってみたら、なんか何したら良いのか分からなくて。適当に飛び回ってても、まあ楽しいけど」
「自由な生き方だね。……羨ましい」
「本当に、これって自由な生き方なのかな」
彼女は目を伏せる。
「自由ってさ、”やりたいようにやる”ってことでしょ? やりたいことが無くてフラフラしてるのは、自由っていうか単にダメ人間じゃない?」
「ああ……そういう考え方もあるか」
色々なものに縛られて貴族時代を過ごしたオットーにはない発想だった。
(僕はずっと、実家に縛られずに自由に生きたかった。でも、本当にやりたいことのために何かの責任を被るんなら、それもまた自由な生き方なのか……)
少しだけ、彼の胸につっかえたものは軽くなった。
「でもレファ、君だって空が飛びたいだろ? それだけで十分に、やりたいことがあるって言えるんじゃないか?」
「あ、そっか」
レファがほっと息を吐いた。
「うん。なんか、お金稼いで原点を見失ってたかも。私はもっと、速く飛びたい」
彼女は勝手に宣言して、勝手に満足して去っていった。
(まったく、自分が満足したらさっさと帰るんだから……)
オットーはベッドに寝転び、苦笑いする。
(……僕も、原点を見失ってたかもな)
実家を出て、自由に空を飛んで生きたい、という夢は叶っている。
だが、子供のころに抱いた夢は、本当にそれだけだったろうか?
(自分の心に従ってやりたいことをやろう。それで十分だ)
- - -
翌日になっても、まだ雷雲の向こう側に赤い雲が立ち込めていた。
島の地上に出た瞬間に、オットーは視線を感じた。
まだ居る。空島の風に押し返されているだけで、彼を狙っている。
「まさか……」
彼は〈ライトフライヤー〉を使い、雷雲すれすれを一周してみた。
赤い雲は彼を追いかけてきて、雷雲の向こう側を回っている。
間違いなく、まだオットーは狙われていた。
空島に戻った彼は、ちょうど川のそばにいたアイテラにこのことを相談した。
「やつらはしつこいからな。ひとたび狙いを定め噛み付けば、そうそう離さん」
「戦うしかないってこと?」
「そういうことになる」
「……いったい、どうして僕を狙ってるんだ?」
「やつは空を飛ぶものから優先的に狙ってくる。よほど高く飛んだか速く飛んだか、それで赤月を刺激したのだろう。飛行魔術を専門としていた私の同胞たちも、そのせいで真っ先に食われてな」
アイテラは川べりの花畑に腰を落ち着けて、空を見上げた。
「大昔、赤月の災厄が始まったころ。赤月が空を飛ぶ者から狙う習性が知れ渡る前に、空を取り戻そうと赤月へ立ち向かった者たち……あの者たちから、我は大事な魔法を継いだ。名を、〈スカイルーラー〉という」
黒猫は青く輝く翼を生やし、ぎくしゃくと空に浮かび上がった。
〈セレスティアルウィング〉に比べれば、はるかに完成度が低い。
「見ての通り、お前も使っている〈セレスティアルウィング〉の原型だ」
「〈大空の支配者〉っていう才能の名前は、そこから?」
「半分はそうだ。もう半分は、我が願いだ。大空を支配するほどの強者よ、生まれ出て赤月を討ちたまえ、とな。……実際には、願いとまるで違う男が来たが」
「筋肉隆々の最強戦士じゃなくて悪かったね」
「どうでもいいことだ。もう赤月は脅威になっていないようだからな」
それに、と前置きして、アイテラは赤い雲を睨みつけた。
「我が元の姿を取り戻しさえすれば、残る赤月は全て叩き落とせる。この状況ならば、協力者などいらん。だから……聞いておこう、少年よ」
「うん」
「お前は、自分の手でやつを叩き落としたいか? それとも、我が力を取り戻すまで大人しくしているか?」
「落としに行く。僕は自由に飛びたいんだ。あいつに目を付けられるからって、自重してびくびくと空を飛びたくはない。返り討ちにできるぐらいの自力を付ける」
「よく言った、少年」
アイテラが誇らしげな表情を浮かべた。
「だが、今のお前ではまだ力が足りん」
言われずとも、オットーにはそれが分かっていた。
レファと協力して互いの長所が引き出されている状態でも、逃げきるだけでギリギリだったのだ。
単独で挑めば、魔物に圧殺されるか触手に叩き落されるのがオチだろう。
「我が才能とお前は相性が悪い、と言ったのを覚えているか?」
「もちろん」
「かつて才能を作るための設備を修復してある。お前の魂をベースに、新たな才能を作ることができる。まずはそこからだ」




