アイテラ先生の教室
アイテラが黒板を壁にかけて、魔法でチョークを浮かして掴む。
三つ並んだ机と椅子が合わさり、まるで教室のような雰囲気だ。
……受けている側の態度も教室じみていた。
真面目にノートを開いているオットーと、足を組んで机に乗っけている態度の悪いレファと、机に突っ伏して眠そうなシリン。三者三様である。
「さて。あの〈赤月〉について説明する前に、いくらかハイエルフ文明の歴史を振り返るとしよう。もっとも我自身、全盛期に生きていたわけではないが……」
アイテラは眼鏡をかけて、二本の足で立っている。
完全に人間の仕草だ。元は人間だから当然なのだが。
「あらゆる人種の中で、最も早く文明を作り上げたのがハイエルフだ。寿命が長く魔法に優れ、一時期は世界のほとんどの種族を奴隷として支配下に収めていた」
「うわ、奴隷? ハイエルフって、もっと綺麗な種族だと思ってたのにー」
「奴隷とは言っても、扱いはそこまで悪くないがな。だが、政治や魔法技術などの重要分野はエルフが独占していた」
(現代のエルフも高慢だしな……他種族を見下してる光景が目に浮かぶ)
魔法学園にはエルフの国から招かれた教師が居たが、評判は最悪だった。
ろくに教える気がなく、授業で自分の魔法を見せびらかすばかり。
ああいう雰囲気だろうな、とオットーは思った。
「だが、時代が下り他種族が技術力を付けるにつれて、ハイエルフの国は不安定になり、全世界で独立運動が多発するようになった。その鎮圧用に作られたのが」
「きゅ」
シリンが前足を上げた。
「うむシリン君、答えたまえ」
「きゅー!」
「正解だ。それが生物兵器の〈赤月〉ということになる。……寿命が長いだけあって、竜族の間ではいくらか知識が残っているのか?」
「きゅ」
「ふむ。さて、そういうわけで作られた〈赤月〉は極めて強力な兵器だった。強力な戦闘能力を備えているだけでなく、小型生物兵器の生産能力を持ち、操縦者がいなくとも自律的な行動が可能であった」
「兵器を自律行動させるなんて、悪手なんじゃ?」
「鋭い指摘だ、オットー君」
アイテラが頷いた。
「だが、自律行動させる他なかったのだよ。ハイエルフは個体数が少ない一方で、独立運動を繰り広げる側には鼠人などの繁殖が早い生物が居たからな。数の差を補うためには、どうしても必要だったわけだ」
「で、今も私たちが迷惑してるってこと? はーハイエルフ最悪じゃん!」
「……いや。初期の〈赤月〉には緊急停止機構があった。ハイエルフの作ったままの仕様で運用されていたならば、災害は起こらなかったのだが」
アイテラは魔法でチョークを動かし、赤字で”魔族”と書いた。
「ある日、魔族が〈赤月〉の生産工場を奪い取り、悪意ある改造のなされたバージョンを世界に解き放った。見るもの全てを襲い、魔物を垂れ流し、〈赤月〉同士で生殖して繁殖する能力すら持つ、兵器ですらない最悪の災害をな」
それから、アイテラは文明の滅びる様を語った。
全世界の空を〈赤月〉の生み出す赤い雲が覆い、世界は戦火に包まれ天文学的な犠牲者が生まれ、流通は寸断されて食料も情報も届かない中を、各種族の生き残りが肩を寄せ合って絶望的な戦いを続けた。
その最中も、魔族だけは他種族に敵対的な活動を続けていたようだ。
「その戦いの最中に、種族の混血は進んでいった。おそらく今の人間にも、ハイエルフを含めた諸種族の血が流れているはずだ。……実は、これが赤月の被害を増やした原因の一つでな」
「というと?」
「魔族に作られた後期の〈赤月〉は、自動的にハイエルフを狙う設定であった。ゆえに、ハイエルフは早い段階でほぼ絶滅したのだ。ところが、混血が進んだことで他の種族も狙われるようになってしまった」
「なるほど。で、今はハイエルフの血が薄まったから、赤月は自発的に攻撃せず、ただ漂って雨を降らせるだけにとどまってたってわけか」
「うむ。何かのきっかけで、お前たちを脅威と認定したようだが」
赤月についてはこんなところだな、とアイテラが言った。
「我には気になっていたことが一つある。まだ”レベル”はあるのか?」
「あるよ?」
「才能レベルのこと?」
「……なるほど。そのシステムは、戦況が最も絶望的だった時代に少しでも戦力を増やすべく考案されたものだ。特に優れた才能や人造の才を魂の欠片という形で受け継がせ、戦闘を通じてレベルアップする。ずいぶん手を焼かされたものだ」
黒猫が器用に肩をすくめた。
「そうしたシステムを作り上げ、生き残りの多種族連合が要塞化された都市群で抗戦を続けている間に、魔族のほうが分裂した。そうして弱体化したところを精鋭に討伐されたわけだが……」
黒猫が、黒板の”魔族”という文字を見つめている。
「結局のところ、魔族を討伐しても戦況は好転しなかった。既に生産された〈赤月〉の数が多すぎてな。この空島を拠点に一人で戦っていた我も、そこで力の限界を感じ、眠ることにした。我が才能を継ぐ者と共闘できる可能性に賭けてな」
「なるほど」
「……結局、血が薄まって〈赤月〉が無力化される方が速かったようだが」
だいたいの流れをノートに記し、オットーはそれを見返した。
ほとんどが現代に伝わっていない情報だ。
下手に広めれば争いの火種にすらなりかねない。
「レファ。この話は、僕たちの間だけで止めておこう」
「え? でも、広めれば歴史とかやってる学者は助かるんじゃない?」
「危険すぎると思う。〈赤月〉を兵器化しようとする勢力が出る可能性もある」
「そうかな? あれは魔物を生んでるんだよ? それこそ倒すべき世界の敵なんだし、そんなの動かそうとしたら世界中から嫌われそうだけどなー」
「本当に倒すべき敵なのか? 冒険者ギルドとか、魔物が居ないと大変だよ」
「……意外とつまんないこと気にするんだね」
頬杖をついたレファが言った。
何気ない言葉が、思いっきりオットーの胸に刺さる。
「魔物が居なくなったらみんなハッピーなのに、真っ先にギルドのことを気にするの? やっぱそういうとこ、オットーって貴族だよねー」
「どういう意味だよ」
「いや別に。なんか窮屈だなーって」
レファは腕を頭の後ろで組み、足を机に乗っけて体を伸ばした。
「だってほら、貴族の責任とかをほっぽりだしてさ、一人で空飛んでフラフラしてるんじゃん? のわりにさ、見てるとけっこー責任感とか強い方でしょ?」
「う……まあ」
「ま、別に悪いことじゃないっていうか、良いことなんだろうけどさ」
レファはつまらなさそうな顔でまぶたを閉じた。
「私みたいな根無し草とは違うなって……うーん、私もつまんないこと考えてる」
「いきなり急にどうしたんだ」
「そだね。何でだろ。なんか……協力しちゃったからかな?」
レファが片目を開き、オットーに微笑みかけた。
「おえ。現代の連中は皆こうなのか? あまりに青すぎて喉元にえぐみが来た」
アイテラがうえっと毛玉を吐く真似をした。
「言っておくが、赤月の情報は我が広めさせてもらうぞ。情報が広まっている状態のほうが、ごく一部の人間だけが赤月を知っている状態よりもはるかに安全である。誰も知らない状態ならば、気付かれずに悪用の準備をできるであろうが」
「……なるほど。皆が知っていれば、当然そういう事態の対策も考えるか」
「そういうことだ。講義で疲れたから、我は寝てくる。あとは好きに若者同士で青春の語らいでもしていろ。工房は汚すなよ」
「汚すようなことしないよ!?」




