振り回された人々
〈ライトフライヤー〉にぶら下がって飛んだオットーは、すぐにファフニールの姿を見つけた。
慣れた様子で着地した彼のことを、ファフニールが目を丸くして見ている。
「人の身で空を飛ぶか! 懐かしいなァ……昔の魔術師は、よく風を操って空を飛んでいたものだが! この大腑抜け時代に見れるとはなァ! いや、妙な補助具を使っているあたり、やはり昔の魔術師には及ばんがなァッ!」
「そ、そうなんだ?」
「さて、我には質問があるッ! 答えるがいいッ!」
ファフニールは首をもたげてオットーに迫った。
「……リ、リントヴルムの様子はどうだ?」
もじもじしている。
「まだ妻に未練がありそうな様子だったよ」
「! そ、そうかァ! それは……グオオオオオッ! 滾るッ!」
彼女は尻尾を振り回した。
咆哮がうるさい。オットーは思わず耳を塞いだ。
「オットーよッ! 人間どもは我の卵を孵化されられたのだなァ!? それは確かなのだなァッ!?」
「ま、間違いないよ。鍛冶場で炎にかけて、それでシリンは生まれてきた」
「素晴らしいッ! ……いくらやっても、我の炎では卵が孵化しなかったのだ!」
ファフニールが言った。
「弱き卵ばかりが生まれてきたせいでな、些細なことですぐに卵が死んでいたのだッ! おそらくはリントヴルムのせいなのだろうがなァ!」
「それは気の毒に」
「我は気の毒などではないわァ! 強き卵のみが生まれてくる、それでよい! だが、やつは……卵が一つ死ぬ度に、ずいぶん気を落として……。一回だけは上手くいったのだが、その卵を人間に盗まれてしまってなァ……」
なんか生々しい話だな、とオットーは思った。
子供が生まれなくて苦労してる夫婦みたいだ。
「失敗が続くうちに、おそらく我との相性が悪いのだから、やつに違う伴侶を見つけたほうがいいのかと……いや、お前に聞かせる話ではないなァッ!」
ファフニールは夫を置いて飛び立った理由を、オットーは何となく理解した。
夫婦仲が悪化した、という雰囲気ではない。
「きゅ、きゅっ!」
「うむ! そのつもりである!」
シリンの鳴き声を聞いたファフニールが頷く。言葉がわかるらしい。
「我はリントヴルムの元へ戻るぞォッ! ウオオオオオッ!」
ファフニールは天高く吼えた。やかましい。
「シリンよ! お前はこいつに付いていくのだろうが! 何もせず別れるのは惜しいッ! せっかくだ、お前の飛び方を見てやろう!」
「きゅっ!?」
「何!? 飛んだことがない!? 甘やかされているなァ!」
ファフニールがその場で飛び上がり、羽ばたいて静止した。
「こうやるのだッ! やれッ!」
「きゅい!?」
無茶振りにも程があった。
シリンは翼をぱたぱたしながら飛び跳ねている。特に浮かぶ様子はない。
(……ん!? ファフニールの飛び方、何だあれ!?)
オットーは違和感に気付いた。
普通、羽ばたけば推進力が生まれて前に飛んでいくものだ。
だが空中で静止しているし、〈大空の支配者〉の才能がもたらす風読みの能力で注視していると、風がファフニールの元に集まってきている。
(魔法で上昇気流を作ってるんだな。僕にはちょっと真似できない……)
いわば凧みたいなもので、風を受け止めて上がっているだけらしい。
風を生み出すような魔法を習得した上で、もっと繊細に〈デフレクト〉での気流制御をこなせるようにならなければ同じことはできない。
(……いやでも、ずいぶん僕の才能レベルは上がってきたし。魔法の練習さえすれば、出来たりするのかな……?)
「ぼうっとしているなアアアァ! ついてこいッ!」
「うるっさ!?」
耳元で咆哮を食らわされて、彼は思考を中断する。
いつの間にやら、ファフニールが前足でシリンを掴んで飛んでいる。
羽ばたいて高度を上げていくのを、オットーが追った。
「ドッッッッッセイッ!」
「きゅーいー!?」
高速で飛びながら、ファフニールがシリンを放り投げた。
特に飛んでいる様子はなく、放物線を描いて落ちていく。
……オットーはなぜか寒気を覚えた。
どこかで似たようなスパルタ訓練を受けたような気がする。
「もう一度だッ!」
「きゅーっ!」
だが、シリンは楽しそうだ。
やっている事はダイナミックな”高い高い”だと言えないこともない。
(意外と優しいんだな……いや、シリンが何でも楽しみすぎなだけか?)
何回もぶん投げられているうちに、シリンの飛距離がちょっとづつ伸びていく。
翼を広げ、本能的に魔法を使って姿勢をコントロールしているようだ。
「ダリャアァッ!」
「きゅーい!」
ぶん投げられたシリンが空中でくるくる回り、ちょっとだけ滑空する。
水かきで泳ぐ犬のようにぱたぱた翼と足を動かしていた。
「かわいい……」
「かわいいッ!」
そんな様子を、親ばか連中が満足気に眺めている。
「よしッ! もう一回だッ!」
「きゅーっ!」
もはや単にシリンを遊ばせているだけのファフニールであった。
- 騎士団長コンラート視点 -
オットーたちが遊んでいる最中。
周辺を回って何とか十二騎ばかりをかき集めたコンラートは、編隊を組みヴィアドへ向かっていた。
「壮観だねえー」
「二番騎、私語を慎め。……だが、その通りだ。壮観だな」
コンラートはついてくる翼竜騎士たちを見て、目を細めた。
これが、騎士団としての最後の出撃になるかもしれない。
今や、多少なり速度を出して飛べる戦闘用ワイバーンに乗っているのはコンラートとレファだけで、他の全員は交易用の大型ワイバーンだ。
……騎士団は本来の目的を見失っている。
もはや翼竜騎士団は、騎士の集まりでもなければ商人の集まりですらない、ただ半端な自己を維持するためだけの奇妙な組織へと変わってしまった。
コンラートは、邪竜ファフニールが暴れているところを見た最後の世代だ。
高名な冒険者であった彼の父親はファフニールの討伐に失敗して死んだ。
彼が騎士団へと入ったのは復讐のためだ。
だが、もはや彼の復讐心は薄れていた。今の彼には、父の動機がわかる。
ファフニールに挑んだ父親は、きっと死に場所を求めていたのだ。
……そして、コンラートもまた。
「全騎。上空を周回して待機。レファは私と共に来い、降りるぞ」
積載量のために品種改良された大型のワイバーンは、重量に比して足が弱い。
整備された滑走路の柔らかい土でなければ着地で足が折れてしまう。
ヴィアドの街へ行けるのは二人だけだ。
地上に降りた二人は、ヴィアドの市民からぬるい視線を浴びた。
普段なら大歓迎で迎えられていたのに、何だか気まずいものを感じる。
街を治める貴族に話を聞いて、その理由はすぐに分かった。
邪竜ファフニールは、すっかり丸くなってしまったのだ。
随分と楽しそうにしている。
「……そうか……」
コンラートの時代から、既にその片鱗はあった。
彼が子供だった頃には、もう市民に被害が出ることは少なくなっていたのだ。
それでも多少なり騎士団の存在意義はあったのだが……。
「……ふ。私も国王も、大層な空振りをしたものだ」
邪竜の話によれば、和平協定などは存在しなかった。
単にやつが丸くなり、夫の所で暮らしていただけだ。
本当に協定が存在したのかどうか、それすらも怪しい。
和平協定を使った政治的な策謀はすべてが無意味だったことになる。
前提条件から間違っていて、誰も望んでいる結果を得られなかった。
「本人すら知らないうちに、あの少年が誰も彼もを振り回した形になるな……」
あの少年には、出来るならば侘びを入れたいものだ、とコンラートは思う。
だが、その機会はないだろう。
「それで、ですね。来年からの寄付金について交渉したいのですが」
貴族が言った。翼竜騎士団は独立した組織で、運営は寄付金に支えられている。
だが、もはや騎士団に金を出してファフニールから守ってもらう意味はない。
翼竜騎士団が存在する意義はなくなった。
翼竜に乗った商人の集団に変化して、一部が細々と残っていくのだろう。
「来年か。来年には、もう翼竜騎士団の在り方は変わっている。心配は無用だ」
コンラートは言い切って、貴族の元を後にした。
レファが怪訝な顔で彼を見ている。
「どういうこと?」
「翼竜騎士団が騎士団として動くのは、今日で終わりだ」
憑き物が落ちたような顔で、コンラートが言った。
「私はこれから、邪竜ファフニールに勝負を挑む」
「え!? でも、戦う必要がないって話だったんじゃないの!?」
「……後進に道を譲るのも、団長の努めだ。私に商人の真似事などできん」
「なら普通に引退したらいいんじゃん!」
「できんよ。私の愛騎を殺さん限りはな。ワイバーンを抱えて一市民にはなれん」
コンラートは緑色のワイバーンを撫でて、その背にまたがった。
「私には、自分を曲げてまで生き続けるような、器用な真似はできん……」
コンラートは飛び上がる。遅れて離陸したレファが、すぐに追いついた。
「……人生の最後に後悔しながら死んでいける者は、幸運だ。自らの思想や誇りに囚われることなく、時代の流れに合わせて生きていけるのだから……」
「え、えっと! きっと、団長を欲しがってる国はいっぱいあるって!」
あまりピンと来ない様子のレファが、それでも必死に説得した。
「レファ。お前はまだそれでいい。純粋なままでいい。ただ……もっと多くのことを知るまでは、絶対に死ぬな。世界を回って、多くの人と話せ。知見を広げろ」
「そんな、遺言みたいな……!」
「遺言だ」
コンラートは言い切って、上空で待っていた騎士たちと合流する。
そして、叫んだ。
「騎士諸君! 邪竜ファフニールは、いくらか心を入れ替えた! もう無辜の民を殺さないだろう! ……だが! かの邪竜は、挑戦者を待っている! ならば!」
騎士たちは手綱を握りしめ、その言葉の続きを待った。
ここに居るものは、多少なり騎士としての自覚がある者たちだ。
「翼竜騎士団は、邪竜ファフニールに挑む! 命の惜しくない者は、騎士として死なんと望む者は! 私についてくるがいい!」
そして、全員が彼に付き従った。
「じゃ、じゃあ! 私も!」
「駄目だ。死ぬにはまだ早すぎる。団長命令だ、参加は認めん」
「……やだ!」
「お前が一太刀でも邪竜に加えようものなら、私はその場で自ら命を絶つぞ」
真剣な表情で放たれた脅し文句に、レファがひるんだ。
「帰れ」
「やだ」
「……ならば、離れたところで戦いを見届けろ」
頬を膨らましたレファが、渋々と頷いた。




