最速の翼竜騎士
一時間も経たないうちに、レファが戻ってきて合流した。
移動しているオットーのもとへドンピシャで合流できるのだから、ちょっと異常な航法技術だ。
最速の翼竜騎士、という自称は伊達ではない。
(翼竜騎士なんて、ただワイバーンの上に乗っかってるだけかと思ってたけど)
襲撃者たちが見せた連携といい、やはり精鋭集団だ。
そもそも、単純な飛行時間の比較で言えば彼の数百倍は飛んでいる相手である。
少し甘く見ていたかな、とオットーは反省した。
「で、あいつらが僕を襲撃してきた理由って?」
「団長の指示だってさ。協定違反者の粛清、だって」
「騎士団長が? ……その協定の内容は?」
「人間が翼竜を育てるのを許すかわり、人間がドラゴンを育てるのを禁止する、みたいな? 昔に騎士団が邪竜と結んだ和平協定……あ、これ内緒の話だった」
「騎士団が結んだ条約なら、僕は無関係じゃないか?」
「さー? ま、ドラゴンなんて人間とか全部一緒くたに扱ってるよ」
凶暴なドラゴン相手に結んだ和平協定だというなら、理由は分からなくもない。
リントヴルムが許可したとか王が許可したとか、そんなことを凶暴なドラゴン相手に言っても無駄だろう。
オットーがシリンを連れているのは協定違反だから人類全てを滅ぼす、みたいな話になってもおかしくない。
「僕の知ってるドラゴンは、けっこう優しかったけどなあ……」
「え、オットーってドラゴンと知り合いなの!? 私とどっちが速い!?」
「気になるの、そこ? 絶対レファの方が速いよ」
「よし!」
彼女はガッツポーズした。
(何がよしなんだろう)
「リントヴルムっていう竜でさ。この仔も竜から許可を貰って僕が育ててるんだ」
「きゅ」
「もしこれが協定違反だとしても、襲う前に話し合うのが筋だと思うんだけど」
「そだねー」
理由は分かったが、それでもいきなり殺しにかかってくるのは無法だ。
しかも指示を出したのは騎士団長ときた。
(どうなってるんだ? そこまで組織が乱れてるのか?)
だが、オットー自身はあまり翼竜騎士団の悪評を聞いたことがない。
翼竜騎士団の団長コンラート・アンスブルックも市井では人気が高かった。
騎士道精神を重んじる高潔な人物だ、という評判だ。
「ちょいと文句言ってこよっか」
「騎士団長相手に口出しして大丈夫なの?」
「へーきだよー」
あまり大丈夫には思えなかった。
だが、騎士団と交渉するための窓口はレファの他にない。
勘違いかもしれないし、こちらの事情を伝えて和平できればそれが一番だ。
「じゃ、行ってくるね。あっちに飛んでくとヴィアドっていう街があるから、そこで待っててもらってもいいかな? 明日ぐらいに戻ってくるから」
「分かった。観光でもして待ってるよ」
名前も聞いたことがない街だった。きっと辺境の小さな街なのだろう。
「じゃあ、また明日ねー!」
相変わらずの急加速で、レファが離れていく。
- レファ視点 -
オットーと分かれたレファは、針路を北北東に取った。
翼竜騎士団の本拠地タルニアブルク城の方角である。
「調子がよさそうだね、カルマジニ!」
くるるぅ、と真紅のワイバーンが鳴いた。
羽ばたくたびに速度が増して、驚くべき速度で景色が流れていく。
「どうする? 最速ルートで行く?」
ワイバーンがわずかに首を動かした。
「よし。めいっぱい行こう。〈スピードスター〉!」
魔法を纏った一人と一匹が、急角度で天を突き刺す。
レファは革兜のバイザーを下げて、そこに魔力を流した。
刻まれた魔法陣が輝き、彼女に空気を供給する。
「〈ヒートアップ〉、〈ウィンドシールド〉」
身を守るための魔法を唱える。
世界がはっきり丸みを帯びてみえるほどの超高空は、人間が普通に生きられる世界ではない。だが、これほど美しい場所もない。
澄んだ空気の彼方に、大地が雄大な輪郭を刻んでいる。
人間の世界観を変えてしまうほどの光景だ。
ちらり、と彼女は振り返る。
オットーはいつかこの領域まで上がってくるだろうか?
……ああいう機械に乗って、人間が誰でも空を飛べる時代が来るのだろうか?
そうなればいい、とレファは思う。
この美しい宝石のような高空の景色は、独り占めするには大きすぎる。
ものすごい速度で飛んでいるにも関わらず、レファが乗る真紅のワイバーン〈カルマジニ〉は高度を保つのに必死な様子だ。
それもそのはず、空気が薄い。
いまレファが飛んでいるのは、高度にして”2万フート”である。
かつて単位を定めた国王の足を縦に2万個積み上げて、ようやく地上からレファのところまで届く計算になる。
これほどの高空になると、大気圧は地上の半分を下回る。
つまり、地上と比べて空気が半分しかないのだ。
空気が半分しかないのだから、地上の二倍速で飛んでようやく同等の揚力を生み出せる計算になる。
しかも羽ばたきによる推進効率も下がる。高空を飛ぶのは大変なのだ。
だが同時に、空気抵抗は少なくなるので、速度そのものは速くなる。
……という理屈を、レファはまったく理解していない。
高いと速い。速いと偉い。頭で分かっているのはそのぐらいだ。
(それ以上の小難しい理屈なんて、何もいらない!)
それでいいんだ、とレファは思っている。
彼女の才能は〈速度狂〉だ。
困った時にはいつだって本能が答えを教えてくれる。
タルニアブルク城が近づいてくる。
長い城壁に囲まれた内庭に、十字にクロスした滑走路があった。
「行こう! 〈スピードスター〉!」
無条件で速度を増加させる魔法〈スピードスター〉がワイバーンを蹴り出した。
レファは鐙をきつく踏みしめ、手綱を握り、姿勢を低くする。
ワイバーンが力強く羽ばたき、翼を畳んだ。
完全な自由落下。重力に引かれて速度が増していく。
ぐいぐいと迫る地上。暴力的に唸る風。
隕石のように地面へ落ちながら、彼女は歯をむき出して笑った。
「いぇーふー!」
最高速に達した彼女たちは、地面のすれすれで翼を広げる。
好き勝手な曲芸飛行で無理やり減速し、タルニアブルク城の滑走路へ降りた。
滑走路脇で控えていた騎士団の従士たちがわっと飛び出し、ワイバーンを厩舎へ連れて行ったり滑走路を均したりと雑用をこなしはじめる。
レファは従士に手渡された水をうまそうに飲み干した。
「レファ」
城の中から一部始終を見ていた騎士が、彼女を静かに怒った。
思わず背筋が伸びてしまうような、冬山のごとき厳格さを湛えた声だ。
平服だが、誰でも一目で軍人とわかるほどの立ち姿である。
それもそのはず、彼こそが翼竜騎士団長コンラート・アンスブルックだ。
「来い」
「はいはーい」




