遺跡探索
雨雲に隠れて進んでいくうちに、風が急激に冷え込んだ。
雨が雪へと変わり、〈ヒートアップ〉を使っていても体が震える。
足元に広がる景色は雪山のそれだ。
「シリン、大丈夫?」
「きゅ」
霜焼けしそうなオットーと裏腹に、シリンは特に寒がっていない。
ドラゴンの耐性を、彼は羨ましく思った。
「さて、エルヴズ氷山までは来たけど……」
切り立った崖に露出している山肌には、岩ではなく氷が見える。
水色に透き通った地面が雪の合間に輝いていた。
山を闊歩する魔物はみな分厚い羽毛に包まれていて、防御力が高そうだ。
(氷宮はどっちだ?)
オットーは風を読んだ。
才能のレベルが上がって、彼の風読みの精度も上がっている。
風に混ざった魔力が濃い方向に進むことで、オットーはすぐに氷宮を見つけた。
文字通り、氷で作られた宮殿が建っていた。
その外壁にはわずかほどの疵もなく、雪の結晶の一欠片すら積もっていない。
はるか古代に建てられたのだろう偉大な建造物は、完全な形を保っている。
すぐそばに塔が建っていた。
氷で作られた壁に蔦が這っている。
その外見は、魔術師の塔、と呼ばれるものによく似ている。
ぼふぼふとした新雪に埋もれて着陸したオットーは、さっそく塔を尋ねた。
「おお、来たか! 待ちくたびれていたぞ! ついに、この時が……!」
ローブを纏った老魔術師が、皺々の顔をほころばせた。
「君がオットーくんだね。私はグレイ。幼き頃にこの氷山を一目見て以来、ずっとこの山の研究を……おっと、失礼。入りたまえ」
体を震わせているオットーに気付き、老魔術師グレイが温かい茶を淹れた。
「きゅ? きゅ……」
悲しんでいるような声を出して、シリンが老人のそばに寄り添った。
シリンがそういう様子になるのは珍しい。
ばちばちと木のはじける暖炉のそばで、オットーは柔らかいソファに腰かける。
そして、シリンの行動には何か理由でもあるのだろうか、と考えた。
「そちらのドラゴンちゃんも、茶は飲むのかね」
「きゅい」
「なるほど」
机に三つのカップが置かれる。
淹れてもらった茶は、まるで薬草のような味がした。
「きゅ!? べっ、べーっ」
「あ、こら! 吐かない!」
「むむむ。ドラゴンの舌には合わんか」
老魔術師は呟いて、シリンからカップを没収して飲み干した。
「ふう。さて、鍵はしっかり持っているかね?」
「はい、ここに」
オットーから便箋を受け取り、老魔術師が子供のような笑顔を浮かべた。
「ああ……間違いない。本物だ。ついに、開かずの氷宮が開くぞ!」
老魔術師グレイはそわそわと外出の準備をはじめた。
「オットーくん、あの宮殿について何か知っていることはあるか?」
「いえ、何も」
「私もだ。まったくわからん」
そう言うと、いたずらっぽく笑う。
「だが、普通の建物ではない。それだけは確かだ。極めて強力な、おそらくとうに失われた古代魔術によって外壁は形作られている。私はね、あれが何らかの宝物庫……あるいは研究施設ではないかと睨んでいるのだ」
老魔術師グレイが、鍵を指でくるくると回す。
だが、指の動きが鈍く、鍵は地面に落っこちてしまった。
「おっと。……気持ちが若返っても、体は若返らんか」
鍵を拾い上げたあと、彼は杖を突きながら玄関の扉を開いた。
オットーたちに何か言うまでもなく、一人で勝手に出ていってしまう。
慌ててその背を追って家を飛び出した。
「ふふふ。さて、何があるかな」
老魔術師グレイは氷宮の正面に立ち、門扉に鍵を差し込む。
すう、と音もなく扉が開いた。
内装までもが氷で作られている。調度品はない。
だが、まるでカットが施された宝石のように美しく光を反射している。
絨毯や壁紙などなくとも、この氷が最上の調度品として働いていた。
「ふむ。装飾は少ない。やはり、居住用の宮殿ではないか」
内装に感動しているオットーを置いて、老魔術師は勝手に歩いていった。
氷の通路の左右に並ぶ氷のドアを何とかして開けようとしている。
だが、鍵穴はない。
(何か、ギルドカードを通せそうなスリットがあるな。これが鍵なんだろうか)
「駄目か。別の鍵が要るようだ。随分と厳重に守られているな」
「ここで働いてた人の部屋なんでしょうか」
「その可能性は高いだろうね、オットーくん。む」
突き当りのドアには、何らかの古代文字が刻まれていた。
「第三赤月研究所〈炎星宮〉主任アルマシイル。はて」
「炎星宮? 氷の宮殿には似合わない名前ですね」
「うむ……。そして、アルマシイルというのは古いハイエルフの名前だ。どうやら、ここは古代のハイエルフたちの研究所だったようだね」
老魔術師グレイはしばらく氷のドアをつついていたが、諦めて肩をすくめた。
「ハイエルフの技術には敵わん。別のところへ行こう」
氷の床に杖をかつかつ突き立てながら、グレイが進む。
「この宮殿の鍵は、どこで見つかったんですか?」
「砂漠地帯の迷宮だったはずだ。おそらく、そこも似たような研究所跡で、魔力のせいで魔物が住み着いて迷宮となったのだろうね」
彼らは宮殿の左翼側から右翼側へと進む。
こちらは研究区画のようだが、どの扉も開かないので、探索は不可能だった。
「あとは、エントランスのあたりに階段があったね。そこが駄目なら、まあ……。やはり研究施設だと分かっただけで、私は十分に幸せだが」
成果があまりなかったせいで、少しばかり気落ちした様子だ。
(宝が見つかれば一部を現物支給、みたいな話だったけど……この分じゃ、追加報酬はなさそうだな)
オットーも別の理由で意気消沈していた。
二人は二階に進む。と、ドアで塞がれていない空間があった。
氷で樹木を彫刻したかのようなデザインの椅子と机が並んでいる。
「食堂ですかね」
「だろうね! これはすごいぞ! 古代の椅子と机だ!」
老魔術師グレイは、いきなり杖から炎を出して椅子を炙った。
溶ける様子はまったくない。
「うむ……! どういう魔法かさっぱり分からんが、とにかく凄い魔法だ! これは研究材料になるぞ……間違いなくお宝だ!」
ただの綺麗な椅子と机にしか見えなかったが、確かに宝ではあるのだろう。
(売れば高値は付きそうだけど、椅子を現物支給されても……運べないよな)
椅子にあれこれ魔法をかけている老魔術師グレイを置いて、オットーはシリンと一緒に周辺をぶらついた。
魔物がいる様子もないし、おそらく一人でも安全だろう。
「きゅ!」
休憩所らしきスペースに、氷のソファがあった。
シリンがその上で飛び跳ねている。氷なのに、何故かソファは柔らかい。
「どうなってるんだこれ」
古代のハイエルフはものすごい魔法技術力を誇っていた。
勉強より実戦重視の魔法学園ですら、しつこく授業でやる部分だ。
理由はある。魔法を使える貴族が何故偉いのか、という根本に関わるのだ。
人間の才能は先祖から受け継ぐものだ。
そして魔法の才能は、元を辿ればハイエルフの血に行き着くのだという。
ゆえに魔法の才能は他よりも強い。
そして同時に、他の才能を継いだ者よりも偉いとされている。
かつて地上を支配していた偉大なる種族の血を引いている、という証拠なのだ。
「きゅー、きゅー、きゅー!」
ぽよぽよ飛び跳ねているシリンが満足するのを待ち、オットーは更に探索した。
……狭い空間へと繋がる道が、二つ並んでいるのを発見した。
片方は青色で、片方は赤色だ。ドアでは塞がれていない。
何となく赤いほうへ入ったオットーは、水を貯めておけそうな凹みのある台を発見した。
その先には小さな個室が並んでいて、どれも鍵がかかっていない。
「お?」
期待に胸を膨らませて中に入ったオットーだが、便座を見つけて落胆する。
ただの魔法の水洗トイレだ。
貴族の家ならば、こういうトイレがあるのも珍しくない。
氷で作られていて綺麗なのは確かだが……逆に趣味が悪いよな、と彼は思った。
「きゅ?」
「シリン、これトイレだよ」
「ぎゅーっ!?」
便座に頭を突っ込みそうになったシリンが悲鳴を上げて飛び退く。
その悲鳴を聞きつけて、老魔術師グレイがやってきた。
「こ、これは……! 古代のトイレか……!」
グレイは隅々までトイレを検分した。
「うむ。ただのトイレだ。現代の高級なものと変わらない……いや、我々の作るトイレがハイエルフのものに影響されている、というべきなのか?」
グレイがトイレの便座を上げた。
そこに一枚のカードが挟まっていた。
「む?」
ハンカチでこすってから、グレイがカードを拾い上げた。
「ギルドカード? いや、似ているが違うようだ」
「ちょっと比べてみますか」
オットーは自分のギルドカードを取り出して、隣に掲げてみた。
言語は違うが、似ている。大きな違いがあるとすれば、このトイレのカードには精巧な絵で長耳な美人の顔が描かれていることぐらいだ。
項目の区切り方も数字の字体も、かなり近い。
「ふむ。ギルドカードの技術がハイエルフの遺産だというのは、有名な話だが……実例を見てみると、面白いものだね」
「そういえば、下の居住区にこれ通せそうなスリットありましたよね」
「ああ、これは鍵か! でかしたぞ、オットーくん! 早速向かうとしよう!」
老魔術師グレイは、杖すらつかずにうきうきと歩いていった。
居住区の扉に片っ端からカードを通していく。
だが、まったく反応がない。
「残る扉は、これだけか」
”第三赤月研究所〈炎星宮〉主任アルマシイル”の扉を前にして、グレイが祈るようにカードを握りしめて、スリットへ通す。
ガチャッ、と鍵の開く音がした。




