夏空の襲撃
シリンと共に適当な宿へ一泊したオットーは、翌日にフライエラントの市場をぶらついた。
ロングシュタットにも市場はあったが、比べ物にならない規模だ。
あまりに人が多すぎて、懐の魔法鍵をスられる危険がある。
「少しぐらいは観光したかったけど……やめておこうか」
「きゅー! きゅー!」
シリンが足にしがみついて嫌がっている。
近くの屋台でアイスを買ってやることで、何とかシリンの機嫌は直った。
「きゅ! きゅきゅきゅ!」
オットーに両手で抱かれて、シリンが上機嫌にアイスを舐めている。
(お、重くてつらい……。これが子育ての大変さってやつなのか……?)
仔竜を抱いて空港に向かう途中、彼はワイバーンの厩舎を覗いた。
レファの乗っていた真紅のワイバーン〈カルマジニ〉の姿は既にない。
適当な貿易商品を調達して、餌代を稼ぐためにどこかの街へ旅立ったのだろう。
「翼竜騎士も大変だな」
オットーは手早く〈ライトフライヤー〉の準備をして、空へと舞い上がる。
しばらく旅してきた経験とレベルの上昇が合わさり、危なげない離陸だ。
エールヴ川の本流を辿り、上流へ向かう。
農地の合間を曲りくねる川と農村。川を行き交う渡し船。
ときおり、川を丸太が流れている。上流で切り倒した木を川に流し、下流のフライエラントにある材木置場へ運んでいるのだろう。
上空には、夏空らしい入道雲がもくもくと伸びる。のどかな景色だ。
〈セレスティアルウィング〉で高度を稼いでからの滑空を、数時間に渡って繰り返す。魔力は空から補充できるが、それでも体力の消費は激しい。
いくつもの街を越え、川で水遊びしている子供に指さされながら飛んでいくうちに、全身に倦怠感が溜まってきた。
だが同時に、このままずっと飛んでいたい気分でもある。
(だいぶ近づいてきたはずだ。このまま行くか)
行く手には雨雲があり、見えてくるはずの氷山を隠している。
だが、周囲の景色は山がちになり、かなり上流まで来たことが伺えた。
「きゅ? きゅーっ!?」
バラバラと小雨が翼を打ちはじめる。
なぜかシリンのテンションは上がっていて、座席から身を乗り出してまで自分からずぶ濡れになっていた。
(……ちょっと気持ちはわかる)
ベルガーおじさんから長靴を買ってもらい、わざわざ水たまりの中を跳ねるように渡った幼き日のことを思い出し、オットーはくすりと笑う。
そして、翼の下にある小物入れから厚いガラス製のゴーグルを取り出した。
(そういえば、まともに雨の中を飛ぶのはこれがはじめてだな……)
雨が飛行に及ぼす影響は、翼の作りによって異なる。
表面を滑らかにして空気を整流する〈層流翼〉ならば、雨の影響は大きい。
だが、彼の機体は翼にハーピィの羽根を使っているぐらいデコボコだ。
こうした〈乱流翼〉は、雨に降られた程度なら無視できる。
少なくとも、山をジャンプして滑空を繰り返す実験では、そういう結果だった。
飛行に問題はない。
体は濡れるが、ハーピィの羽毛をあしらった革服が体の熱を保っている。
〈ヒートアップ〉の魔法で体を温めておけば無問題だ。
「シリン、大丈夫か?」
「きゅー!」
元気そうなのを確かめて、オットーは雨の中を進む。
だが、視界が効かなくなってきた。下にあるはずの川が見えない。
(……降りるか? いや……いっそ、上がってみるか)
オットーは〈セレスティアルウィング〉を使い、雲の中へ上昇した。
灰色の雲を突き抜けた先には、平穏な夏の空が広がっている。
奇妙な視線を感じて、彼は振り返った。
巨大なワイバーンが二頭、編隊を組んではるかな上空を飛んでいる。
その二頭はかくんと針路を変えて、降下しながらオットーに狙いを定めた。
「きゅい?」
「何だろうな?」
先頭のワイバーンに乗る騎士が、きらりと反射光を輝かせる。
それは翼竜騎士が構えた長大なランスの輝きだ。
「……殺気!?」
肌に突き刺すような殺気を感じ、オットーが咄嗟に回避行動を取る。
問答無用で放たれた炎魔法をぎりぎりのところでかわした。
だが至近で爆発が起こり、激しく揺さぶられる。
「く……!? 〈エアブラスター〉!」
咄嗟に放った不可視の風塊を、翼竜騎士の構えるランスが切り裂いた。
針路を塞ぐように炎魔法がいくつも放たれる。
やむなく避けた先に、騎士たちによるランスチャージが襲いかかった。
(何なんだ……!? 〈デフレクト〉で姿勢を乱してやれば防げるか……いや、なんだあのワイバーン!? リントヴルムよりずっと大きいぞ!?)
思考の猶予はほとんどない。無意識レベルで彼は次の手を選ぶ。
「〈デフレクト〉!」
風を曲げる魔法を使い、自らの翼から風を強引に引き剥がし失速させる。
翼に直接魔法をぶつけた時の挙動は複雑だ。
〈大空の支配者〉の力で風を読めるオットーですら、完全には読めない。
「きゅー!?」
機体が高速で回転する。座席に掴まっているシリンが悲鳴を上げる。
複雑な失速挙動に狙いを乱され、ランスの穂先は外れた。
(このまま、下に……!)
ほとんど墜落しているような失速状態のまま、雨雲の中へ突入する。
そこで制御を取り戻し、彼は一息ついた。ひとまず姿は隠せた。
「……何だったんだ? 今の連中、間違いなく翼竜騎士団だった……」
上に乗っていた騎士の軍服はレファのものと同じだ。
なぜ警告もなしにいきなり命を狙ってきた?
まさか盗賊行為ではないだろう。翼竜騎士団はまっとうな組織だ。
「そういえば、レファが”協定”がどうとか……」
「きゅーいい?」
シリンを指して協定違反だと言っていた。
そこに理由があるのだろうか?
……だとしても、いきなり攻撃を仕掛けてくるのは異常だ。
理由が何であるにせよ、厄介事を抱えたのは確かだ。
なるべく早く依頼をこなし、翼竜騎士団の本拠地から離れよう、と彼は決めた。




