エピローグ(下)
テスト飛行を終えたオットーへ、偉そうな人間が話しかけてきた。
「見事なものである。あれは、魔法か?」
「最初の離陸だけは魔法ですが、それ以降はずっとこの翼で飛んでますよ」
「ふむ。興味深い。やはり、翼竜騎士団の誰かを連れてくるべきであったな」
その男は立派な髭に手を当てた。
「きゅいきゅいー」
シリンが機体の座席から飛び降りて、男のまとう紋章入りマントを引っ張った。
その紋章で彼の正体に気付き、オットーが動揺する。
「国王様?」
「いかにも」
オットーが飛んでいる間に、国王が街へ到着していたのだ。
「こ、こら、シリン。国王様だぞ。マントを引っ張っちゃダメだよ」
「きゅ!」
高級生地が気に入ったのか、シリンはなかなか離そうとしない。
「よいよい。子供の竜に気に入ってもらえて、このマントも喜んでいることであろうよ。して、オットー。ベルガーから君の過去を聞かせて貰ったが、素晴らしい生き方をしておるようだ。遠くないうちに我が国を去るのであろうが、陰ながらに応援しておるぞ」
「……あ、ありがたきお言葉」
「よいよい、かしこまらずとも。ほれ、君は平民であろう? 平民であるならば、敬語を扱えずに対等な言葉で話したとしても、まあ仕方がないことであるからな」
「……僕のことを、勧誘しないんですか?」
ふふ、と国王が笑った。
「無駄であろう? ならば、我にできることは良い関係を築いておくことだけだ。もしも旅に疲れたのなら、いつでも国に帰ってくるがよい。高待遇で迎えよう」
「ありがとうございます」
オットーは心から感謝した。
「うむ。さて、フランツの身柄を引き取りたいのだが、ギルドはどちらかね?」
国王はわずかばかりの護衛を伴い、冒険者ギルドへ向かっていった。
その背後にシリンがくっついていこうとするのを、オットーが必死に止めた。
「きゅ」
ちょっとスネた様子で、シリンが機体の座席に戻る。
この羽毛を敷いた座席も国王のマントも、材質はもふもふしている。
きっと、ふわふわな生地が好きなのだろう。
「オットーくん! 無事で良かった! 心配したよ!」
「おじさん!」
国王が去るのを待って、ベルガーおじさんがオットーに話しかけた。
二人は軽く抱き合った。血こそ繋がっていないが、そこには親子の情があった。
しばらく他愛もない、だが幸せな雑談をしたあとで、オットーが切り出す。
「……おじさん。僕は、今日にでも街を発とうと思う」
「いいのかい?」
ベルガーが、まだ集まったままの住民たちを見て言った。
「彼らの様子を見なよ。みんな、君が居なくなるのを惜しんでる。せめて、盛大にお別れパーティでも開いてもらったらどうかな」
「いや……あんまり人気が出すぎるのも、危ないと思うんだ。僕に領地を治めてほしい、なんて話になっても困るし。それに、注目が集まりすぎるのはちょっと」
「ああ、君は昔からずっとパーティの類は嫌いだったもんねえ」
「まあね。……貴族が社交嫌いでどうする、なんて怒られてたっけなあ」
オットーは空を見上げた。
日が傾きはじめている。
そろそろ出発しなければ、危険な夜間飛行をする羽目になる。
「僕はもう行くよ。元気でね、おじさん」
「ああ。お互い、拾った命を大切にして生きよう。……寂しくなるよ」
オットーは離陸の位置についた。
「行こうか、シリン。旅の始まりだ」
「きゅい」
少しだけ集まった住民たちへと別れの挨拶をして、茜色の空へと飛び立つ。
街の家々と通りが急速に遠ざかる。
そして、眼下に冒険者ギルドが見えた。
縄で縛られたフランツが、国王の配下に連れられている。
……意気消沈したフランツの横に付き添っていたカールが、空を見上げた。
そこにオットーへの敵意はない。
ただ、覚悟があった。
ロング家の次期当主であるカールにとって、ここから先の人生は楽ではない。
だとしても、その人生を背負ってみせる、と言わんばかりだ。
「ありがとう、カール!」
オットーは叫ぶ。
「気にしないでいいんですよ! こっちは私が引き受けるので、兄さんは家のことなんか気にせず、自由に生きてください!」
魔法で風を操って、カールがオットーの元へと返事を届かせた。
才能が覚醒した今であっても、やはり純粋な魔法の腕は弟が上だ。
きっとうまくやるだろう。
オットーは〈セレスティアルウィング〉で加速して、東へと向かった。
リントヴルムの山がある方向だ。
「オットーよ」
竜の咆哮が聞こえた。
洞窟から、リントヴルムが上がってくる。
オットーの活躍のついで扱いではあるが、リントヴルムも人間から人気が出た。
今では、曇りの日を待たずとも、リントヴルムは飛べる。
「最後にひとつ、模擬戦をやらぬか」
「分かった。やろう」
オットーの声は聞こえていないはずだが、意思は疎通された。
彼らは距離を取り、同時に旋回して向かい合った。
「シリン、激しく飛ぶよ。大丈夫だよね」
「きゅいーっ!」
交錯。オットーとリントヴルムが、同時に激しく水平旋回する。
速度でも旋回の鋭さでも負けていない。
〈大空の支配者〉が覚醒したことで、扱える魔力が大きくなったおかげだ。
きらきらと輝く多量の結晶化した魔力が、オットーの背後に軌跡を引く。
限界まで酷使された〈セレスティアルウィング〉が甲高い唸り声を上げている。
そして、ウロボロスのごとく互いの尾を追いかけあうような状況に落ち着いた。
こうなれば、出来ることはただ一つ。ひたすら最適な旋回を維持することだけ。
下降しながらの旋回が二重の螺旋を描き、やがて地表スレスレまで降りる。
今までに何回かやった模擬戦とは違う、我慢比べの戦いだ。
そこで、オットーは旋回を切り返した。
普通なら、それは失策だ。
時間のロスが大きく、その間に後ろを取られてしまう。
だが、彼には策があった。
リントヴルムが後ろを取るか、という瞬間、オットーは太陽めがけて飛んだ。
目立つ〈セレスティアルウィング〉を消し、バレルロールで急減速をかける。
「きゅー!」
激しい機動に揺さぶられて、シリンが歓声を上げる。
オットーの機体は太陽に隠れた。リントヴルムは一瞬、彼のことを見失う。
「もらい」
次の瞬間には、オットーが背後を取っていた。
リントヴルムは気付かぬうちに彼を追越してしまったのだ。
「やるものだ。人間の身で、我から一本取るとはな」
リントヴルムが、オットーのすぐ隣で横に並んだ。
「やはり、お前の飛び方は魅力的だ。情熱的な飛び方をする」
「大好きだからね」
「うむ。それが伝わってくるぞ。よいことだ……」
リントヴルムはさらに距離を縮めて、シリンのことを見た。
「良い人間を選んだな、シリン。こやつといれば、色々なものが見れるだろう。お前が自分の翼で飛び立つ日を楽しみにしておるぞ」
「きゅい!」
オットーとリントヴルムは、そのまましばらく並走して東へ飛んだ。
大部分が枯れてしまった暗黒の森と、安全になった大穴が見える。
〈ローカスト〉に食い尽くされた地面には、既に下草が芽生えはじめていた。
それほど長くないうちに、森は本来の命溢れる姿を取り戻すだろう。
「我はここまでだ。この森より東にいって盆地を超えれば、街道がある」
「分かった。ありがとう、リントヴルム」
「うむ。たまには顔を見せるのだぞ。シリンの成長を楽しみにしている」
「きゅい!」
シリンに手(もとい、前足)を振られながら、リントヴルムが引き返していく。
そして、オットーは行く手にある山を越え、盆地を抜けた。
はるか東に続く街道をなぞり、目に入った宿場町へと降りる。
空から人間が飛んできたことに驚き、住民が飛び出してきた。
彼らに軽く説明をして〈ライトフライヤー〉の置き場所をもらい、宿に泊まる。
そうして、彼らの旅は始まった。
これにて一章は完結です。
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