シルバー・ライニング
オットーは飛び起きた。
(卵)
彼は無意識で行動を起こす。そうしなければいけないと知っている。
横で激しく言い争うベルガーとフランツに目もくれず、走る。
そして炎に包まれている卵へと飛び込んだ。
不思議なことに、卵の殻が割れることはなかった。
するりと水面に沈んでいくように、殻をすり抜けて卵の中へと入る。
……竜の卵には、外界から物質を取り込む機能がある。
卵の中で暮らす期間が長いために、そうでなければ栄養が足りなくなるのだ。
だが、オットーにそんな知識はない。
何が起きたのか考える時間すらなく、そこで彼の意識は途切れた。
「……は?」
「何だ?」
言い争っていた二人が、黙り込んで卵を見つめた。
「い、今……生き返った……のかい? 卵の中に入ったように見えたが」
「そんな馬鹿な話があるか。体に残留した魔法が暴発して、死体が動いた……いや、あるいはその卵の中の竜が死体を操ったのかもしれん。食べるためにな。もしもそうだとすれば、処理の手間が省けた」
「手間? ……手間だと!? フランツ、お前は……!」
「静かにしろ、ベルガー。あいつと同じ運命を辿りたいのか」
「助かりたければ、お前の悪事を見逃せとでも!? どうかしてしまったのか、フランツ! こんなことをして、隠蔽しきれると思うな! 必ず誰かが真実を暴くぞ!」
二人はそれからも、険悪な調子で言い争いを続けた。
……卵の中で起こっていることに、二人とも気付かないまま。
- - -
「きゅいっ!」
オットーは暗闇の中で目を覚ました。
まるで母親の手に抱かれているかのような、快適な環境だった。
熱くも寒くもない。
「きゅー……?」
彼の胸元を、見知らぬ生物のもふもふとした足が優しく押さえている。
心臓を撃ち抜かれたはずなのに、傷は既に消えていた。
「ここはどこだ? 君は? 僕は何を? いったい何が……」
「きゅっ」
混乱しているオットーをなだめるように、謎の生物が額をこつんと合わせた。
その瞬間、お互いの記憶の一部分が共有された。
ここは卵で、この生物は竜だ。
十分な熱を与えてもらえずに弱っていたこの竜は、オットーに盗まれてから環境が好転し、力を取り戻して何とか成長できたようだ。
そのことを本人も分かっていて、オットーと会えたことを喜んでいる。
「きゅ!」
優しげな白い光が周囲を照らし、癒やしの力が流れ込んでくる。
その光のおかげで、銀色の羽毛に包まれた子竜の姿が見えた。
(すごい……まだ生まれてもいないのに、学園の〈回復魔術師〉よりも強い回復魔法だ。リントヴルムも回復魔法が使えるみたいだし、血筋なのかな? にしたって、まだ子供も子供なのに。さすがはドラゴン……しかし、僕はなぜ卵の中に?)
自分が卵の中にいることを理解して、オットーが首を傾げる。
この子竜が命を助けてくれたのは確かだが、そもそも何故卵の中に?
……詳しいことは覚えていないが、誰かに助けてもらったことは確かだ。
(誰か知らないけど、ありがとう)
「きゅー!」
大型犬ぐらいのサイズしかない子竜が、オットーに体をこすりつけた。
竜の頭を撫でてやると、嬉しそうに目を細めて「きゅうっ」と鳴く。
(そういえば……リントヴルムは、この仔のことを僕の仔だって言ってたけど……もしかして、僕が育てることになるんだろうか?)
その疑問に返事するように、子竜が「きゅいっ」と首を振った。
てっきりベルガーが育てるものだと思っていたのだが、この流れではそうも行かない。
(ま、いいか)
苦にはならないだろう。かわいらしい上に、彼のことを助けてくれた竜だ。
それに、将来的には一緒に空を飛べるようになる。
(ドラゴンを育てるなんて、普通は絶対にできない貴重な経験だしな)
自分が面倒を見るぞ、とオットーが心に決めた。
「……ら! ……だと! ……だろう、フランツ!」
「……と言うのなら、……!」
そのとき、くぐもった怒声が卵の外から聞こえてきた。
あの場にいた二人が言い争っている。
「このまましばらく卵の中に隠れておこう。あいつが居なくなるまで待ちたい」
「きゅ」
オットーは死んだものだと勘違いしてくれたなら、それが一番いい。
彼は復讐に興味がない。そんなことに労力を割くより空を飛んでいたい人間だ。
もしも親しい人間に危害が及べば、いくら彼でも黙ってはいないだろうが……。
「そうだ。君の名前を決めよう」
居なくなるのを待っているうちに、オットーは竜の名前を考えはじめた。
「きゅーきゅー!」
「うーん、銀色か。……銀色といえば、こういう言葉があるんだ」
どんな雲にも、銀色の裏地がある。
たとえ雲が太陽を隠そうと、雲の裏は必ず太陽があり、変わらず空を照らしている。
だから、”銀色の裏地”という言葉は「困難の向こう側には必ず希望がある」ということを意味する。
オットーの好きな言葉だ。
「シルバーライニング。縮めて、シリン。そういう名前はどうかな」
「きゅーっ!」
子竜は彼に抱きついた。気に入ったらしい。
「いりん!」
「……もう喋れるのか!?」
「きゅー!」
名前を嬉しそうに呼ぶシリンの姿を見て、オットーの表情がとろけた。
目に入れても痛くない、とはまさにこのことだ。
彼はこの竜とはまだ知り合って数十分だが、もしもシリンの身に何かが起きようものなら、ショックでまともに生きていけないかもしれない。
(何があろうと、この子は守る)
「きゅー? きゅ!」
それからオットーは声を潜め、卵の殻に耳を当てた。
シリンも彼の真似をして、嬉しそうに耳を殻に押し当てている。
内容までは聞こえないが、言い争いはまだ続いているようだった。
二人とも、叫びすぎて疲れている様子だ。
「きゅ」
シリンが爪で卵の殻を叩いた。小さな割れ目を作り、誇らしげに鳴く。
のぞき穴を作ってくれたらしい。
「ナイス。最高だよ」
「きゅいー……」
声を潜めながら褒めて頭を撫でたあと、オットーが外の様子を伺う。
「どうしても、私に協力しないというのか」
「できない。これは一線を越えている。やりすぎだ」
「……仕方がない」
フランツがベルガーへと指先を向けた。
「残念だ」
「私も残念だよ。お前がそこまで愚かな人間だとは思わなかった」
ベルガーの胸元から血が吹き出した。
心臓を撃ち抜かれての即死だ。
「きゅっ!?」
「しっ」
叫びそうになったシリンの口元を、オットーが押さえた。
彼自身、今すぐに叫びながら殴り掛かりたい気分だったが、今はまだだ。
(シリンの力があれば、たぶんベルガーおじさんは助けられる……! でも、今の僕には陸上でクソオヤジと戦って勝つ力はないんだ……!)
「……ふ。ふふふ。やってみれば、楽なものだな」
フランツが含み笑いを漏らした。
「当然か。……貴族とは、強いから貴族なのだ。平民共を暴力で黙らせられるからこそ、私は頂点に立っているのだ……ふふふ……ふははっ!」
含み笑いが、狂気じみた高笑いへと変わっていく。
「だから、魔法が全てだと教えてやったものを! まったく馬鹿なやつらだ!」
異様な笑みを浮かべたフランツ・ロングが、鍛冶場のドアを開いて消えていく。
おそらく、後始末のために部下を呼びに行ったのだ。
「今だ! シリン、ベルガーおじさんを助けられる!?」
「きゅー!」
一気に卵の殻を割り、ベルガーのところへ駆けつける。
シリンがその前足を胸に乗せて、きゅいい、と低く鳴いた。
白い光が流れ込み、流れた血が戻ると共に傷が塞がっていく。
まるで奇跡のような治癒魔法だ。
「はっ!?」
ベルガーが息を吹き返す。
「……良かった! おじさん……一歩も譲らないでいてくれて、ありがとう……!」
思わず、オットーは彼のことを抱きしめてしまった。
……実の父よりもむしろベルガーのほうが、彼にとっての家族に近い。
「え!? オットーくん!? どうして……!?」
「話は後! 今はとりあえず、逃げよう!」
「きゅー!」
そして、二人と一匹は鍛冶場を後にした。




