追放者の暴挙
翌朝。
宿の朝食を食べたあと、オットーはギルドへと向かった。
「おお……」
「こいつが……」
朝からギルドに来ていた冒険者たちが、好奇の視線を彼に向ける。
「オットー・ライト様。ギルドマスターをお呼びしますので、少々お待ちを」
受付嬢がびしっと姿勢を直し、そう言った。
完全に特別扱いだ。少し落ち着かないものを感じながら、オットーは待った。
そして、ギルドマスターと個室で向かい合う。
「ロングシュタットの冒険者ギルドを代表して、感謝の言葉を述べさせていただきます。街を救っていただき、ありがとうございました」
「いえ。当然のことをやったまでです」
「……さて、まずは冒険者ランクについてですが。現在のD級からC級に昇格となります。わたくしの見る限り、A級まで上げるのが妥当だとは思いますが、B級以上への昇格は各地方の冒険者ギルド本部での試験が必要となる規定ですので」
オットー・ライトはC級の冒険者になった。
実力のあるベテランや、若く有望な冒険者でなければ到達できないランクだ。
(C級もあれば十分かな。大体の依頼も受けれるし。試験を受けてまでB級になる意味もないし)
加えて、昇格と共にオットーは新しいギルドカードを渡された。
渋い銀色で塗られている。
「このカードの中には、各種の情報が暗号化された形で入っています。仮に落としたとしても中身が読まれることはありませんが、気をつけてくださいね」
オットーは頷き、懐にカードを仕舞った。
「それと、報酬ですが。功績の大きさを考慮した上で詳細な査定を行ったところ、白金貨が三枚と金貨が七十五枚という額になりました」
「白金貨!?」
庶民ならば一生を遊んで暮らせる額だ。
貴族であるオットーも、白金貨の実物を見たことはない。
「ええ。さすがに現物支給ではなく、ギルドで預かっている預金へと振り込む形となりますが、構いませんね?」
「あ、はい。他の街の冒険者ギルドでも、預金は引き出せるんですよね?」
「もちろんです。全世界の冒険者ギルドは、魔法による通信で結びついていますから」
……冒険者ギルドという組織は、驚異的な規模を誇っている。
下手な国よりも強いのだ。古代の遺跡や危険なダンジョンから掘り出された遺物を活かし、個人に紐付けされた世界中どこでも使える身分証明書の〈ギルドカード〉という巨大システムを運用しているぐらいである。
〈ギルドカード〉さえ持っていれば、ギルドに預けた金は世界中どこでも引き出せる。
その利便性から、世界中の人々がギルドに金を預けているのだ。
だが、ギルドは銀行と違って預金に利子を付けない。
……本来なら発生する利子の分は、まるごとギルドの利益になる。
巨大組織を運営するに足る財源だ。下手な国が喧嘩を売れば、逆に潰される。
オットーは諸々の書類処理を行い、白金貨三枚を手に入れた。
ほくほく顔でギルドを後にする。
……かなりの額ではあるのだが、実はオットーには借金がある。
(ベルガーおじさんの投資、全部合わせると白金貨の数枚ぐらいだっけ)
飛行機を作るための試行錯誤や実験設備への投資には莫大な費用がかかった。
将来的に利益があるだろうと睨んで投資された金ではあるが、巨大な額だ。
(一応、実験の副産物でいくつか特許が取れたから、そのうち投資分の利益は出ると思うけど……旅立つ前に、貸してもらった分のお金は返しておこう)
全額を返しても、手元に金貨の百枚ぐらいは残るはずだ。
旅の路銀には十分すぎる額である。
そういうわけで、ギルドを後にしたオットーはベルガーおじさんの家へ向かった。
「え!? 投資分の資金を全額返す!? いやいやいや!」
ベルガーは必死にオットーのことを止めた。
「多額の報酬が出たにしたって、ちょっと思い切りすぎじゃないかい!? 君のグライダー、どれも高い素材を使ってるじゃないか! 修理費用に残しておきなよ!」
「でも、故郷に借りを残したままにはしたくないんだ。後ろ髪を引かれたくない」
「……なるほど。そういうことなら、仕方がないか」
諦めたように、ベルガーが息を吐いた。
「資金で困ったら、手紙を送ってきなよ。いつでも援助してあげるから」
「ありがとう。もし本当にどうしようもなくなったら頼むことにするよ」
「あと、オットーくん。もうすぐ竜の卵が孵化しそうなんだよ。今から様子を見に行くところだったんだけど、よければ一緒に来るかい?」
「もちろん」
二人は久しぶりに他愛もない雑談をしながら、並んで街を歩いた。
高い煙突を備えた鍛冶場から煙が上がっている。
「ここだよ。卵に安定して熱を加えるために、鍛冶場を使ってるんだ」
炭をくべられてごうごうと燃える炉の中に、金属の籠と卵があった。
高温の熱を受けて、卵がわずかにぴくぴくと動いている。
ぴきっ、とヒビが入った。
二人は食い入るように卵を見つめたが、それ以上の動きはない。
孵化までにはまだ少し時間がありそうだ。
「そういえば、オットーくん。君が大魔法を使える、という噂は本当なのかい」
「まあ、一応」
「ロング家からしてみれば、少し厄介な状況だ。本来ならば国王に紹介するべきような優秀な人間を追放してしまったことになる。これはかなりの失態だろう?」
「僕の知ったことじゃない」
「……だといいんだがね。失態を無かったことにしたがるかもしれない。つまり、追放を無かったことにして、君を家に戻そうとするとか……」
そのとき、鍛冶場の扉が開いた。
苦虫を噛み潰したような顔のフランツ・ロングが、オットーを見据えている。
「噂をすれば、だね」
オットーがくすりと笑った。
「オットー。お前は……認めたくないことだが……大魔法を操り、貴族にふさわしい見事な戦果を挙げた。すばらしいことだ」
「それで? 家を追放されて平民になった僕に、何か用?」
「ロング家に戻ってきてくれないか。……お前を追放したのは、私の間違いだった」
「断る」
「……頼む。この通りだ」
苦々しい表情で、フランツが頭を下げた。
「大魔法を使えるというのなら、どれだけ遊んでいても構わん。好きなだけ遊び呆けろ。遊んでいても大魔法を使えるぐらいの才能があるなら……」
明らかに、フランツはまだオットーのことを見下していた。
……プライドの高い貴族の彼が、見下している相手に頭を下げるのは、相当な屈辱だろう。
そうせざるを得ないぐらいに、彼は追い詰められている。
人格の軋む音が聞こえてきそうなほどだ。
「遊びだけど、遊びじゃないんだよ、父さん。僕は本気なんだ。ひたすら努力と苦労を重ねて、僕はここまで来たんだ。あなたが遊びと呼ぶものに、僕は人生を賭けてるんだ」
「……何故、そんなものに人生を賭ける?」
「好きだからだよ。他に理由が要る?」
二人を見守っていたベルガーが、ここで一歩踏み出した。
「フランツ。何をしても、彼が貴族に戻ることはないだろう。確かに、君としては苦しい状況だが……それでも、親として子供の自立を喜ぶことは出来ないのか?」
「親である前に、私は貴族だ。わが領土と称号を危険に晒すわけにはいかん」
「領土と称号? それが優先なのか? 領民ではなく?」
「綺麗事を言っている場合か? 私は全てを失うかもしれないのだぞ!」
結局の所、それが本音だ。自分のことしか考えていない。
オットーは目を細め、父の姿を見た。
(哀れな人だ)
「……なんだ、その目は!?」
「別に。ただ言っておくと、僕がロング家に戻ることは絶対にないよ。自分から追放しておいて、困ったら戻ってきてくれなんて、都合が良すぎる話だ」
「……そうか。絶対か。絶対に家へ戻らないというのなら……」
びしびしと何かの割れる音が聞こえてきた。
卵が孵りかけている。オットーはそちらに気を取られて、父から目を離した。
その瞬間、フランツが無詠唱で真空の刃を放った。
レベル530の〈鎌風術士〉であるフランツは、極めて優秀な魔法使いだ。
為すすべもなく、オットーは心臓を撃ち抜かれた。
「え……?」
「……フランツッ! 君は、何を!」
「これでいい。これで私は安泰だ。ようやく、地に足が着いた気分だよ」
(やっぱり、その言葉は嫌いだ)
そう思いながら、オットーは倒れた。
- - -
「少年。ぎりぎりのところだったな」
「あれ? 僕、今度こそ死んだ? 今回こそ死後の世界だったり?」
「まだだ」
白い空間の中で、〈大空の支配者〉が言った。
「君の意識が無くなった瞬間、精神に介入させてもらった。才能が覚醒したおかげで、少しだけ私に出来ることが増えたからな」
「……でも、死んだも同然だよね。介入したところで、何も出来ないんじゃ」
「出来ることはある。オットー、君は才能の正体が何か知っているか?」
「いや」
「それは魂だ。傑出した才を持つ人間は、血だけではなく魂の一部をも子に継がせることがある。君の中には私の欠片がある。これを砕けば、体を動かすぐらいの力は作れる」
「それって……才能と引き換えに、僕を少しだけ生かすってこと?」
「代償は、私の人格をいったん眠らせる程度だ。才能に影響はない」
話しかけてくる人格を持たない普通の才能に戻るだけさ、と彼女は言った。
「別に、そこまで私に愛着もないだろう? いくらか夜を共にした程度の仲だ」
「言い方……。愛着がないなんてことはないよ。あなたのことは、飛行の先駆者として……同じ志を抱く者として、尊敬してる」
「私も同じだ。同じ志を抱く者として、お前のことを尊敬している」
彼女はオットーの肩を叩いた。
「私のことを忘れないでくれ、と言いたいが、無理だな。まあいい。進めるぞ」
彼女の姿が足元から徐々に崩れ、輝く粒子となってオットーに吸収される。
「ようやく真の意味で〈大空の支配者〉を継ぐ私の後継者が現れたというのに、その活躍が見れないとはな。……お前の力が付けば、あるいは私が復活できる可能性もあるかもしれない。その時を心待ちにしておくとしよう」
「任せて。必ずここを切り抜けて、力を付けてみせるよ」
「そのことについてだが。お前が動けるのは一瞬だ。意識が戻って数秒だろう」
「……いや、それ、僕に出来ることってある?」
「ある。竜の卵に飛び込め。あの中にいるのは白竜だ」
オットーはいろいろな疑問を封じ込めて、素直に頷いた。
彼女のことは信頼している。
「それと、最後に一つ」
完全に消滅する寸前、彼女が言った。
「不完全な魂の欠片にすぎないこの私が、少しでも君の背中を押せたのなら、それで満足だ。空を愛する少年よ、歩みを止めるな!」




