近い覚醒
ベルガーに地図を渡したオットーは、そのあと彼の家のベッドを借りた。
〈セレスティアルウィング〉を展開しすぎて消耗したので、今すぐ眠りたいぐらいに疲労が溜まっていたのだ。
眠りに落ちた彼は、白い空間で目覚めた。
またレベルアップしたようだ。おかげで〈大空の支配者〉と話ができる。
「また会ったな、少年。あまり時間はなさそうだが」
綺麗な女性がオットーに微笑みかけた。
「時間が無いって?」
「空の様子がおかしい。おそらく、〈暗黒の森〉とやらの封印は今すぐに解けるぞ」
「本当に?」
「ああ。古代の魔物という話が本当なら、今の人間が勝てるかどうか。昔は世界の魔力濃度が高かったから、今と比べてどいつも強力な魔物ばかりでな……」
「今の魔物だって十分に強いのに。古代ってそんな魔境だったの?」
「レベルの桁が違ったよ。文字通りな。だから、お前を短時間で強くしなければ」
〈大空の支配者〉が考え込んだ。
「強引に、才能を覚醒させてみるか。育ちきった時のポテンシャルは少し落ちるが、私達の戦闘力はそこまで魔力に比例しないから問題はないだろう」
「才能の覚醒? それって、すごい天才だけに起きる現象だよね?」
才能を磨いていると、急に能力が数段階跳ね上がることがある。
才能の覚醒、と呼ばれる現象だ。
急激に強くなれるが、そもそもトップクラスの天才にしか起こらない。
「その通りだが、お前もまた天才だ。少し細工をすればすぐにでも起こせる」
彼女はオットーを地面に寝かせ、その周囲に魔法陣を刻んでいった。
見たこともないほど複雑な模様だ。
「魂に大量の魔力を流すことで、強引に流路を広げることができる。そうすると覚醒は近づく。自然に広がったものと比べれば弱くはなるが……よし。行くぞ。我慢しろ」
「もしかして……今回も痛いやつ?」
「流路を無理やり広げるんだから、それはそうだ。口に手を突っ込まれて顎が外れるまで拡張されるとか、あるいは……下品な例えはやめておくが、つまり、そういう痛みだ」
オットーは冷や汗を流した。
〈エアブラスター〉の習得時にも酷い目に遭ったというのに、まただ。
「耐えろよ。施術開始」
「あばばっ!?」
全身の血管が内側から焼けるような痛みが、オットーを襲った。
びくびくと陸に上がった魚のように痙攣する彼が、〈大空の支配者〉を睨む。
「これで終わりだ。調子はどうだ?」
「あれ? な、なんかもう痛くない」
気づけば痛みは引いていた。痛かったのはほんの一瞬だ。
「魔法陣に治癒魔法も仕込んである。不要な痛みを与える趣味はない」
「じゃ、これでもう僕は覚醒したの?」
「まだだ。だが、些細なきっかけで覚醒するようにはなった。魔力が尽きた状態で命の危機を迎えるとか、その程度のことでな」
〈大空の支配者〉がにやりと笑う。
「副作用で、魔力の出力も増しているはずだ。意図して絞らないと、一瞬で魔力を使い切ってカラカラのミイラになる。気をつけろよ、少年」
「気をつけろって言われても、起きたらこの夢のことって忘れるんじゃ!?」
「何とかなるさ。……おっと。ベルガーが起こしに来たぞ。行ってこい」
- - -
「オットーくん! 起きて! 大変だ!」
ベルガーに起こされたオットーは、暗黒の森の封印が解けたことを知った。
大変な事態だ。外では冒険者ギルド緊急招集の鐘が鳴り響いている。
「一緒に、グライダーを抱えて逃げよう。間違いなく、この街も危険だ」
「……確かに、僕には何の義務もないけど」
オットーはいくらでも遠くに逃げられる。
なんなら、この王国が滅びようと無関係に彼だけは生き残れる。
けれど、後味が悪い。
(僕は自由に飛びたいんだ。逃げ続けたいわけじゃない)
生まれ育った街が危険に晒されているというのに、逃げるわけにはいかない。
そんなことをすれば、後腐れなく気持ちよく空を飛ぶことはできない。
(……我ながら、欲張りだな。でも、出来る限りのことはやってみよう)
彼はそう心に決めた。
「様子を見に行くよ。戦えそうなら戦ってみる」
「オットーくん。いいのかい」
「いいんだ。自分が嫌な思いをしないために飛ぶだけだから」
「……分かった。実は、君のために防具を作ってあるんだ。待ってて」
ベルガーが羽毛をあしらった服を持ってきた。
革服がベースになったやりすぎなぐらい格好いいデザインだ。
だが、羽毛の醸し出すファンシーな空気がそれを中和して、うまくまとまっている。
「君が狩ったハーピィの素材をギルドから買いとって、腕のいい職人に作らせたんだ。空を飛ぶ邪魔にならない範囲内で、頑張って防御力を高めてもらった」
「ありがとう、ベルガーおじさん……!」
オットーはさっそく着替えてみた。
ものすごく軽い。まさに羽のような軽さだ。しかも温かい。
ハーピィの羽毛だから、空気抵抗も押さえられているに違いない。
しかも、服ごしに自分を殴ってみてもあまり衝撃が伝わってこない。
「すごい。僕にとって完璧な防具だ」
「……君が平服で飛び回っているのが、見てられなくてね。魔物と戦うんだから、防具ぐらいは身につけないと」
「た、確かに」
あとこれも、とベルガーが革の帽子を取り出した。
まるで垂れた獣耳のような羽毛の耳あてがついている。これも軽い。
「風を切って飛んでると、寒いだろう? 少しでも温かい格好をしないと」
「確かに、〈ヒートアップ〉の魔法を使っててもけっこう寒いんだよね。本当にありがとう、ベルガーおじさん。これで、今より快適に空を飛べるよ」
「気に入ってくれてよかった。……オットーくん。絶対に、無理はしないこと。生きて帰ってくるんだよ、いいね?」
「分かった。約束するよ」
「うん、おじさんとの約束だ」
そして、オットーは倉庫に向かった。
〈ライトフライヤー〉を持ち出して、離陸のために街路で翼を広げる。
ざわついていた住民たちが、彼に気付いて周りを囲んだ。
「オットーくん、最近は大活躍してるんだってね。君なら、もしかしたら!」
「いやいや。多分、ただの偵察だって。でも、期待してるぜ!」
「ねえ、ドラゴンと知り合いなんだよね? 街を守ってって竜に頼んでよ!」
敵が見えていないから、住民たちはまだ危機を実感していない。
ちょっとしたお祭りのような様子で、彼らはオットーに声をかけた。
「何の騒ぎだ?」
その住民たちに、高圧的な声が冷水を浴びせた。
手勢を引き連れて武装したフランツ・ロングが、オットーを見下している。
「……ふん。お前か」
「今の僕はあんたと無関係な平民だ。好きにさせてもらうよ」
「ああ。好きに遊んでいろ。今ならば、お前が遊んでいようが私の名誉に関わることはない。……だが、一つだけ聞かせろ。お前はいつ、あの魔法を習得した?」
「〈セレスティアルウィング〉のこと? 朝起きたらベッドに魔法結晶があってね」
「答える気が無いなら、いい。どうせ邪悪な儀式にでも手を染めたのだろう」
フランツは街の外へと向かっていった。
「なんか最近、フランツ様って感じが悪いよな……」
「正直、オットーを追放したのはやりすぎだよな? 魔法は苦手で才能がいまいちでも、優秀な発明家なのにさ」
民衆がフランツの陰口を叩いている。
……オットーの評判が上がるのと比例して、フランツの評価は下がっているのだ。
「道を開けてもらってもいいかな?」
彼らに避けてもらい、オットーは下り坂になっている道で助走をつけた。
左右に家がなくなったところで〈セレスティアルウィング〉を使う。
きいいん、と甲高い音を翼から響かせながら、オットーは爆発的な加速を見せた。
「うわっ!?」
魔力の出力が桁違いに増していた。慌てて彼は魔力を絞る。
これまでは〈セレスティアルウィング〉を五分も使えば魔力が空になるほどの消費量だったが、出力が増したことで、もはや一分持つかどうかすら怪しくなっている。
(なんだこれ!? 寝た時にレベルアップしたにしても、明らかにおかしい! 僕、誰かに何か変なことされてるのか? あるいは〈大空の支配者〉が本領発揮してるとか?)
あり得る話だ、と彼は思った。
〈大空の支配者〉という才能は、完全に外れのゴミとして扱われている。
ゆえに細かいところは知られていない。
(まさか才能が覚醒したとか……いや、そんなわけないか)
あれこれ考えを巡らせながら、彼は暗黒の森へと向かう。




