解けた封印
無事に街まで帰還したオットーは、機体を倉庫に戻してベルガーおじさんの家へ向かった。
一等地に立つ庭付き二階建ての一軒家だ。
貴族の家に出入りする商人だけあって、趣味のいい調度品が揃っている。
「いい地図だ」
オットーから暗黒の森の地図を手渡されたベルガーが、彼を褒めた。
「文句なしだよ。これぐらい詳細に書いてくれれば、探索も楽だ」
報酬の金貨二十枚を貰い、オットーがにんまりと使いみちを考える。
今の貯金は金貨が三十五枚ほど。翼をスパイダーシルクに変えるにはまだ足りない。
だが、専門の魔法使いに長続きする強化魔法を掛けてもらうには十分だ。
今までは意図的に魔法を避けてきたが、彼は既にそのこだわりを捨てている。
飛べるなら、魔法でも何でもいい。
「……オットーくん。君はこのまま冒険者になるのか?」
「まあ、そうしようかな、と」
「そうかい。まあ……確かに、君はそういうのが向いてるんだな。止めたって無駄だろうね……寂しくなるよ」
ベルガーがしみじみと言った。
ロング家に出入りしている彼は、幼い頃からオットーのことを知っている。
子供のときからずっとオットーのために世話を焼いてきたのだ。空を飛ぶ玩具を手に入れたり親子喧嘩の仲裁をしたり。ほとんど家族のようなものだ。
「ところで、暗黒の森の様子はどうだった? 何か異常が出ていたりは?」
「いや、特には」
「そうか。良かった。……あの森を試験会場にするのは、止めたんだけどね」
「そういえば、邪悪な存在が封じられてるんだっけ?」
「……それはどこで知ったのかな?」
「リントヴルムから」
ああ、とベルガーが納得した。
「そうなんだよ、封印があるんだ。でも、百年ぐらい前から調査が行われてないんだよね、森が危険になりすぎたせいで。……パニックを防止するために、情報は隠されてるんだけど……計算では、そろそろ封印が緩む頃なんだ」
ベルガーが暗黒の森の地図を見つめた。
「何事もなければいいんだけど」
- - -
試験が行われている暗黒の森の中心部で、ビシッ、という音が響いた。
汚染された紫色の瘴気が漏れ出して、木々を枯らしながら広がっていく。
「……ん? なんです?」
オットーに自尊心を砕かれたあとも、カール・ロングは試験を続行していた。
むしろ意固地になって、危険な森の中心部に近づいていた。
危険な場所にいたのは、彼一人ではない。
自信過剰な貴族たちが何人か集まって、警告を無視して中心部の魔物を狩っている。
……実際、狩れてしまうぐらいの実力はあるのだ。
魔法使いは強い。幼少時から訓練を積んでいれば、尚更である。
「うわっ!? なんだ!? 集まれ、防御を……!」
どろりと地上を伝う紫色の瘴気を目の当たりにして、貴族たちが慌てて集まる。
そして、一斉に防御魔法の類を放った。
カールもそこへ加わり、〈ワールウィンド〉を放ち風で瘴気を跳ね除ける。
やがて、瘴気は十分に薄くなり、消えた。
……そこへ広がる景色を目の当たりにして、貴族たちが絶句する。
森の木々が全て立ち枯れて、生命の気配がなくなっていた。
そこかしこにいた魔物たちは全てが死に絶えている。
ただ一匹だけ、動いている魔物がいた。
それは何の変哲もない虫型の魔物だ。
蝗によく似ている。
「……あれが元凶なのか? 大した事無さそうだな!」
自信過剰な貴族が、戦果を求めて一人で駆け出していった。
炎の弾を連射する。激しい爆発の煙が晴れたとき、蝗の魔物は死んでいた。
「楽勝じゃんか!」
彼は更に奥へと駆けていく。
……だが、もう少し賢い他の貴族たちはその場に留まった。
こんな事態が起こった以上、試験は中止だろう。
戦果を稼いだところで意味がない。
「だあーっ、ガキどもがこんな所にもいやがる!」
その場に留まっているカールたちのところへ、Sランク冒険者パーティの〈ミノアス〉が駆けつけてきた。
「今すぐ逃げろ! あいつらは〈ローカスト〉だ! 危険度はS+級! せめて戦力をまとめて再編成しねえと、押しつぶされるだけだぞ!」
「ふっ、これだから魔法の才能すら持たない平民は。一生かけてレベル300にもならない連中と一緒にしないでほしいものだ」
だが、貴族の若者たちは彼らのことを馬鹿にした。
……オットーに心を折られていなければ、カールも同じことを言ったかもしれない。
しかし今では、少し見方が変わっていた。
(レベルで全てが測れるんですか? オットーなんて、低いレベルのくせにあれだけ強かったのに。……狭い貴族社会での評価軸だけが全てじゃないんです、きっと)
そう思いながら魔法学園の貴族たちを見て、滑稽だな、と彼は思った。
(……いや。滑稽なのは、俺も同じですね。魔法やレベルのことでオットーのことを見下して……それで、どうなったか? まるで道化ですよ)
自分のことがどうしようもなく愚かに思えてきて、彼は思わず笑ってしまった。
(ああ。俺は、嫉妬していたんですね。そんなことに縛られず、自由に生きていたオットーのことを……生きて帰って、謝らなければ。もう遅いとしても)
「何笑ってんだ? 知らねえぞ。オレたちは逃げる。助かりたいやつはついてこい」
「ついていきます」
逃げていく〈ミノアス〉の面々に、カール・ロングが混ざった。
その場にいた貴族たちの中で、逃げたのはカール一人だ。
「はっ。カールのやつ、急にどうしたんだか」
笑っていた貴族たちの耳に、地響きが届く。
枯れ木の向こう側から〈ローカスト〉が迫る。
一匹や二匹ではない。
見える範囲の地面すべてを覆い尽くすほどの虫が、波のごとく溢れてくる。
「だ、大丈夫だ! 一匹一匹は強くない!」
貴族たちが、一斉に魔法を放つ。
ありとあらゆる大規模な魔法が周辺を薙ぎ払い、一瞬で数百匹が吹き飛んだ。
「見たか! 俺たちは貴族だ、強いんだ!」
攻撃の余波で巻き上がった煙が晴れて、向こう側の景色が見える。
吹き飛ばされた〈ローカスト〉の死体へと同族が殺到していた。
魔物たちは一瞬のうちに死体を平らげ、また前進を開始する。
「……い、いくら来ても同じだ!」
貴族たちは再び薙ぎ払う。だが、魔物が尽きる様子はない。
正面だけではなく、左右からも魔物は来ている。
やがて対応が間に合わなくなり、貴族たちは蝗に取り囲まれた。
やむなく防御の魔法を四方に張って耐える。
それぐらいの強さはある。
……だが、助けの来ない籠城戦など、無意味だ。
防御を維持し続ける彼らの気力と魔力はじりじりと削られていく。
敵のど真ん中へと助けにこれるような人間がいないかぎり、もう死んだも同然だ。




