竜の背に乗って
「オットーくん、君という子は本当にもう……」
翌日。倉庫でグライダーの調整をしていたオットーの元を、ベルガーおじさんが訪れた。
「何を言っても無駄なんだろうけど。〈暗黒の森〉は危険だよ。特に、奥地はね。足を踏み入れたなら、帰ってこれないと思ったほうがいい」
「分かってる。中に入る気はないよ。山の上空から地図を作るだけにする」
「そうしてほしいね……いやしかし、この新しいやつはすごいな」
〈ライトフライヤー〉の骨組みを見たベルガーが、腕を組んだ。
「十五歳の作り上げた作品とは思えない。未来の時代を先取りしたみたいだ。……これだけやれるなら、魔法学園を辞めて集中するのも悪くないのかもしれないな」
「でしょ?」
オットーが誇らしげに笑う。
「これを完成させる前に死んじゃ駄目だぞ、オットーくん。安全第一だ」
「分かってる。安全といえば、暗黒の森について知りたいんだけど」
「……そうだね。君には教えておかなきゃいけないな」
ベルガーはオットーに森の概要を伝えた。
曰く、あの森の中には危険な魔物が封印されているのだという。
「封印の中がどういう状況なのか、まったく不明なんだ。調査しておいたほうがいいかな、と思って、五年ぐらい前に依頼を出したんだけど……まさか君が受けるとはね」
「なるほど。森の中心部に異変がないか注意しておくよ。地図はどれぐらい詳細に書けばいい?」
「森の外形と中心の位置さえ分かれば、それで十分。あまり近づく必要はないからね」
「分かった」
楽な依頼だ。山の上空から地形を書き写すだけでいい。
ついでにハーピィを見つけて討伐すれば、オットーの必要な物も手に入る。
「じゃあ、行ってくるよ」
「気をつけてね」
畳んだグライダーをリュックのように背負い、オットーは山へと向かった。
- - -
山道を登っているオットーの耳に、グオオオオッ、という咆哮が届いた。
何故か、彼はその咆哮の意味を聞き取ることができた。
「よく来たな、空飛ぶ人間よ!」
巨大な竜が舞い降りて、地響きをさせながらオットーの前に着地する。
「ど、どうも?」
「卵の様子はどうだ? もう孵ったのか?」
「まだまだ温める必要があるらしいよ。孵化するとしても、一週間以上は先だってさ」
「そうか。孵ったら我を呼びに来るのだぞ。貴様の仔を一目見なければならん」
竜が両の前足をこすりあわせながら言った。
意外とフレンドリーだ。
「……え? 僕の仔?」
「そうであろう? 貴様に渡したのだから、貴様の仔だ」
「なんか、孵った段階で巣に戻してあげるっていう計画みたいなんだけど……」
「ほう? ……そ、そういうことだったのか!? この前来ていた人間には悪いことをしたな……殺してしまった……」
「丸焼けになった冒険者なら、何とか重傷で助かったって話だよ。その人、〈回復術士〉の才能を持ってたから、ギリギリ回復が間に合ったんだってさ」
「そうなのか? 小さくて柔らかいくせに頑丈なのだな。ならば、良かった」
ふんす、と竜が鼻を鳴らした。
(この竜は、かなり人間に優しいんだな。だからロングシュタットの街から近い山に住んでても討伐されてないのか)
「貴様の名前は何というのだ? 我はリントヴルムだ」
「僕はオットー・ライト。今は一応、冒険者をやってる」
「そうであろうな。貴様には冒険者がよく似合う」
リントヴルムの視線が、僕の背中にある畳まれたグライダーへ向いた。
「今日は何をしに来たのだ?」
「ちょっと、暗黒の森の様子を見に。あと、ハーピィの羽を集めに」
「ふうむ。ハーピィか。確かに、あの森の上を飛んでいるのを見たぞ。屍肉に集る不潔な生物だ、いくらでも討伐するといい……いや、せっかくだ。我も久々に、掃除をするか」
リントヴルムが首を回し、暗黒の森を見た。
「知っているか? あの森には、古代の邪悪なる存在が封じられているのだ。魔物と呼ばれる存在の、いわば先祖に当たる存在である。ゆえに、あの森は魔物を集めるのだよ」
「その情報、人間に伝えちゃっても大丈夫かな?」
「構わんよ。元は人間が調べた情報なのだからな」
リントヴルムが翼を広げた。
「せっかくだ。乗ってみるか、オットー・ライト?」
「いいのっ!?」
オットーは目をきらきらと輝かせ、リンドブルムの背中をよじ登った。
「うわっ、高い!」
「ふふ。すぐにもっと高くなるとも。ゆくぞ、掴まれ!」
ドラゴンが後ろ足で地面を蹴る。オットーは必死で鱗に掴まった。
一つ羽ばたくたびに、吹き飛ばされそうなぐらい上下に揺さぶられる。
乗り心地は最悪だが、それでも最高の体験だった。
「うわあ……僕、ドラゴンに乗っちゃってるよ……!」
「今のうちに、貴様の背負っているそれを広げておけ。激しくなるぞ、振り落とさない保証はできんからな!」
「そ、そんな無茶な。翼を広げた瞬間に吹き飛ばされるって」
「……貴様は、我と互角に渡り合った人間だろう? できんとは言わせんぞ」
「なら、少し旋回して貰っていいかな。僕を背中に押し付ける力(G)があれば、吹き飛ばされずに済みそうだから」
「いいだろう」
竜が六十度近く体を傾け、高度を変えずに急旋回した。
「へぶっ」
オットーが鱗に頭をぶつけた。
……水平旋回の最中に掛かる力は傾きの角度から計算することができる。
航空力学を基礎から研究をしていたオットーは、当然計算の答えを知っている。
六十度で水平旋回している場合、かかる力は”2G”だ。
二倍の重力に相当する力で竜の背中へ押し付けられている、ということになる。
(旋回しろとは言ったけど……!)
オットーは心の中で文句を言いながら、翼を広げて固定した。
とたんに揚力が生まれて浮かび上がろうとするが、しがみついて抑える。
「オッケー、終わり!」
「うむ、ゆくぞ!」
竜が一段と速度を上げて、暗黒の森へと向かう。
その行く先に、ハーピィの群れが飛んでいた。
「ゴアアアアッ!」
後方上空から急降下しながら、リントヴルムが炎の息を吐く。
ハーピィの群れがばたばたと地面に落ちていった。
リントヴルムが鋭い宙返りを打つ。激しい攻撃機動だ。
背負ったグライダーに強いGが掛かり、軋む。
それでも〈リリエンタールⅡ〉は持ちこたえた。
(これぐらいの機動なら壊れない? もっと激しく飛んでも大丈夫なのか……!)
背中に乗ったオットーなどお構いなしに、竜が激しく飛び回る。
ハーピィたちも迎撃しようと魔法で作った空気の刃を放っているのだが、機動が激しすぎるせいでどれも命中していない。
(リントヴルムの鱗なら、避ける必要なんてないのに。教えてくれてるのか?)
やがて握力が限界を迎えて、オットーは背中から滑り落ちた。
そのままグライダーで滑空しながら、彼は呟く。
「……僕も、やってみるか!」
リントヴルムの機動を真似て、オットーがハーピィに襲いかかった。
迎撃に張られる風魔法の弾幕を、飛行軌道をずらしながらすり抜ける。
「〈セレスティアルウィング〉!」
「むっ!? なんだ、その魔法は!?」
半透明の翼が形作られる。その翼は薄く、刃のように鋭い。
彼は〈セレスティアルウィング〉を使い、ハーピィのそばをかすめた。
魔法の翼に触れたハーピィが、するりと両断される。
「……グハハッ! 貴様、えげつない魔法を使うのだな! まさか、この前は手加減した上で我と空中戦を演じていたのか!?」
そうじゃない、とオットーは叫んだが、風の音でかき消された。
少しでも距離が離れると、飛びながら喋るのは無謀だ。風が強すぎる。
それから、オットーは〈セレスティアルウィング〉での突撃を繰り返した。
隣を飛ぶリントヴルムに負けないくらいのペースで、次々と魔物を叩き落とす。
瞬く間に敵は殲滅された。
「ふう……! 戦闘なんて苦手だったけど……これなら……!」
「さすが、我と戦っただけはある! 見事なものだ!」
オットーとリントヴルムが横に並び、暗黒の森の上空をゆるやかに回る。
地面に落ちたハーピィは森の中に消え、回収ができそうにない。
「少し待て! 道を作ってやろう!」
リントヴルムがバキバキと木々をへし折りながら、森に強行着陸した。
そうして作られた場所に、オットーが降りる。
「……すごい景色だ」
地面にハーピィの死体が積み重なっていた。
一方的な虐殺だ。
「気に病むな。魔物など、世界に害しかもたらさぬ。これは生物の模倣品だ」
「分かってる」
リントヴルムの言う通り、これは人間に害を及ぼす危険な魔物である。
討伐したことで、間接的に人間が助かっているのだ。
「これだけの数だと、死体を運ぶのも大変だな」
「回収は手伝わんぞ。悪いが、我はハーピィの死骸になど触れたくない。汚いからな」
「うーん……冒険者の皆に手伝ってもらおうかな」
「いいアイデアではないか。貴様ら人間は数が多いのだから、数を生かさねばな」
オットーとリントヴルムは、ひとまずハーピィを放置して空に飛び立った。




